今日、11月9日(日)、雨こそ降りませんでしたが、12月並みと
いうどんよりとした寒さの1日でした。
熊野古道のレポートは後にして、昨日歩いたカントリーウオーク
の模様です。
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2008年12月8日(土)
埼玉県内を中心に歩いているカントリーウオークグループの、第
158回例会、今回のエリアは千葉県である。
集合は北総鉄道の終点、印旛日本医大駅。参加者16は雨具を
着け、4組に分かれて10時10分にスタートした。
=師戸川沿いを南南西へ=
多少の雨は落ちているが、たいしたことはない。駅の南側、線路
沿いを西へ向かう。本埜村(もとのむら)角田集落の入口付近に、古
い庚申塔と青面金剛碑が10基並んでいた。
まず、集落の外れ近くにある栄寺を訪ねる。朱塗りの柱、かや
ぶき屋根の古い薬師堂があった。
室町中期の文明4年(1472)完成で、建立時代の明確な木造
建築としては千葉県最古とのこと。国の重要文化財である。
傍らの小さいお堂に、左甚五郎が一夜で作ったといわれるビンズ
ル大師が祭られている。
境内には熊野神社もあり、その横にツガかと思われる幹の太い古
木が立っていた。
集落を西に抜け、師戸(もろと)川沿いに下る。両側の、色づきはじ
めた森を挟み、川の両側にひこばえが伸びた谷地田が続いている。
住宅も電線も見あたらぬ気持ちよい里道。東側の林の下を少し進
み、川の右岸堤防をしばらく行く。
初夏のような緑や、再び粒が付いた黄金色のひこばえが豊富で、
雨でしっとりした彩り。
師戸川の堤防からは、ダイサギや3羽のカワセミが見られた。西
側の山すそに回ると、クサギが色鮮やかな萼(がく)を開いていた。
川沿いを離れ、市場集落に向かう。柿の実る集落を緩やかに上が
って車の多い車道を横切り、スギやカシ、ケヤキなど豊富な鎮守の
森に囲まれた宗像神社へ。
福岡県宗像市に本社のある宗像神社は全国にあるが、この近辺
の狭い範囲に13社も集中している例はほかにないとか。宗像神社
は海の神で、印旛沼と深い関わりがあるようだ。
さいせん箱の前には、七五三参りに来た人のものか、赤飯が奉納
されていた。
集落のあちこちに、頃合いの柿がたくさん実っている。
宗像小の手前から泉福寺に入った。ここにも薬師堂があり、やは
りかやぶき屋根である。
室町時代末期の再建と推定され、これも国の重要文化財。門前に
白いサザンカが咲き出していた。
そばの宗像小では、テントを張ってバサーを開催中。キュウイや野
菜、うどん、ジュースなどが販売され、生徒や父兄、近所の人などで
賑わっていた。
隣の岩戸幼稚園には、こんなかわいらしい置物がある。
そばの印旛村歴史民俗資料館が今日の昼食地。12時5分に着い
た。館内は、アスベストの撤去作業で休館中。トイレのみ借り、隣の
体育館の軒下で昼食をした。
=印西の集落を結んで=
記念撮影をして、12時48分に午後のコースに向かう。
泉福寺の墓地横を下り、県道263号に出る。やや車が多いので、
田んぼを過ぎたところから山すその旧道に回る。東場から馬場台へ
と、台地上の集落を抜けるカーブの多い道を回り込み、萬福寺へ。
今日は永福寺、泉福寺、萬福寺と、ここで三つ目の福の名の寺。
みんな福の神に恵まれそう。本堂は鉄筋で近代的だが、方形屋根
の薬師堂は趣ある造り。
ここは、2月に、やまさんが企画した55㎞ウオーク2日目の昼食
地だったところ。今は薬師堂前のキクが花盛りである。
印旛沼から出る新川の、右岸に広がる田園地帯を抜け、印西市
に入る。台地を上がって松崎へ。火皇子神社の先のケイトウ畑に、
色鮮やかな花が咲き残っていた。
集落の中心にあった多門院で少し長目の休憩をする。
ここにも方形屋根のりっぱな毘沙門堂があり、そばの大イチョウ
の下には、ギンナンがたくさん落ちていた。
次の馬場集落に上がり、広葉樹がうっそうとした宗像神社に少
しだけ寄り道。2度目の四国遍路中のNさんから電話があり、雨
の中、最初の「遍路転がし」、12番焼山寺を越えて宿に向かう
ところとのことだった。
船尾から野口へは車の多い車道を避け、並行するカシの並木の
ある里道を進む。T字路の角に、冬ザクラが咲き出していた。
前方に、千葉ニュータウンの集合住宅群が近づいてきた。その
住宅地に入り、色づいたケヤキや桜などの街路樹の通りや、遊歩
道を抜けて駅に向かう。
南北に走る広い道路の上を橋で横切ると、川の名残だろうか両
側に豊富な森のある池が残り、湖面には白鳥、ダイサギ、オオバ
ンなどが見える。
午後はほとんど雨にあわず、気温は上がらなかったが、静かな
里道歩きを楽しみ、15時35分に、千葉にユータウン中央駅そば
の広場に着いた。
(天気 曇一時雨、参加 16人、距離 14㎞、地図(1/2.5万)
小林、白井、歩行地 千葉県印旛村、本埜村、印西市)
いうどんよりとした寒さの1日でした。
熊野古道のレポートは後にして、昨日歩いたカントリーウオーク
の模様です。
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2008年12月8日(土)
埼玉県内を中心に歩いているカントリーウオークグループの、第
158回例会、今回のエリアは千葉県である。
集合は北総鉄道の終点、印旛日本医大駅。参加者16は雨具を
着け、4組に分かれて10時10分にスタートした。
=師戸川沿いを南南西へ=
多少の雨は落ちているが、たいしたことはない。駅の南側、線路
沿いを西へ向かう。本埜村(もとのむら)角田集落の入口付近に、古
い庚申塔と青面金剛碑が10基並んでいた。
まず、集落の外れ近くにある栄寺を訪ねる。朱塗りの柱、かや
ぶき屋根の古い薬師堂があった。
室町中期の文明4年(1472)完成で、建立時代の明確な木造
建築としては千葉県最古とのこと。国の重要文化財である。
傍らの小さいお堂に、左甚五郎が一夜で作ったといわれるビンズ
ル大師が祭られている。
境内には熊野神社もあり、その横にツガかと思われる幹の太い古
木が立っていた。
集落を西に抜け、師戸(もろと)川沿いに下る。両側の、色づきはじ
めた森を挟み、川の両側にひこばえが伸びた谷地田が続いている。
住宅も電線も見あたらぬ気持ちよい里道。東側の林の下を少し進
み、川の右岸堤防をしばらく行く。
初夏のような緑や、再び粒が付いた黄金色のひこばえが豊富で、
雨でしっとりした彩り。
師戸川の堤防からは、ダイサギや3羽のカワセミが見られた。西
側の山すそに回ると、クサギが色鮮やかな萼(がく)を開いていた。
川沿いを離れ、市場集落に向かう。柿の実る集落を緩やかに上が
って車の多い車道を横切り、スギやカシ、ケヤキなど豊富な鎮守の
森に囲まれた宗像神社へ。
福岡県宗像市に本社のある宗像神社は全国にあるが、この近辺
の狭い範囲に13社も集中している例はほかにないとか。宗像神社
は海の神で、印旛沼と深い関わりがあるようだ。
さいせん箱の前には、七五三参りに来た人のものか、赤飯が奉納
されていた。
集落のあちこちに、頃合いの柿がたくさん実っている。
宗像小の手前から泉福寺に入った。ここにも薬師堂があり、やは
りかやぶき屋根である。
室町時代末期の再建と推定され、これも国の重要文化財。門前に
白いサザンカが咲き出していた。
そばの宗像小では、テントを張ってバサーを開催中。キュウイや野
菜、うどん、ジュースなどが販売され、生徒や父兄、近所の人などで
賑わっていた。
隣の岩戸幼稚園には、こんなかわいらしい置物がある。
そばの印旛村歴史民俗資料館が今日の昼食地。12時5分に着い
た。館内は、アスベストの撤去作業で休館中。トイレのみ借り、隣の
体育館の軒下で昼食をした。
=印西の集落を結んで=
記念撮影をして、12時48分に午後のコースに向かう。
泉福寺の墓地横を下り、県道263号に出る。やや車が多いので、
田んぼを過ぎたところから山すその旧道に回る。東場から馬場台へ
と、台地上の集落を抜けるカーブの多い道を回り込み、萬福寺へ。
今日は永福寺、泉福寺、萬福寺と、ここで三つ目の福の名の寺。
みんな福の神に恵まれそう。本堂は鉄筋で近代的だが、方形屋根
の薬師堂は趣ある造り。
ここは、2月に、やまさんが企画した55㎞ウオーク2日目の昼食
地だったところ。今は薬師堂前のキクが花盛りである。
印旛沼から出る新川の、右岸に広がる田園地帯を抜け、印西市
に入る。台地を上がって松崎へ。火皇子神社の先のケイトウ畑に、
色鮮やかな花が咲き残っていた。
集落の中心にあった多門院で少し長目の休憩をする。
ここにも方形屋根のりっぱな毘沙門堂があり、そばの大イチョウ
の下には、ギンナンがたくさん落ちていた。
次の馬場集落に上がり、広葉樹がうっそうとした宗像神社に少
しだけ寄り道。2度目の四国遍路中のNさんから電話があり、雨
の中、最初の「遍路転がし」、12番焼山寺を越えて宿に向かう
ところとのことだった。
船尾から野口へは車の多い車道を避け、並行するカシの並木の
ある里道を進む。T字路の角に、冬ザクラが咲き出していた。
前方に、千葉ニュータウンの集合住宅群が近づいてきた。その
住宅地に入り、色づいたケヤキや桜などの街路樹の通りや、遊歩
道を抜けて駅に向かう。
南北に走る広い道路の上を橋で横切ると、川の名残だろうか両
側に豊富な森のある池が残り、湖面には白鳥、ダイサギ、オオバ
ンなどが見える。
午後はほとんど雨にあわず、気温は上がらなかったが、静かな
里道歩きを楽しみ、15時35分に、千葉にユータウン中央駅そば
の広場に着いた。
(天気 曇一時雨、参加 16人、距離 14㎞、地図(1/2.5万)
小林、白井、歩行地 千葉県印旛村、本埜村、印西市)