2009年11月15日(日)

カントリーウオークグループの第168回例会は、快晴に恵まれた。
集合駅の東武越生(おごせ)線・JR八高線越生駅に集まったのは17人。
駅入口の県道30号そばにある報恩寺で4組に分かれ、10時20分に寺を
出た。

ちなみに報恩寺は、天平10年(738)、僧行基が東国遊行の折、5体の
像を祭ったのが起こりとか。その後、源頼朝が再興、徳川家康からは寺領
20石を賜わったという。
寺には、国重要文化財の釈迦三尊像と高野丹生(こうやにう)明神像など
があり、越生七福神の恵比寿神が祭られている。
=大高取山ろくを虚空蔵まで=
寺の北側の車道に出ると、すぐ先に越生絹会館の新しい建物が目につき、
建物の前に「越生生絹発祥之地」の石碑と由来碑がある。
由来碑には、越生特産の生絹は霊亀2年(716)の頃、この地に渡来した
高麗人が伝授したのが起源で、奈良東大寺が建立されたときには、正倉院
に絹布を献上したことなどが記されていた。
建物に入ったが、展示物などはなく、法要などに使う施設として、織物商
工業協同組合が造ったものらしい。
坂を上がって、樹林に囲まれた越生神社に行く。神社は、源頼朝の命に
より報恩寺を再興した越生二郎家行の氏神として祭ったものとか。

今日はちょうど七五三の日、着飾った幼児とご家族が数組、参拝に訪れ
ていた。
大高取山山腹にいちばん近い道を南に進む。ユズが実りドウダンツツジが
よい彩り。地図上の道路が無くなったが、梅林に沿った野道を抜ける。

梅林の片隅で、十月桜がかなり花開いていた。
南側の道路に出て、古木の梅林の横を進んで、静かなたたずまいの医王
寺へ。

境内のミカンが、たわわに実を付けていた。
さらに南に向かうと、小さな枝にたくさんの実を付けたミカン畑がある。
田んぼの尽きたあたりの高台に、大イチョウが色鮮やかな黄葉を見せる。

そこは集合地の虚空蔵尊(こくぞうそん)の下のお堂で、11時25分に着
いた。
どのグループも着いていないので、108段の急な石段を上がって、虚空
蔵尊の本堂にお参りする。
能満、智満、福満の三つの虚空蔵尊が祭られ、3月12、3日の縁日には、
だるま市や植木市などが出て賑わうという。今日はひっそりとした境内だ。
全グループ集合後、この上の大高取山山頂近くの広場まで上がり昼食の
予定だったが、正午近いのでここで昼食をすることになり、下のお堂の境内
に腰を下ろす。
=稜線から桂木観音経由でゆうパークに下る=
この先は、標高差200m余りの上り道となるが、足を痛めているMさん
には難しそうなので、Nさんが付き添って山腹を進むことになる。

記念撮影をして2人とひとまず別れ、ほかの16人は大高取山の稜線に
向かう。

杉林の下の沢に沿った林道を少しずつ上がる。真新しいログハウスがあ
り、「森林ボランティア活動拠点」と記されていた。さらに進むと、珍しくミツ
マタがたくさん自生していた。
標高250m付近で稜線に出て、やや急な上りとなった。右にカーブして
標高285m付近の「だいこうじ跡」と呼ぶ地点に出ると、東側の展望が開
ける。

眼下に越生の町並み、その先には関東平野の広々とした展望が広がる。
さいたま新都心や池袋のサンシャイン、新宿副都心の高層ビルなどが望ま
れ、その左手には、かすかに筑波山も姿を見せていた。
路傍のあちこちには、熟したキイチゴがあり、摘んで口にする。
標高376.4m三角点のある大高取山の少し下、幕岩と呼ぶ大岩のある
ところも切り開かれた展望台になっていて、再度関東平野や超高層ビル街
の展望を楽しんだ。


上側の林道を少し戻り、さらに上がって稜線上の道に出る。あまり陽の
差さぬ杉などの針葉樹林下を南に進んで、桂木観音に下った。

朱塗りの観音堂には、精巧な龍の彫刻が施され、10数本の桜が色づく。
境内からは、やはり東側に関東平野の展望がよい。
すぐ下の桂木集落の路傍に、小さな実の福ミカンや、ユズ、カリンの無人
販売所が2か所あり、1袋百円で販売している。

何人かが、ユズを購入した。
その桂木集落の斜面はユズ畑が多く、黄金色の実をたくさん付けていた。

ユズ畑の横で車道を離れて斜面をトラバースする山道に入り、往路の下の
稜線に出た。東に向かって下る広葉樹林の道をしばらく下って、ゆうパーク
越生に着いた。

かなり前に着いていたMさん、Nさんと一緒になり、休憩後、ゴールに向
かう。
毛呂本郷で越辺川の支流沿いを少し進み、上野一区の東山神社に入る。

ここでミーティングをして、来月の忘年例会などについて打ち合わせる。
唐沢で八高線の線路を越え、ゴールの東武越生線武州唐沢駅には、16時
6分に着いた。
(天気 快晴後晴、参加 18人、地図(1/2.5万) 越生、歩行地 越生町、
毛呂山町、距離 10㎞、標高差(累積)約930m、歩数 18,200)
カントリーウオークグループの第168回例会は、快晴に恵まれた。
集合駅の東武越生(おごせ)線・JR八高線越生駅に集まったのは17人。
駅入口の県道30号そばにある報恩寺で4組に分かれ、10時20分に寺を
出た。

ちなみに報恩寺は、天平10年(738)、僧行基が東国遊行の折、5体の
像を祭ったのが起こりとか。その後、源頼朝が再興、徳川家康からは寺領
20石を賜わったという。
寺には、国重要文化財の釈迦三尊像と高野丹生(こうやにう)明神像など
があり、越生七福神の恵比寿神が祭られている。
=大高取山ろくを虚空蔵まで=
寺の北側の車道に出ると、すぐ先に越生絹会館の新しい建物が目につき、
建物の前に「越生生絹発祥之地」の石碑と由来碑がある。
由来碑には、越生特産の生絹は霊亀2年(716)の頃、この地に渡来した
高麗人が伝授したのが起源で、奈良東大寺が建立されたときには、正倉院
に絹布を献上したことなどが記されていた。
建物に入ったが、展示物などはなく、法要などに使う施設として、織物商
工業協同組合が造ったものらしい。
坂を上がって、樹林に囲まれた越生神社に行く。神社は、源頼朝の命に
より報恩寺を再興した越生二郎家行の氏神として祭ったものとか。

今日はちょうど七五三の日、着飾った幼児とご家族が数組、参拝に訪れ
ていた。
大高取山山腹にいちばん近い道を南に進む。ユズが実りドウダンツツジが
よい彩り。地図上の道路が無くなったが、梅林に沿った野道を抜ける。

梅林の片隅で、十月桜がかなり花開いていた。
南側の道路に出て、古木の梅林の横を進んで、静かなたたずまいの医王
寺へ。

境内のミカンが、たわわに実を付けていた。
さらに南に向かうと、小さな枝にたくさんの実を付けたミカン畑がある。
田んぼの尽きたあたりの高台に、大イチョウが色鮮やかな黄葉を見せる。

そこは集合地の虚空蔵尊(こくぞうそん)の下のお堂で、11時25分に着
いた。
どのグループも着いていないので、108段の急な石段を上がって、虚空
蔵尊の本堂にお参りする。
能満、智満、福満の三つの虚空蔵尊が祭られ、3月12、3日の縁日には、
だるま市や植木市などが出て賑わうという。今日はひっそりとした境内だ。
全グループ集合後、この上の大高取山山頂近くの広場まで上がり昼食の
予定だったが、正午近いのでここで昼食をすることになり、下のお堂の境内
に腰を下ろす。
=稜線から桂木観音経由でゆうパークに下る=
この先は、標高差200m余りの上り道となるが、足を痛めているMさん
には難しそうなので、Nさんが付き添って山腹を進むことになる。

記念撮影をして2人とひとまず別れ、ほかの16人は大高取山の稜線に
向かう。

杉林の下の沢に沿った林道を少しずつ上がる。真新しいログハウスがあ
り、「森林ボランティア活動拠点」と記されていた。さらに進むと、珍しくミツ
マタがたくさん自生していた。
標高250m付近で稜線に出て、やや急な上りとなった。右にカーブして
標高285m付近の「だいこうじ跡」と呼ぶ地点に出ると、東側の展望が開
ける。

眼下に越生の町並み、その先には関東平野の広々とした展望が広がる。
さいたま新都心や池袋のサンシャイン、新宿副都心の高層ビルなどが望ま
れ、その左手には、かすかに筑波山も姿を見せていた。
路傍のあちこちには、熟したキイチゴがあり、摘んで口にする。
標高376.4m三角点のある大高取山の少し下、幕岩と呼ぶ大岩のある
ところも切り開かれた展望台になっていて、再度関東平野や超高層ビル街
の展望を楽しんだ。


上側の林道を少し戻り、さらに上がって稜線上の道に出る。あまり陽の
差さぬ杉などの針葉樹林下を南に進んで、桂木観音に下った。

朱塗りの観音堂には、精巧な龍の彫刻が施され、10数本の桜が色づく。
境内からは、やはり東側に関東平野の展望がよい。
すぐ下の桂木集落の路傍に、小さな実の福ミカンや、ユズ、カリンの無人
販売所が2か所あり、1袋百円で販売している。

何人かが、ユズを購入した。
その桂木集落の斜面はユズ畑が多く、黄金色の実をたくさん付けていた。

ユズ畑の横で車道を離れて斜面をトラバースする山道に入り、往路の下の
稜線に出た。東に向かって下る広葉樹林の道をしばらく下って、ゆうパーク
越生に着いた。

かなり前に着いていたMさん、Nさんと一緒になり、休憩後、ゴールに向
かう。
毛呂本郷で越辺川の支流沿いを少し進み、上野一区の東山神社に入る。

ここでミーティングをして、来月の忘年例会などについて打ち合わせる。
唐沢で八高線の線路を越え、ゴールの東武越生線武州唐沢駅には、16時
6分に着いた。
(天気 快晴後晴、参加 18人、地図(1/2.5万) 越生、歩行地 越生町、
毛呂山町、距離 10㎞、標高差(累積)約930m、歩数 18,200)