2009年10月29日(木)
奈良市・新大宮駅に近いビジネスホテルを出て、近鉄奈良駅まで行く。
構内のコインロッカーに荷物を預け、市内循環バスで破石(われいし)町
バス停で降りた。
バスの通る県道80号の東側、高畠町の静かなたたずまいの家並みへ。
これから仕事に向かうのだろうか。人力車と行き交う。
さらに東に進んで、新薬師寺のそばまで進むと、鏡神社があった。大同
元年(806)、新薬師寺の鎮守として勧請(かんじょう)されたと伝わる古社。
この本殿は、春日大社第47代式年造替の延享3年(1746)に第三殿を、
ここ鏡神社に譲渡されたものだという。
隣接して新薬師寺があり、山門をくぐると正面に奈良時代建立で国宝の
本堂が立つ。
堂内には、平安前期の作で国宝の薬師如来座像を囲んで、わが国最古
最大という国宝の十二神将像が、力強いお姿で並んでいた。
新薬師寺は、聖武天皇の眼病平癒祈願のため、天平19年(747)、勅
願により光明皇后によって建立されたとのこと。
新薬師寺の「新」は、「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意
味だという。
緑の豊富な境内には、大きなクロガネモチが赤い実を付け、桜の紅葉も見
ごろ。下にはハギも花を残していた。モミジの紅葉はもう少し先になりそう。
鎌倉時代の弘安2年(1279)の棟札のある鐘楼は国重要文化財。中の
梵鐘は天平時代の貴重なものでやはり国重文、日本霊異記ある道場法師
鬼退治の釣鐘として名高いという。
この地蔵堂も、鎌倉時代の建立で国の重要文化財である。
ほかに南門と東門はともに鎌倉時代のもので、国重要文化財に指定され
ている。
新薬師寺を出て、南に向かう道すじの角、二か所に地蔵尊群があった。
これはその一つ中尾谷地蔵尊である。
古くからの民家の間を縫う細道の途中に、はさ掛けの田んぼも見られた。
さらに進んで、東山緑地の一角にある修景池の横を南に下る。
緑地の中を抜ける東海自然歩道を東に進むと、白毫寺(びゃくごうじ)の下
に出た。
ハギに挟まれた石段を上がり、山門をくぐって白毫寺境内へ。
白毫寺の草創については諸説があるが、建武2年(1235)の縁起によれ
ば、鎌倉中期に再興・整備されたという。
白毫とは、仏の眉間(みけん)にあり光明を放つという白い毛のことらしい。
江戸時代初めの慶長年間(1596~)頃の再興と見られるというこの本堂で、
勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像などを拝観した。
境内南側には、樹齢約400年で県の天然記念物である、この五色ツバキ
など、ツバキの古木が多い。
本堂背後にある宝蔵。
中には、本尊の阿弥陀如来座像や、閻魔大王座像、地蔵菩薩立像などの
重要文化財数点が並んでいた。
白毫寺は高台にあるので、境内の一角からは北方の奈良公園方面↓や、
西方の展望が広がるが、この日は霞んでいて生駒山などの遠望は利かな
かった。
広い境内は豊富な木々に囲まれ、東側斜面を回る石仏の路(みち)には、
十王地蔵など古い石仏が十数体並んでいる。
子福(こふく)桜と呼ぶ寒桜の白い花が数輪、花を開いていた。
白毫寺の拝観を終え、「歴史の道」の道標に従い、西に下る細い路地沿
いに並ぶ家並みの間を少し進み、右折して北に向かう。
西勝寺のそばに宅春日神社という社があった。社殿は明和4年(1767)
以来、約240年間、20年ごとに造営を重ね、3年前の平成18年に13回
目の造営をしたことが記されていた。
往路に入ってもとの道を戻る。たわわに実る柿の木。
民家の傍らのカツラだろうか、よい彩りを見せている。
新薬師寺の近くにある、入江泰吉記念 奈良市写真美術館に入る。
館内では12月23日(水・祝)まで、「入江泰吉 万葉恋文」と題する写真展
を開催中。奈良に生まれ育った入江泰吉(たいきち)が捉えた、日本最古の
歌集・万葉集にうたわれた地元大和を中心にした山河や、草木花、景観など
の素晴らしい写真の数々をゆっくりと鑑賞した。
県道80号に戻り、破石バス停近くにあった「觀」というそば店で昼食を済ま
せ、JR奈良駅に行く。
13時39分発快速みやこ路で京都まで行き、京都国立博物館にて11月
23日(日・祝)まで開催中の「日蓮と法華の名宝」展を鑑賞する。
前日の奈良国立博物館での「正倉院展」は大変な込みようだったが、こちら
は観客が少なく、京都十六本山を中心とした日蓮ゆかりの絵画や文書など、
宝物の数々を間近に観覧することが出来た。
3日間、かけ足での社寺や展覧会巡りを終え、JR京都駅17時29分発の
ひかり526号で東京駅に向かった。
奈良市・新大宮駅に近いビジネスホテルを出て、近鉄奈良駅まで行く。
構内のコインロッカーに荷物を預け、市内循環バスで破石(われいし)町
バス停で降りた。
バスの通る県道80号の東側、高畠町の静かなたたずまいの家並みへ。
これから仕事に向かうのだろうか。人力車と行き交う。
さらに東に進んで、新薬師寺のそばまで進むと、鏡神社があった。大同
元年(806)、新薬師寺の鎮守として勧請(かんじょう)されたと伝わる古社。
この本殿は、春日大社第47代式年造替の延享3年(1746)に第三殿を、
ここ鏡神社に譲渡されたものだという。
隣接して新薬師寺があり、山門をくぐると正面に奈良時代建立で国宝の
本堂が立つ。
堂内には、平安前期の作で国宝の薬師如来座像を囲んで、わが国最古
最大という国宝の十二神将像が、力強いお姿で並んでいた。
新薬師寺は、聖武天皇の眼病平癒祈願のため、天平19年(747)、勅
願により光明皇后によって建立されたとのこと。
新薬師寺の「新」は、「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意
味だという。
緑の豊富な境内には、大きなクロガネモチが赤い実を付け、桜の紅葉も見
ごろ。下にはハギも花を残していた。モミジの紅葉はもう少し先になりそう。
鎌倉時代の弘安2年(1279)の棟札のある鐘楼は国重要文化財。中の
梵鐘は天平時代の貴重なものでやはり国重文、日本霊異記ある道場法師
鬼退治の釣鐘として名高いという。
この地蔵堂も、鎌倉時代の建立で国の重要文化財である。
ほかに南門と東門はともに鎌倉時代のもので、国重要文化財に指定され
ている。
新薬師寺を出て、南に向かう道すじの角、二か所に地蔵尊群があった。
これはその一つ中尾谷地蔵尊である。
古くからの民家の間を縫う細道の途中に、はさ掛けの田んぼも見られた。
さらに進んで、東山緑地の一角にある修景池の横を南に下る。
緑地の中を抜ける東海自然歩道を東に進むと、白毫寺(びゃくごうじ)の下
に出た。
ハギに挟まれた石段を上がり、山門をくぐって白毫寺境内へ。
白毫寺の草創については諸説があるが、建武2年(1235)の縁起によれ
ば、鎌倉中期に再興・整備されたという。
白毫とは、仏の眉間(みけん)にあり光明を放つという白い毛のことらしい。
江戸時代初めの慶長年間(1596~)頃の再興と見られるというこの本堂で、
勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像などを拝観した。
境内南側には、樹齢約400年で県の天然記念物である、この五色ツバキ
など、ツバキの古木が多い。
本堂背後にある宝蔵。
中には、本尊の阿弥陀如来座像や、閻魔大王座像、地蔵菩薩立像などの
重要文化財数点が並んでいた。
白毫寺は高台にあるので、境内の一角からは北方の奈良公園方面↓や、
西方の展望が広がるが、この日は霞んでいて生駒山などの遠望は利かな
かった。
広い境内は豊富な木々に囲まれ、東側斜面を回る石仏の路(みち)には、
十王地蔵など古い石仏が十数体並んでいる。
子福(こふく)桜と呼ぶ寒桜の白い花が数輪、花を開いていた。
白毫寺の拝観を終え、「歴史の道」の道標に従い、西に下る細い路地沿
いに並ぶ家並みの間を少し進み、右折して北に向かう。
西勝寺のそばに宅春日神社という社があった。社殿は明和4年(1767)
以来、約240年間、20年ごとに造営を重ね、3年前の平成18年に13回
目の造営をしたことが記されていた。
往路に入ってもとの道を戻る。たわわに実る柿の木。
民家の傍らのカツラだろうか、よい彩りを見せている。
新薬師寺の近くにある、入江泰吉記念 奈良市写真美術館に入る。
館内では12月23日(水・祝)まで、「入江泰吉 万葉恋文」と題する写真展
を開催中。奈良に生まれ育った入江泰吉(たいきち)が捉えた、日本最古の
歌集・万葉集にうたわれた地元大和を中心にした山河や、草木花、景観など
の素晴らしい写真の数々をゆっくりと鑑賞した。
県道80号に戻り、破石バス停近くにあった「觀」というそば店で昼食を済ま
せ、JR奈良駅に行く。
13時39分発快速みやこ路で京都まで行き、京都国立博物館にて11月
23日(日・祝)まで開催中の「日蓮と法華の名宝」展を鑑賞する。
前日の奈良国立博物館での「正倉院展」は大変な込みようだったが、こちら
は観客が少なく、京都十六本山を中心とした日蓮ゆかりの絵画や文書など、
宝物の数々を間近に観覧することが出来た。
3日間、かけ足での社寺や展覧会巡りを終え、JR京都駅17時29分発の
ひかり526号で東京駅に向かった。