あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 JR武蔵野線 西国分寺駅(東京)

2010-12-20 21:31:33 | カタツムリ歩行
 2010年12月19日(日)

 JR武蔵野線とその周辺の駅を、カタツムリのようにのんびりじっくりと、年10回
歩く「カタツムリ歩行」が、この日、まる20周年となる第200回記念例会を迎えた。

 集合は、JR武蔵野線と中央線とが交差する西国分寺駅。参加者は、思い思い
に数人ずつのグループを作り、行きたい方向を回って正午のゴールを目指す。

 私も最後の、事務局のDさんたちのグループに入り、10時過ぎに出発した。  

 中央線の北側、武蔵野線の東側すぐの、駅ホームが見えるところに、姿見の池
緑地保全地域というのがあり、武蔵野を偲ばせる雑木林に遊歩道がついていた。


 保全地域の東端には姿見の池があり、探鳥のために望遠レンズ付きのカメラを
構えた数人が待っていた。

 鎌倉街道の宿場があった恋ヶ窪の遊女が、朝夕自分の姿を映したことから「姿見の
池」と呼ばれるようになったとか。大岡昇平著「武蔵野夫人」の舞台でもあるという。

 柿やユズなどの実る西恋ヶ窪の住宅地を進んで、西武国分寺線の線路に近い熊野
神社に行く。

 創建は、少なくとも1,000年以上前といわれ、国分寺市最古の神社らしい。境内東
側には、幹周り3.9mあるという、すっかり葉の落ちたケヤキの高木が立っていた。

 社殿の近くには芭蕉句碑と、地元恋ヶ窪出身の俳人、可尊の句碑が並んでいる。

 駅に戻るように南に進んで、東福寺に入る。社殿はコンクリート造りで、趣に乏しい。


 武蔵野線の西側に回り、西恋ヶ窪二丁目の市民農園の横を通過する。


 掘り割りになっているJR中央線の上を、車の通れぬ跨線橋で渡り泉町三丁目へ。
線路際に、国分寺市保存樹林地となっている一角があるが、周囲を柵で囲んであり、
中に入ることは出来ない。


 西国分寺駅前まで戻り、中央線の南側を東に抜けて、新しい集合住宅や情報通信
総合研究所の横を進み、広々とした原っぱになっている都立武蔵国分寺公園の円形
広場に入った。

 穏やかな日差しに誘われて来た家族が、たこ揚げをしたり散策を楽しんでいる。

 この公園は、旧国鉄の鉄道学園跡地に作られたもので、毎年11月第1日曜に開催
される「国分寺まつり」の会場になるという。

 ちなみに、「国分寺まつり」は、市民まつり、商工まつり、農業祭が一堂に会して開
かれる市内最大のイベントで、姉妹都市・佐渡市の物産直売や伝統芸能の披露、市
民手づくりの模擬店や、ステージ、パレードなどがくりひろげられるようだ。

 広場の南西にある「武蔵の池」↓の橋を渡り、南側の広葉樹林の中の散策路を抜
ける。


 林の縁にある、大きなコブシの枝一面にある芽が、かなりふくらんできていた。


 広葉樹林下の急坂を下って行くと、弁財天が祭られていて、そばに東京都名勝とな
っている「真姿の池(ますがたのいけ)湧水群」の水源があり、名水をくむ人もいる。


 すぐ下流の農家が、国分寺の地場野菜販売所となっていて、販売品のカブを湧水に
浸して、鮮度を保っている。 これなら、みずみずしくておいしそう…。


 湧水の流れるこのあたりは、江戸時代に尾張徳川家のお鷹場にあたっていたことから
いつのころからか「お鷹の道」と呼ばれ、昭和47~48年(1972~3)に国分寺市が
遊歩道として整備し、木々の多い民家の間を抜ける細道は、よい散策路となっている。


 お鷹の道を西に進み、武蔵国分寺の門前を通過する。正面の本堂は、昭和62年
(1987)に改築されたもの。境内には、文化財保存館や万葉植物園などがある。


 西側の石段を上がって国分寺薬師堂前を進み、隣接する今日のゴール、八幡神社
に12時8分に着いた。


 昼食後、社殿の前で、200回記念例会の参加者一同が記念撮影をする。


 その後、年末恒例の参加賞が並べられ、今年の参加回数順に欲しいものをもらう。


 最後に、20年前にこの歩きを企画した、やまさんから、このカタツムリ歩行の基本
的な歩き方についての提言があった。


 気温はさほど上がらなかったが好天に恵まれ、来年2月の再会を約し、13時近くに
散会となった。

 (天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市)
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