2011年5月28日(土)
関東百駅巡礼歩行の第74番に参加した。集合は、西武秩父線の西吾野(にしあがの)駅。
1日中雨の予報か、参加者は4人と少な目。でも、宇都宮や茅ヶ崎からも来られたので、参
加の可否はその人の気持ち次第ということか…。

10時50分、標高約250mの西吾野駅をスタートした。

駅周辺は、奥武蔵の山に囲まれた谷間にあり、豊富な新緑が広がり、ツツジやシャクナゲ
などが雨に濡れて咲いている。

駅近くの天神社に立ち寄り、国道299号に出て南に向かう。国道に面した民家に「ロック
ガーデンカフェ」の看板が出ていた。

国道を500m足らずで、「子(ね)の権現」の看板のところから、細い流れに沿った谷間の
狭い車道に入る。道沿いは湿気が多いのか、花の咲き出したユキノシタが至るところで見ら
れる。

道路沿いの大岩ノ下に、六面体の古い石仏が立つ。この谷間でただ一つの集落、小床(こ
ゆか)には寺もなく平地が少ないので、山林に個々の家のものらしい墓地が点在している。
墓地の一つに、可愛らしい2体のお地蔵さんが立っていた。

民家の庭先にコデマリが咲き、路傍にはシャクヤクや花菖蒲、ヤマアジサイなどの花が見ら
れる。

クリンソウの咲く一角もあり、シャガもあちこちで目についた。

集落の一番奥に、朱塗りの鳥居が立つ小さい社があり、その手前左手から杉木立の山道に
入った。杉はまださほど太くはないが、よく枝打ちされ、幹のかなり上部まですっきりしている。

少しずつ高度を上げ、右からの山道と合した小さい峠の三差路に、自然石に「天寺へ十二
丁」と刻まれた古い道しるべが残っていた。

少し下ってからさらに緩やかに上りが続く。下久痛集落からの山道と合したあたりからは、高
度が上がって一面濃いガスに包まれ、幻想的な風景となる。

やがて車道に出た。青葉戸からの登山路の先から斜面の山道を上がると、車道と合流して
子の権現天龍寺境内へ。13時5分に到着した。

山門の手前に、見事な大杉が立つていた。県天然記念物、二本杉のひとつで、樹齢およそ千
年といわれているという。横に並ぶもう1本は枯れていた。
山門の先、両側に大きな仁王像が屋根無しで立ち、さらに進むと正面に、かやと杉皮とを交互
に重ねて葺(ふ)いた、重厚な屋根が特徴的な本坊がある。

子の権現・天龍寺は、延喜11年(911)年に子の聖(ねのひじり)が十一面観音を祭って創建
したという。当時から足腰守護の神仏として信仰されているようだ。

標高は約630m、境内には、日本一の黄金色のわらじや、大きな下駄2足が奉納されている。
十一面観音を祭る観音堂には本物のわらじが、その前にも、ミニわらじがたくさん奉納されていた。

そばに、開放された閻魔(えんま)堂があり、えんまさんがにらんでいた。観音堂の背後に回り、
広い屋根の下で雨を避けて昼食にした。

13時50分に下山にかかる。雨は幸いずっと小降りだが、ガスは相変わらず濃い。
山門近くに土産店が1軒開いていて、奥武蔵の土産物や山菜、農産物などを販売している。女性
お2人は、山菜などを求めた。
帰路は、東側の青葉戸へのコースへ。やはり杉木立に覆われた林間の山道だが、往路より斜度
が幾分急なので、滑らぬよう注意しながら慎重に下って行く。
山道の最後は、石段を降りて降摩橋を渡り、車道に出た。青葉戸最奥の住宅があり、さらに下って
行くと、数戸の住宅の一角に「浅見茶屋」と呼ぶ茶店があった。

昔の茶屋の風情がたっぷりの店なので、入って小休止することにした。やまさんが購入した手造り
の草餅をごちそうになり、お茶をいただく。

建物は築150年を超え、店も3代続く家族だけで運営している。分厚い木製のテーブルや、厚い木
の板に張られたメニューも、茶屋の雰囲気をいっそう引き立ててくれる。思いがけぬ店だった。
そばに朱塗りのお堂があり、さらに下って行くと、350年前から住んでいたと記された小さいが一風
変わった家屋があったが、休業となっていた。
高松宮殿下と歌人佐佐木信綱の歌が刻まれた歌碑の立つ、東郷公園の横を過ぎ、高麗川と国道
299号、そして西武秩父線とが平行する芳延橋際に出る。
橋は渡らず、手前の高麗川右岸に沿った狭い道を進む。西武線に接した高見に上がると、中尾の
集落や行く手の線路が見下ろせる。

山砂を採取する採石場のそばを通過し、駅の近くに咲くモミジの花などを眺めながら進み、15時45
分に吾野駅に着いた。

かなりの雨を予想したが、始終小降りで済み、土の道も滑ることなく、新緑や初夏の花を一杯眺め
ながらのハイキングを楽しんだ。
(参加 4人、天気 雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 正丸峠、原市場、歩行地 飯能市、歩数
18,800、累積標高差 約1,040m)

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関東百駅巡礼歩行の第74番に参加した。集合は、西武秩父線の西吾野(にしあがの)駅。
1日中雨の予報か、参加者は4人と少な目。でも、宇都宮や茅ヶ崎からも来られたので、参
加の可否はその人の気持ち次第ということか…。

10時50分、標高約250mの西吾野駅をスタートした。

駅周辺は、奥武蔵の山に囲まれた谷間にあり、豊富な新緑が広がり、ツツジやシャクナゲ
などが雨に濡れて咲いている。

駅近くの天神社に立ち寄り、国道299号に出て南に向かう。国道に面した民家に「ロック
ガーデンカフェ」の看板が出ていた。

国道を500m足らずで、「子(ね)の権現」の看板のところから、細い流れに沿った谷間の
狭い車道に入る。道沿いは湿気が多いのか、花の咲き出したユキノシタが至るところで見ら
れる。

道路沿いの大岩ノ下に、六面体の古い石仏が立つ。この谷間でただ一つの集落、小床(こ
ゆか)には寺もなく平地が少ないので、山林に個々の家のものらしい墓地が点在している。
墓地の一つに、可愛らしい2体のお地蔵さんが立っていた。

民家の庭先にコデマリが咲き、路傍にはシャクヤクや花菖蒲、ヤマアジサイなどの花が見ら
れる。

クリンソウの咲く一角もあり、シャガもあちこちで目についた。

集落の一番奥に、朱塗りの鳥居が立つ小さい社があり、その手前左手から杉木立の山道に
入った。杉はまださほど太くはないが、よく枝打ちされ、幹のかなり上部まですっきりしている。

少しずつ高度を上げ、右からの山道と合した小さい峠の三差路に、自然石に「天寺へ十二
丁」と刻まれた古い道しるべが残っていた。

少し下ってからさらに緩やかに上りが続く。下久痛集落からの山道と合したあたりからは、高
度が上がって一面濃いガスに包まれ、幻想的な風景となる。

やがて車道に出た。青葉戸からの登山路の先から斜面の山道を上がると、車道と合流して
子の権現天龍寺境内へ。13時5分に到着した。

山門の手前に、見事な大杉が立つていた。県天然記念物、二本杉のひとつで、樹齢およそ千
年といわれているという。横に並ぶもう1本は枯れていた。
山門の先、両側に大きな仁王像が屋根無しで立ち、さらに進むと正面に、かやと杉皮とを交互
に重ねて葺(ふ)いた、重厚な屋根が特徴的な本坊がある。

子の権現・天龍寺は、延喜11年(911)年に子の聖(ねのひじり)が十一面観音を祭って創建
したという。当時から足腰守護の神仏として信仰されているようだ。

標高は約630m、境内には、日本一の黄金色のわらじや、大きな下駄2足が奉納されている。
十一面観音を祭る観音堂には本物のわらじが、その前にも、ミニわらじがたくさん奉納されていた。

そばに、開放された閻魔(えんま)堂があり、えんまさんがにらんでいた。観音堂の背後に回り、
広い屋根の下で雨を避けて昼食にした。

13時50分に下山にかかる。雨は幸いずっと小降りだが、ガスは相変わらず濃い。
山門近くに土産店が1軒開いていて、奥武蔵の土産物や山菜、農産物などを販売している。女性
お2人は、山菜などを求めた。
帰路は、東側の青葉戸へのコースへ。やはり杉木立に覆われた林間の山道だが、往路より斜度
が幾分急なので、滑らぬよう注意しながら慎重に下って行く。
山道の最後は、石段を降りて降摩橋を渡り、車道に出た。青葉戸最奥の住宅があり、さらに下って
行くと、数戸の住宅の一角に「浅見茶屋」と呼ぶ茶店があった。

昔の茶屋の風情がたっぷりの店なので、入って小休止することにした。やまさんが購入した手造り
の草餅をごちそうになり、お茶をいただく。

建物は築150年を超え、店も3代続く家族だけで運営している。分厚い木製のテーブルや、厚い木
の板に張られたメニューも、茶屋の雰囲気をいっそう引き立ててくれる。思いがけぬ店だった。
そばに朱塗りのお堂があり、さらに下って行くと、350年前から住んでいたと記された小さいが一風
変わった家屋があったが、休業となっていた。
高松宮殿下と歌人佐佐木信綱の歌が刻まれた歌碑の立つ、東郷公園の横を過ぎ、高麗川と国道
299号、そして西武秩父線とが平行する芳延橋際に出る。
橋は渡らず、手前の高麗川右岸に沿った狭い道を進む。西武線に接した高見に上がると、中尾の
集落や行く手の線路が見下ろせる。

山砂を採取する採石場のそばを通過し、駅の近くに咲くモミジの花などを眺めながら進み、15時45
分に吾野駅に着いた。

かなりの雨を予想したが、始終小降りで済み、土の道も滑ることなく、新緑や初夏の花を一杯眺め
ながらのハイキングを楽しんだ。
(参加 4人、天気 雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 正丸峠、原市場、歩行地 飯能市、歩数
18,800、累積標高差 約1,040m)

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