あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

館林の茂林寺からつつじが岡公園へ(群馬)

2011-05-05 22:15:53 | ウオーキング
 好天の予報に誘われ、みどりの日の5月4日(水)、花と新緑を訪ねて館林市内へのウオーキング
を試みた。

 自宅を8時過ぎに出て、大宮、久喜を経て、東武伊勢崎線の茂林寺前駅に、10時ちょうどに着く。

 まずは、分福茶釜で知られる、近くの茂林寺に向かう。駅を降りた観光客の皆さんは、南側の車道
を回って茂林寺に入ったようだが、私は以前歩いて知っていた手前の住宅地から、菜の花の咲き残
る休耕田を抜ける近道をして、墓地から境内に入った。


 茂林寺は、応永2年(1468)、青柳城主赤井正光が開基した曹洞宗の名刹(めいさつ)。本堂は、
重厚なかやぶき屋根である。


 本堂の後部などに展示されている、宝物の数々を拝観することにした。その一つ、これが世に知られ
た分福茶釜である。

 元亀元年(1570)夏の法会(ほうえ)があったとき、喫茶の用に供する湯釜がなくて寺で困って
いた際、代々の住職に仕えた守鶴和尚が、どこからか持ってきて、茶堂に備えたところ、不思議
にも常にくんでも湯は尽きなかったのだという。

 守鶴和尚は、天正15年(1587)5月、寺を去って行方不明となり、後生、タヌキの化身と伝える
ものがあり、分福茶釜のおとぎ話が生まれたようだ。

 境内には、守鶴和尚ゆかりのタヌキがたくさん並び、端午の節句にちなむ飾り付けが施されて
いた。


 寺の北側は、茂林寺沼と低地湿原が広がっていて、湿原を抜ける遊歩道がつけられている、


 遊歩道を北に進んで、茂林寺川の橋を渡る。 


 南北に流れる茂林寺川の東側一帯が、3月26日(土)にオープンした「野鳥の森ガーデン」である。

 東武グループの東武緑地(株)が設計、施工し、管理、運営しており、約8万㎡あるという園内の中
心を占め、ちょうどいまがみごろの「芝桜のガーデン」を、まず回る。

 25万株というシバザクラが、赤、白、ピンクの彩りを競っていた。
 
 その南側には、「水辺のローズガーデン」があり、スイレンが咲き始め、メダカが泳いでいた。


 そばの「ロングボーダーガーデン」には、ルピナスなど、いろいろな花が咲いている。


 北西の茂林寺川沿いは「青のガーデン」、一面のネモフィラが、青のじゅうたんを広げていた。


 1時間近く散策して、多彩な花の彩りを楽しみ、野鳥の森ガーデンを出た。ちなみに入園料は、花
の咲き具合により500~1,800円の変動料金制。この日は1,100円だった。

 北側に残る赤松林は「館林野鳥の森」、遊歩道を進んで、中ほどにあった東屋で昼食をした。


 野鳥の森を東に抜けて、南美園町から松原二丁目へと住宅地を北東に進み、ツツジ祭りを開催
中の、県立つつじが岡公園に入る。


 ここは、古来からヤマツツジが自生し、つつじが崎と呼ばれており、伝説では、慶長10年(1605)
初代館林城主、榊原康政が、「お辻の方」をしのび、ヤマツツジを植えたことから本格的に整備され
たと伝えられているという。


 園内には、樹齢800年を超えるヤマツツジのほか、新田義貞の妻遺愛のツツジ、歴代城主、
篤志家、自治体などにより保護増殖が加えられた。

 現在は、50品種以上、約1万株のツツジが植栽されていて、世界にほこるツツジ園として国内
外に知られ、国指定名勝になっている。


 園内のツツジは、ちょうど今が見ごろで、たくさんの観光客が訪れていた。


 江戸時代からのものと思われる古木。ほかではあまり見られない見事な枝ぶり。


 なお、「館林つつじまつり」は4月15日から5月15日まで開催中で、入園料は600円である。

 25℃前後の暑さとなり、散策に疲れた人は緑陰でひと休み。右手(北側)には、城沼が東西に
伸びている。


 城沼からツツジを眺める遊覧船も、つぎつぎに通過していた。


 ツツジを見た後、城沼沿いに西に向かい、尾曳橋を渡ってそばの旧秋元邸に寄る。最後の館
林城主「秋元家」ゆかりの建物で、明治末から大正初期の建物と考えられ、和風建築と洋館が
あり、こちらは奥の洋館。


 北側の交差点を渡り、「館林市第二資料館」と呼ぶ、緑に囲まれた一角に入り、まず左手
にある上毛モスリンの事務所へ。

 明治41年(1908)から43年にかけて建てられたもので、和洋建築の技法を取り入れていて、
当時の建築技法の発展がうかがわれるものだという。

 内部も公開されていて、館内には、皇后陛下美智子妃の祖父、正田貞一郎氏が、日清製粉の
社長だった昭和10年代(1935~)に使ったという黒塗りの馬車などが展示されていた。

 右手奥には、明治の文豪、田山花袋の旧居も移設され公開されている。

 明治4年(1871)、旧館林藩士の子として館林に生まれた田山花袋が、7歳から14歳までの
約8年間過ごした家とのこと。

 近くにある館林市役所の南側、鶴生田川(つるうだがわ)には、鯉のぼりがたくさん泳いていた。


 県道7号の西に進み、武鷹館(ぶようかん)、長屋門、旧二業見番組合事務所、外池商店、毛塚
記念館など、町並みに残る古い建物を見て、16時52分に館林駅に着いた。

 (天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 館林、歩行地 館林市、歩数 19,400)


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