あるきメデス

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「街中がせせらぎ」という三島の水辺を歩く(静岡)

2011-12-09 12:04:03 | ウオーキング
 2011年11月9日(水)

 富士山の豊富な伏流水に恵まれる三島市は、「街中がせせらぎ」とうたっている。その
せせらぎを結んで、2時間ほどの散策を試みた。

 9時に、JR東海道本線と伊豆箱根鉄道の三島駅南口をスタートする。駅前の御幸通り
を東に向かい、最初の水辺のある菰池公園へ。菰池の名前の由来は、昔、マコモという植
物が群生していたので名付けられたとか。菰池の湧水は桜川の水源になっている。

 菰池から南へ、「水上の小道」と呼ぶ通りを200m余りで白滝公園がある。公園の中
に溶岩が露出したところがあり、それらの周辺に富士山からの雪解け水が湧き出している。


 この流れも菰池からの湧水と合流して、桜川の源流になっている。


 公園の南側ある白滝観音堂は、平安時代末に現在地の北にあったものを、江戸時代にこ
の地に移したといわれているという。



 白滝公園から先、桜川は東南の三嶋大社に向かって流れている。流れに沿った水上通り
の歩道には、「水辺の文学碑」と呼ばれる太宰治や若山牧水、正岡子規、司馬遼太郎など、
三島ゆかりの文学者10名の文学碑や句碑が続いている。




 水上通りが県道21号に合した東側が三嶋大社境内。その西端に三嶋大社の末社で、通
称「浦島さん」と呼ばれる祓所(はらえど)神社がある。

 国司が三嶋大社参拝の折、必ずお祓いをしたのが神社の起源とか。社殿は、桜川の流れ
を引き込んだ中に祭られていた。


 広大な三嶋大社境内の南側には、北条政子が勧請し、厚く信仰したと伝えられる厳島神
社を祭る神池がある。


 三嶋大社は、伊豆国の一宮、創建時期は不明だがその歴史は古く、源義朝が挙兵に際し
祈願して緒戦に勝利したことで知られているという。


 境内にある国天然記念物のキンモクセイは、目通り約4m、樹高約10m、樹齢1200
年という古木である。


 祓所神社のところから西へ、桜小路を少し進んで、北西へ向かう「搗屋のみち」を抜け
て白滝公園の南側に戻る。

 公園の南西端にあった「めぐみの子」と呼ぶ、水くみ人形の小屋に目をひかれた。


 白滝公園の西を走る県道51号を横切り、西側の浅間(せんげん)神社へ。古くは三嶋
大社の別宮で、かつては富士登山するものは必ずこの神社に詣でるのを常としていたとか。

 この境内からも湧水が出ていて、下流町村の潅漑用水になっているという。

 浅間神社の西側にあり、国天然記念及び名勝に指定されていて源兵衛川と蓮沼側の源流
になっている広い庭園、楽寿園の南側を進み、源兵衛川が楽寿園から流出する辺りに行く。

 楽寿園に接して「ほたるの里」↓があり、蓮沼川はここから南に流れ下っている。


 楽寿園は小松宮別邸があったことから、蓮沼川は「宮さんの川」とも呼ばれ、流れが一
時枯渇したのを、地域の有志が市と交渉して東レ工場の冷却水を流してもらうことになり、
清流が復活したとのこと。

 現在は流れに沿って水車や花壇などが設けられ、コイも泳ぐ市民憩いの水辺になっている。


 流れに沿って南下し、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅の横を通過する。旧東海道を東に少し
で、源兵衛川沿いの遊歩道に入ると、三石神社の「時の鐘」がある。

 宝暦11年(1761)に鋳造されたものが太平洋戦争に供出され、戦後の昭和25年
(1950)「平和の鐘」として復興したもの。

 川沿いで境内の狭い三石神社は、南側に祭られている。



 少し下流から、水辺に遊歩道が付けられているが、水量が多くて途中から水没していて歩
けず、上の道路に上がった。


 案内に従い、東に少し入って雷井戸(かみなりいど)に行く。かつては「田町水道」とい
われ、地域住民約70世帯の飲料水を供給する簡易水道の水源だったとか。

 管理費用と衛生面から現在は市水道に転換していて、生活用水としては利用されていない
という。


 源兵衛川沿いに戻り、「水の苑地」と呼ぶ緑多い一角で川に分かれて東へ、県道51号に
面して「水神の池」があり、やはり豊富な湧水が見られる。


 県道の東側には、東洋の古美術を広く収蔵した佐野美術館があるが、入館は次の機会とし、
県道から線路際を進んで、11時ちょうどに伊豆箱根鉄道の三島田町駅に着いた。

(天気 晴、距離 4㎞、地図 みしまっぷ(三嶋商工会議所編)、歩行地 三島市)



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コメント (2)
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