あるきメデス

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修善寺の東郊をカントリーウオーク(静岡・伊豆市)

2011-12-05 18:06:07 | カントリーウオーク
 2011年11月8日(火)

 国際ウオーキングトレイル実踏の前日、伊豆半島の中央部、温泉郷で知られる修善寺
(しゆぜんじ)の、中心街の東側郊外をカントリーウオークした。

 伊豆箱根鉄道駿豆線の終点、修善寺駅を12時45分にスタートする。町並みを東に
抜けて柏久保で古川の橋を渡り、右岸に沿った県道80号を進む。


 流れが県道に近づいたところに、頭の大きなお地蔵さんが祭られていた。


 熟した柿の実る古川集落のカーブ点で県道と分かれ、古川を渡って左岸の高見を走る
農道に回った。振り返ると、いま通過してきた柏久保の家並みなどが望まれる。


 対岸の古川集落や古川の流れなどを眺めながら進み、農道は橋を渡って冬桜の咲くと
ころで県道に上がった。


 この集落にもたくさん柿が実っている。


 「伊豆中央ケアセンター」と「修善寺しいたけの里」の看板が並ぶ三差路で県道を離
れ、そばの神社で休憩する。


 神社の横から南に向かう車道を上がり、台地上に出ると柿畑があり、その先で伊豆中
央ケアセンターへの交差点を通過する。交差点には、享保2年(1717)と刻まれた
石塔が立っていた。


 南面を流れる年川沿いの、年川集落に向かって下る。

 谷地田や棚田のそばを通過して年川を渡り、対岸の上和田集落に上がり、年川左岸に
沿った車道を南西に進む。

 上和田公会堂のすぐ先にあった、杉木立に囲まれた山神宮で小休止する。


 冷たい雨がぱらついてきたので、道祖神前バス停付近でザックカバーをして傘を出す。

 バス停の名になっている道祖神は、車で通過すると見落としてしまいそうなものだっ
た。その後、雨は降ったり止んだりを繰り返す。

 さらに南西に進み、地形図上の温泉マークのところには、源泉を掘削したときのもの
らしいやぐらが残っていた。


 イハラサイエンスの建物の先で三差路を左折して山すそを回り、西集落の入口にあっ
た法住寺に背後から下った。本堂は再建して新しく、境内に日蓮聖人の立像がある。


 集落の東まで回ると、斜面中腹にわずかな境内の神社があった。鳥居の横に「白岩層
化石群」の説明板が立ち、サメの歯や貝殻、地形図にも表示されている直径3~4㎜の
原生動物レピドサイクリナなどの化石が、この地で採集されたことが記されていた。


 1㎞ほど下流で大見川に合流する西川の橋を渡って、対岸の久保集落へ。橋の近くに
こんな建物がある。誰を待つのか、どんな人が記したのだろうか…。


 東西に走る車道を2本横断して、さらに南側の大見川に向かって下る。集落の中ほど
にある、たちばな幼稚園の広い園庭の一角に、大きなケヤキが枝を伸び伸びと広げていた。


 大見川の橋際に、対岸の小川集落の共同浴場の建物が見える。

 入って行きたいところだが、修善寺まで戻ると暗くなりそうなのでそのまま通過した。


 大見川の下流は、いままで通過してきた集落の川沿いより開けているので、家並みも
ゆったりと広がっている。


 次の田代集落にあった観音堂には、「田代信綱が伊豆国司の任を終えて京都に帰る折、
父藤原為綱から守り本尊にせよといわれて祭った坂東三番札所の千手千眼観音を、江戸
時代末期にこの地に移した」ことが記されていた。


 さらに進むと、「史跡田代信綱の墓と砦跡(とりであと)」の案内板が立ち、鎌倉時
代、源頼朝・義経旗下の知将として名をはせた田代冠者信綱が、地頭職としてこの田代
郷に住居を構えたことなどが記されていた。

 田代集落を抜けると北側は田園地帯となる。次の加殿集落のY字路を右に入り、秋流
山と記された寺の前を通過する。寺の西側に、たくさんこぶのついた高木が立っていた。



 行く手に、アンテナ塔の立つ城山(248m)が近づく。


 ケヤキの古木が目につく住宅の前などを通過し、集落の西にあった妙国寺に寄る。


 山門近くに立つ大カヤは、根回り6.1m、樹高15m、樹齢700~800年と推
定される古木で、伊豆市天然記念物に指定されている。


 狩野川への合流点近くで大見川の狩野橋を渡り、修善寺の町中に戻り、薄暗くなった
16時40分に修善寺駅に戻った。

(天気 曇時々雨 距離 12㎞、地図(1/2.5万) 修善寺、歩行地 伊豆市、
 歩数 21,000)



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