2016年1月2日(土)
今年の初歩きは、例年同様に東京都ウオーキング協会主催の「第14回江戸東京七福神
めぐり」に行く。この七福神めぐりは全部で7コースあるが、今回は「恵比寿コース」の
山手七福神に参加した。
集合はJR山手線恵比寿駅東口、ガーデンプレイスの北側にあるアメリカ橋公園。
ガーデンプレイス側には、渋谷区のコミュニティバス、ハチ公バスが待機していた。
主催者の挨拶とコース説明があり、準備体操をして体をほぐし、9時38分にスタート
した。
くすのき通りを東北東に進んで都道305号へ。さらに東進すると北里研究所病院があ
り、昨年12月にノーベル生理学・医学賞を受賞された、大村博士を祝うパネルが掲示さ
れていた。
桜田通り近くまで進み、最初に白金二丁目の立行寺(りゆうぎようじ)に入る。ここは
七福神の寺ではないが、墓地に祭られている大久保彦左衛門と一心太助の墓に参拝する。
大久保彦左衛門は天下のご意見番として知られ、立行寺は彦左衛門こと大久保忠教(た
だたか)により建立され、通称「大久保寺」と呼ばれているという。境内には、りっぱな
頌徳碑も建立されていた。
国道1号・桜田通りを少しで、白金台一丁目にある七福神の最初、毘沙門天の覚林寺
(かくりんじ)山門を入る。
「白金清正公(しろかねせいしょうこう)」で知られる覚林寺は、寛永8年(1631)
の創建。創建した可観院日延は、朝鮮の王族出身だが豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正
に捕えられ、のち千葉県小湊の誕生寺18世となり、当地に隠居し当寺を創建したという。
正面の加藤清正を祭った清正公堂に参拝の後、山門に近い毘沙門天堂に回って手を合わ
せた。
山門を出て少し戻り、南西に延びる都道302号・目黒通りへ。
この先七福神の多くはこの沿道にあり、次は500mほどの白金台三丁目に布袋尊の瑞
聖寺(ずいしようじ)がある。
関東には少ない黄檗宗(おうばくしゆう)の寺で、寛文10年(1670)の創建。江
戸で最初の黄檗宗寺院で関東黄檗宗派の巨刹(きょさつ)とも呼ばれ、創建の翌年には5
代将軍綱吉から10万石の格式を賜ったという。
広い境内の中心に、宝暦7年(1757)再建と推定される黄檗宗独特の造りで国指定
重要文化財の大雄宝殿(たいおうほうでん)を構え、布袋尊は、大雄宝殿の右手にあるお
堂に祭られていた。
白金台五丁目にあった公園でトイレ休憩後、南に少し入って、白金台三丁目の妙延寺
(みようえんじ)に行く。
妙延寺は瀧本院日忍(俗称瀧本采女、元和6年(1620没)が創建したといわれ、瀧
本采女が足利幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという妙見大菩薩が妙見堂↓に
祭られ、あわせて寿老人と福禄寿も祭られているが、堂内に上がる時間が無く、拝観は出
来なかった。
さらに目黒通りを進み、都立自然教育園前を通過する。都心環状線目黒線の高架下を抜
けてJR目黒駅東口を過ぎ、右カーブする目黒通りに分かれて直進する行人坂(ぎょうに
んざか)を下る。
ホリプロのビルの横を過ぎ、大天の大圓寺(だいえんじ)の山門を入った。
大圓寺は、寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が行人坂を切り開き、祈願の道場を開いた
のが始まりと伝えられるとか。
「生身の釈迦如来」といわれる国指定重要文化財の木造釈迦如来立像が、ちょうどご開
帳されていたので参拝した。
そのお堂の横にあった大天像は、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天
像」と呼ばれているという。
明和9年(1772)2月、本堂からの出火で江戸六百余町を焼き、多くの死者を出し
たが、その供養のために造られた「大円寺石仏群」(東京都指定文化財)が東側斜面に並
んでいた。
高層ビルになった雅叙園(がじょえん)↑の横を進んで目黒川を渡る。春先には花見で
賑わうソメイヨシノは、まだ枯れ枝のまま両岸に続いている。
行人坂が都道317号・山手通りを横断した突き当たりが、弁財天の蟠隆寺(ばんりゆ
うじ)である。
寺は、慶安元年(1648)に開創した称明院を、増上寺の霊雲上人が宝永6年(1709)
に蟠龍寺として改名再建したとか。本尊「木像阿弥陀如来像」(都指定文化財)を祭る本
堂前の生け花が、新春らしい彩り。
「江戸名所図会」に記された当時の面影を残す境内、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に
石造弁財天が、弁天堂内↓には木造弁財天(八臂の天女像)が安置されていた。
山手通りに戻って南東に少し、新しい羅漢像の横の通りを南西に進む。
五百羅漢寺前を通過して、七福神の最後、目黒不動で知られる恵比寿神の瀧泉寺(りゅ
うせんじ)に着いた。
龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれる古寺。本尊は不動明王
で、通称「目黒不動尊」で親しまれている。
江戸時代には、3代将軍徳川家光により堂塔伽藍の造営が行われ、以後幕府の厚い保護
を受けたとか。また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして信仰
を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わったという。
今日も、広い境内は多くの参拝客で賑わう。まずは山門前の左手、二つの池の間を進ん
で小さなお堂に祭られた恵比寿神に参拝する。
山門前に戻り、露店も出て賑わう山門を入ると、その先にも露店がたくさん並んでいる。
正面の大きな本堂に上がって参拝した。
本堂から下りて左手横を背後の台地に上がると、目黒区内最古の公園のひとつという不
動公園があり、ここが今日のゴール。11時56分に着いた。
公園からは、弥生後期の竪穴式住居跡が出土し、縄文期の土器や石器も多数見つかった
という。
心配された右足下肢の筋肉痛も、なんとか再発せずに着いた。だが後半は足取りも遅く
なり、参加者の最後部近くをついてきたので、もう一度ゆっくりと目黒不動尊参りをする
のは止めて、目黒駅に向かうことにする。
公園の東側には瀧泉寺の墓地があり、その一角に、「甘藷先生」として知られる青木昆
陽の墓(国指定史跡)があった。
坂を下って蟠隆寺の横に出て、大鳥神社横から目黒通りに入る。目黒川の新橋を渡って
権之助坂を上がり、JR山手線の目黒駅西口に12時25分に着いた。
東口にあった軽食堂で昼食を済ませ、13時過ぎに帰路につく。
(天気 晴、距離 認定10㎞(実質8㎞)、地図 江戸東京七福神めぐり 恵比寿コー
ス地図(1/2.5万 東京西南部)、歩行地 渋谷区、港区、目黒区、歩数 13,900)
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今年の初歩きは、例年同様に東京都ウオーキング協会主催の「第14回江戸東京七福神
めぐり」に行く。この七福神めぐりは全部で7コースあるが、今回は「恵比寿コース」の
山手七福神に参加した。
集合はJR山手線恵比寿駅東口、ガーデンプレイスの北側にあるアメリカ橋公園。
ガーデンプレイス側には、渋谷区のコミュニティバス、ハチ公バスが待機していた。
主催者の挨拶とコース説明があり、準備体操をして体をほぐし、9時38分にスタート
した。
くすのき通りを東北東に進んで都道305号へ。さらに東進すると北里研究所病院があ
り、昨年12月にノーベル生理学・医学賞を受賞された、大村博士を祝うパネルが掲示さ
れていた。
桜田通り近くまで進み、最初に白金二丁目の立行寺(りゆうぎようじ)に入る。ここは
七福神の寺ではないが、墓地に祭られている大久保彦左衛門と一心太助の墓に参拝する。
大久保彦左衛門は天下のご意見番として知られ、立行寺は彦左衛門こと大久保忠教(た
だたか)により建立され、通称「大久保寺」と呼ばれているという。境内には、りっぱな
頌徳碑も建立されていた。
国道1号・桜田通りを少しで、白金台一丁目にある七福神の最初、毘沙門天の覚林寺
(かくりんじ)山門を入る。
「白金清正公(しろかねせいしょうこう)」で知られる覚林寺は、寛永8年(1631)
の創建。創建した可観院日延は、朝鮮の王族出身だが豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正
に捕えられ、のち千葉県小湊の誕生寺18世となり、当地に隠居し当寺を創建したという。
正面の加藤清正を祭った清正公堂に参拝の後、山門に近い毘沙門天堂に回って手を合わ
せた。
山門を出て少し戻り、南西に延びる都道302号・目黒通りへ。
この先七福神の多くはこの沿道にあり、次は500mほどの白金台三丁目に布袋尊の瑞
聖寺(ずいしようじ)がある。
関東には少ない黄檗宗(おうばくしゆう)の寺で、寛文10年(1670)の創建。江
戸で最初の黄檗宗寺院で関東黄檗宗派の巨刹(きょさつ)とも呼ばれ、創建の翌年には5
代将軍綱吉から10万石の格式を賜ったという。
広い境内の中心に、宝暦7年(1757)再建と推定される黄檗宗独特の造りで国指定
重要文化財の大雄宝殿(たいおうほうでん)を構え、布袋尊は、大雄宝殿の右手にあるお
堂に祭られていた。
白金台五丁目にあった公園でトイレ休憩後、南に少し入って、白金台三丁目の妙延寺
(みようえんじ)に行く。
妙延寺は瀧本院日忍(俗称瀧本采女、元和6年(1620没)が創建したといわれ、瀧
本采女が足利幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという妙見大菩薩が妙見堂↓に
祭られ、あわせて寿老人と福禄寿も祭られているが、堂内に上がる時間が無く、拝観は出
来なかった。
さらに目黒通りを進み、都立自然教育園前を通過する。都心環状線目黒線の高架下を抜
けてJR目黒駅東口を過ぎ、右カーブする目黒通りに分かれて直進する行人坂(ぎょうに
んざか)を下る。
ホリプロのビルの横を過ぎ、大天の大圓寺(だいえんじ)の山門を入った。
大圓寺は、寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が行人坂を切り開き、祈願の道場を開いた
のが始まりと伝えられるとか。
「生身の釈迦如来」といわれる国指定重要文化財の木造釈迦如来立像が、ちょうどご開
帳されていたので参拝した。
そのお堂の横にあった大天像は、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天
像」と呼ばれているという。
明和9年(1772)2月、本堂からの出火で江戸六百余町を焼き、多くの死者を出し
たが、その供養のために造られた「大円寺石仏群」(東京都指定文化財)が東側斜面に並
んでいた。
高層ビルになった雅叙園(がじょえん)↑の横を進んで目黒川を渡る。春先には花見で
賑わうソメイヨシノは、まだ枯れ枝のまま両岸に続いている。
行人坂が都道317号・山手通りを横断した突き当たりが、弁財天の蟠隆寺(ばんりゆ
うじ)である。
寺は、慶安元年(1648)に開創した称明院を、増上寺の霊雲上人が宝永6年(1709)
に蟠龍寺として改名再建したとか。本尊「木像阿弥陀如来像」(都指定文化財)を祭る本
堂前の生け花が、新春らしい彩り。
「江戸名所図会」に記された当時の面影を残す境内、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に
石造弁財天が、弁天堂内↓には木造弁財天(八臂の天女像)が安置されていた。
山手通りに戻って南東に少し、新しい羅漢像の横の通りを南西に進む。
五百羅漢寺前を通過して、七福神の最後、目黒不動で知られる恵比寿神の瀧泉寺(りゅ
うせんじ)に着いた。
龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれる古寺。本尊は不動明王
で、通称「目黒不動尊」で親しまれている。
江戸時代には、3代将軍徳川家光により堂塔伽藍の造営が行われ、以後幕府の厚い保護
を受けたとか。また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして信仰
を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わったという。
今日も、広い境内は多くの参拝客で賑わう。まずは山門前の左手、二つの池の間を進ん
で小さなお堂に祭られた恵比寿神に参拝する。
山門前に戻り、露店も出て賑わう山門を入ると、その先にも露店がたくさん並んでいる。
正面の大きな本堂に上がって参拝した。
本堂から下りて左手横を背後の台地に上がると、目黒区内最古の公園のひとつという不
動公園があり、ここが今日のゴール。11時56分に着いた。
公園からは、弥生後期の竪穴式住居跡が出土し、縄文期の土器や石器も多数見つかった
という。
心配された右足下肢の筋肉痛も、なんとか再発せずに着いた。だが後半は足取りも遅く
なり、参加者の最後部近くをついてきたので、もう一度ゆっくりと目黒不動尊参りをする
のは止めて、目黒駅に向かうことにする。
公園の東側には瀧泉寺の墓地があり、その一角に、「甘藷先生」として知られる青木昆
陽の墓(国指定史跡)があった。
坂を下って蟠隆寺の横に出て、大鳥神社横から目黒通りに入る。目黒川の新橋を渡って
権之助坂を上がり、JR山手線の目黒駅西口に12時25分に着いた。
東口にあった軽食堂で昼食を済ませ、13時過ぎに帰路につく。
(天気 晴、距離 認定10㎞(実質8㎞)、地図 江戸東京七福神めぐり 恵比寿コー
ス地図(1/2.5万 東京西南部)、歩行地 渋谷区、港区、目黒区、歩数 13,900)
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