2019年3月15日(金)
=八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈前半〉=
京都・四条大宮のビジネスホテルで7時半過ぎから朝食をして、8時50分にホテルを
出た。

四条大宮駅から阪急電車で終点の河原町まで行く。今日の主目的は建仁寺(けんにんじ)
の特別拝観だが、拝観は10時からなので、その前に近くの八坂(やさか)神社を訪ねる
ことにした。

四条通を東へ、四条大橋で鴨川を渡る。

通の南側に南座↑を見て進み、祇園(ぎおん)交差点を渡れば八坂神社の山門がある。


山門を入り拝殿に参拝し、境内を一巡する。八坂神社は全国の祇園社の総本社で、厄除
け祈願と商売繁盛の神社。7月の祇園祭は1200年の伝統ある祭礼で、豪壮華麗な山鉾
(やまぼこ)巡行などで知られている。

境内の一隅に、御神水と美容水が流れ出ていた。


ほかに、美を象徴する神という三神の女神を祭る美御前社↑、健脚祈願のための神馬
舎↓、幾つもの大きな掲額が並ぶ横長の建物などが目についた。

山門を出て四条通を少し戻り、南に延びる祇園町南側地区へ。

この通りは京都市の「歴史的景観保全修景地区」に指定されており、1階に格子戸と赤
ちょうちんが、2階にすだれを掛けた家並みが続き、祇園情緒あふれた町並みだ。



祇園通りの突き当たりに臨済宗大本山建仁寺の北門があり、10時10分に着いた。

建仁寺は、建仁2(1202)年に臨済宗の開祖、栄西(ようさい)により創建された
臨済宗建仁寺派の大本山。禅寺の格付け制度である五山制度のもとで京都五山の第3位と
なったという。

国重要文化財の方丈は、慶長4(1599)年に安芸の安国寺から移築され、枯山水庭
園、国宝で俵屋宗達作の「風神雷神図」があることで知られている。
今日は、建仁寺の塔頭(たつちゅう)寺院の中で冬の特別公開中の霊現院(れいげんい
ん)と両足院(りょうそくいん)、そして正伝永現院(しょうでんえいげんいん)の拝観
が主目的である。

北門を入り、案内所のそばにある白壁に囲まれた鐘楼と中央部に立つ法堂(はっとう)
の間を進み、最初に境内東側中央部の両足院へ。

両足院では、桃山時代の絵師・長谷川等伯の「水辺童子図」や「竹林七賢図屏風」↓、
伊藤若冲〈ちとうじゃくちゅう〉の「雪椿雄鶏図」などが特別公開されていた(撮影禁止
なので特別公開ガイドブックから)。
「雪椿雄鶏図」


七類堂天谿氏の道釈画(水墨画の中で道教と釈教=仏教の教義や画題を描くもの)

それらの拝観とともに、約300坪あるという桃山時代の枯山水庭園と書院前の池泉庭
園も拝観できたので、それらを紹介する。





庭園の一隅にはサンシュユが咲いていた。

両足院の南西側には、「栄西禅師茶碑」と「平成の茶苑」がある。建仁寺開祖の栄西禅
師は、建久2(1192)年に宗(中国)からお茶の種子を持ち帰ったとか。

平成の茶苑は、茶が将来して800年を記念して植樹栽培したという。

南端近い宝生池と勅使門↓の東側を左折する。


建仁寺専門道場への道を進んで、一休禅師や今川義元も修行した「五山文学」の最高峰
の寺という、次の特別公開の塔頭寺院・霊現院に入る。


霊現院では、南北朝時代の肖像彫刻の傑作という「中厳円月(ちゅうがんえんげつ)坐
像」や、その胎内仏で湛慶作の「毘沙門天立像」、さらに今川義元、織田信長、千利休、
細川幽斎の筆書状などが公開されていた(撮影禁止なので特別公開ガイドブックから)。
中厳円月坐像

毘沙門天像

狩野山楽筆「布袋像」

方丈にある茶室

この塔頭寺院の庭園は狭く、特段見るべきものはなかった。
戻り道で再度西側の三門と放生池などを眺め、最初に入った北門を出た。
次の特別拝観の建仁寺塔頭寺院・正伝永現院は建仁寺最北部にあり、細い道路を北進し
て東北端の表門から入った。



織田信長の弟で大名茶人の織田有楽斉(うらくさい)と熊本藩主細川家の菩提所で、表
門を入ると有楽斎↑や近親者の墓、細川家歴代の墓地↓などがあった。

特別公開は、狩野山楽(かのうさんらく)の金碧障壁画「蓮鷺図(れんろず)」、「織
田有楽斉画像」、「鍾馗図(しょうきず)」、2013年に奉納されたという元首相・細
川護熙(もりひろ)氏の障壁画などの寺宝が展示されていた(一部撮影禁止なので特別公
開ガイドブックから以下に)。
「蓮鷺図」

「織田有楽斎画像」

「鍾馗図」

ここも庭園は撮影できたので、唯一撮影可能だった細川護熙氏の作品「知音」とあわせ
て紹介する。




細川護熙画「知音」(一部)

細川氏が陶芸をされることは知っていたが、障壁画も描かれるとは知らなかった。


13時近く、正伝永現院を出た。(続く)
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=八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈前半〉=
京都・四条大宮のビジネスホテルで7時半過ぎから朝食をして、8時50分にホテルを
出た。

四条大宮駅から阪急電車で終点の河原町まで行く。今日の主目的は建仁寺(けんにんじ)
の特別拝観だが、拝観は10時からなので、その前に近くの八坂(やさか)神社を訪ねる
ことにした。

四条通を東へ、四条大橋で鴨川を渡る。

通の南側に南座↑を見て進み、祇園(ぎおん)交差点を渡れば八坂神社の山門がある。


山門を入り拝殿に参拝し、境内を一巡する。八坂神社は全国の祇園社の総本社で、厄除
け祈願と商売繁盛の神社。7月の祇園祭は1200年の伝統ある祭礼で、豪壮華麗な山鉾
(やまぼこ)巡行などで知られている。

境内の一隅に、御神水と美容水が流れ出ていた。


ほかに、美を象徴する神という三神の女神を祭る美御前社↑、健脚祈願のための神馬
舎↓、幾つもの大きな掲額が並ぶ横長の建物などが目についた。

山門を出て四条通を少し戻り、南に延びる祇園町南側地区へ。

この通りは京都市の「歴史的景観保全修景地区」に指定されており、1階に格子戸と赤
ちょうちんが、2階にすだれを掛けた家並みが続き、祇園情緒あふれた町並みだ。



祇園通りの突き当たりに臨済宗大本山建仁寺の北門があり、10時10分に着いた。

建仁寺は、建仁2(1202)年に臨済宗の開祖、栄西(ようさい)により創建された
臨済宗建仁寺派の大本山。禅寺の格付け制度である五山制度のもとで京都五山の第3位と
なったという。

国重要文化財の方丈は、慶長4(1599)年に安芸の安国寺から移築され、枯山水庭
園、国宝で俵屋宗達作の「風神雷神図」があることで知られている。
今日は、建仁寺の塔頭(たつちゅう)寺院の中で冬の特別公開中の霊現院(れいげんい
ん)と両足院(りょうそくいん)、そして正伝永現院(しょうでんえいげんいん)の拝観
が主目的である。

北門を入り、案内所のそばにある白壁に囲まれた鐘楼と中央部に立つ法堂(はっとう)
の間を進み、最初に境内東側中央部の両足院へ。

両足院では、桃山時代の絵師・長谷川等伯の「水辺童子図」や「竹林七賢図屏風」↓、
伊藤若冲〈ちとうじゃくちゅう〉の「雪椿雄鶏図」などが特別公開されていた(撮影禁止
なので特別公開ガイドブックから)。

「雪椿雄鶏図」


七類堂天谿氏の道釈画(水墨画の中で道教と釈教=仏教の教義や画題を描くもの)


それらの拝観とともに、約300坪あるという桃山時代の枯山水庭園と書院前の池泉庭
園も拝観できたので、それらを紹介する。





庭園の一隅にはサンシュユが咲いていた。

両足院の南西側には、「栄西禅師茶碑」と「平成の茶苑」がある。建仁寺開祖の栄西禅
師は、建久2(1192)年に宗(中国)からお茶の種子を持ち帰ったとか。

平成の茶苑は、茶が将来して800年を記念して植樹栽培したという。

南端近い宝生池と勅使門↓の東側を左折する。


建仁寺専門道場への道を進んで、一休禅師や今川義元も修行した「五山文学」の最高峰
の寺という、次の特別公開の塔頭寺院・霊現院に入る。


霊現院では、南北朝時代の肖像彫刻の傑作という「中厳円月(ちゅうがんえんげつ)坐
像」や、その胎内仏で湛慶作の「毘沙門天立像」、さらに今川義元、織田信長、千利休、
細川幽斎の筆書状などが公開されていた(撮影禁止なので特別公開ガイドブックから)。
中厳円月坐像

毘沙門天像

狩野山楽筆「布袋像」

方丈にある茶室

この塔頭寺院の庭園は狭く、特段見るべきものはなかった。
戻り道で再度西側の三門と放生池などを眺め、最初に入った北門を出た。
次の特別拝観の建仁寺塔頭寺院・正伝永現院は建仁寺最北部にあり、細い道路を北進し
て東北端の表門から入った。



織田信長の弟で大名茶人の織田有楽斉(うらくさい)と熊本藩主細川家の菩提所で、表
門を入ると有楽斎↑や近親者の墓、細川家歴代の墓地↓などがあった。

特別公開は、狩野山楽(かのうさんらく)の金碧障壁画「蓮鷺図(れんろず)」、「織
田有楽斉画像」、「鍾馗図(しょうきず)」、2013年に奉納されたという元首相・細
川護熙(もりひろ)氏の障壁画などの寺宝が展示されていた(一部撮影禁止なので特別公
開ガイドブックから以下に)。
「蓮鷺図」


「織田有楽斎画像」

「鍾馗図」

ここも庭園は撮影できたので、唯一撮影可能だった細川護熙氏の作品「知音」とあわせ
て紹介する。




細川護熙画「知音」(一部)

細川氏が陶芸をされることは知っていたが、障壁画も描かれるとは知らなかった。


13時近く、正伝永現院を出た。(続く)


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