あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

木曽福島・奈良井宿を経て松本へ(長野)(前半)

2016-04-29 23:16:55 | 国内旅行
 2016年4月20日(水)(前半)  == 中山道 木曽福島と奈良井宿 ==

 最終日も好天に恵まれた。8時半前に駅近くのビジネスホテルを出て、名古屋駅から9
時00分発JR中央本線下り特急しなの5号に乗る。


 普通電車への乗換駅、木曽福島に10時24分に着いた。次の普通電車まで40分ある
ので、途中下車して駅周辺を少しだけ回ることにする。木曽福島は、中山道ウオークで
2006年10月12日に泊まって以来の9年半ぶり。



 駅前の観光案内所で観光地図をもらい、北東に緩やかに下る。

    
 左下からの道と合流したY字路付近の家には巣が多いようで、ツバメが幾つも低空を飛
び交い、徐行を依頼する立て札もある。
       

    
 そばの民家の路傍に中山道の標石と、新しい双体道祖神が祭られていた。周辺の店舗に
は、新入幕を遂げた大相撲の地元力士を激励する張り紙がある。
       

 中山道ウオークの際に泊まった宿「むらちや」付近まで行き、折り返して駅前に戻る。
       

       
 駅前交番付近からは、周辺に咲き出したサクラなどの花が望まれる。


      

 駅に戻りホームに上がったら、線路際にD51775号機が保存されているのが見えた。



 木曽福島駅11時04分発下り普通電車に乗る。車中から、残雪の中央アルプスの山並
みが望まれた。


 今日の観光予定地のひとつ、中山道(なかせんどう)木曽路 奈良井宿(きそじ ならい
しゅく)の玄関口、奈良井駅に11時25分に着く。

 奈良井宿は、標高1,197mの鳥居峠上り口にある鎮(しずめ)神社を京都側の境に、
奈良井川左岸沿いを緩やかに下る約1㎞にわたる町並みを形成する日本最長の宿場である。

 身近な歴史的資産の再確認と継承・維持を目的の街並み保存運動が、他に先駆けて昭和
43年(1968)から始まった。その後、昭和53年に国の重要伝統的建物保存地区に選
定、さらに平成19年(2007)には、「美しい日本の歴史的風土百選」に選定される
など、景観を生かした地域づくりを継承している。

 私は中山道ウオークで、2002年9月と2006年10月に訪れており、3度目にな
る。次の下り電車までの2時間で、その後の奈良井宿の観光をすることにした。


 まずは、駅のそばのそば処「楽々亭」に入り、おろしとろろそば(1,000円)で腹
ごしらえ。
    

 店のそばのサクラの若木が、ちょうど見ごろである。



 すぐ先から、奈良井宿に連なる町家(まちや)の家並みが始まる。町家の一つに掲げら
れた温度計は17℃、ちょうど良い気温である。


 奈良井宿には6つの水場があり、飲料水などに利用されているが、これは最初の水場。
ひしゃくで飲むとまろやかな味わいで美味しい。
    


 町家の各々には様々な飾り物があり、それを見るのも楽しみなもの。



 家並みには木曽漆器を扱う店が多く、そのひとつ「さわや漆器店}に入り、木曽漆器の
箸(はし)を求めた。
    

        




 3つ目の「横水」と呼ぶ水場を過ぎる。そばの町家にはツバメが巣を作り、姿を見せて
いた。
    

 近くの大宝寺は、天正10年(1582)、奈良井義高が自らの菩提寺として開山した
と伝わる。


 境内には、昭和の初め近隣の薮(やぶ)から発見され、隠れキリシタンが信仰のために
密かにつくったといわれるマリア地蔵があるというが、拝観(有料)は省く。



 さらに同じような造りの町家が続き、中ほどに「奈良井会館」と呼ぶ観光案内所がある。
       


 そばのT字路を入ると「本陣跡」の標柱が立ち、そばのソメイヨシノや奥の郵便局周辺
のサクラも見頃になっていた。



 旅館や漢方薬の薬局、食事処などが連なり、次の水場も現れた。


    



 文政(1818~)から明治まで下問屋(しもとんや)を務めたという御宿「伊勢屋」
は、脇本陣も兼ねていたようで、建物も当時のものらしい。


    

 近くの上問屋(かみとんや)史料館は天保年間(1830~)の建築で、もと手塚家住
宅。国の重要文化財で、明治13年(1880)6月28日に明治天皇の行在所(あんざ
いしよ)となり、当時の部屋がそのまま残るというが、入館(入館料300円)は省いた。



 道路が鍵型(かぎがた)に曲がる鍵の手のところのソメイヨシノも満開、その下には鍵
の手の水場がある。
      

 奈良井宿のマンホールデザインには、コイらしい魚が描かれていた。
    

 すぐ先の中村家は櫛問屋(くしどんや)として栄え、出梁(だしばり)造り、鎧庇
(よろいひさし)、猿頭(さるがしら)など奈良井宿の町家の特徴をよく残していて、国
の重要伝統的建物群中の代表的な民家で、奈良井宿保存のきっかけともなっ貴重な建物と
か。

 塩尻市有形文化財で、史料館として公開(入館料300円)されている。

 道路を挟んで唯一、医院のような洋風建物があり、奈良井宿では場違いな感じだが、他
の町では有形文化財になりそう。



 T字路際に観光客で賑わう土産店が並び、T字路の南西側には奈良井宿民芸会館がある。



 その先少しで奈良井宿の西端となり、緩やかな鍵の手のところに復元された高札場
(こうさつば)が立っていた。



 高札場の場所は宿場間の距離を測る起点で、京(京都)方の入口でもあったとか。
そばに宮の沢の水場もある。

 奈良井宿の水場は生活用水の確保や、火災発生時、連なる家々への延焼防止のために、
山からの豊富な沢水や湧き水を利用して設けられ、中山道を歩く多くの旅人ののども潤し
たとのこと。

 6カ所の水場はそれぞれに水場組合を作り、維持管理を行っているという。水場の背後
には、庚申塔や道祖神などが並んでいた。



 水場の先から鳥居峠への山道が始まり、その入口に鎮神社が祭られている。拝殿に参拝
後、駅に向かって折り返すこととする。


 神社から奈良井宿を見ると、気付かなかったが次第に高度を上げていたことが分かる。



 13時10分頃奈良井駅に戻る。上りホーム際にも2本のソメイヨシノが花開き、奈良
井宿の春の到来を告げていた。



 13時25分発下りワンマンカーに乗り、松本駅に向かう。(続く)





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2 コメント

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つばめ (HT)
2016-05-01 08:29:24
燕の低空飛飛翔この言葉で、子供の頃日常で見た情景が心に浮かんできました。
燕の巣の前の二羽懐かしい光景です。
宿の写真楽しみました。
返信する
少なくなったツバメ (saikoroat)
2016-05-01 18:21:48
最近は、わが家周辺でもツバメの姿を見ることが少なくなりましたので、
旅先でツバメを見られると嬉しい思いです。
返信する

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