2025年1月11日(土)
所沢七福神巡りの後半、第4番~7番へは前半から3日目の今日行くことにした。
上新井バス停から9時37分発の「ところバス」山口循環コース(左回り)に乗り、永
源寺バス停で10時15分に下車した。
北東に100mほど進むと、「所沢七福神」第4番 弁財天の「永源寺」門前である。
永源寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)の創建で、天文年間(1532
~55)に再建され、その後、徳川家康から30石の領地を授けられたという。
山門の右手前に子育延命地蔵堂↑が、山門を入った地蔵堂の背後には、青面金剛明応像
のお堂がある。
まずは正面の本堂に参拝する。
本堂の左手前に、丸い玉がたくさん実った木がある。丸い玉はムクロジの実で、いまは
ほとんど見られないが、正月の羽根つき遊びの羽根の黒い球に使われたもの。
ちょうど来た10数人のウオーキンググループの人も、何だろうと言っていたので教え
てあげた。
境内の植栽はよく手入れをしているようで、見栄えがする。
「所沢七福神」の「弁財天」は、山門を出て北側の弁天池のお堂に祭られている。
折り返して南西へ、バス停前を通過して柳瀬川の橋を渡り、県道4号・東京所沢線バイ
パスの「山王橋(西)」交差点を横断する。
南側を東西に走るバス道路に出て左折してすぐ、「トコスチ」と呼ぶ会社横を右折して
南側に見える樹林に向かって進む。
「カフェレストラン周」横を過ぎると樹林の間の上り道となり、ピークを越えてすぐ先
右手の「鳩宮八幡神社」の鳥居前へ。
道路の東側は、昨年新春に来たときは「富士幼稚園」の広い運動場だったが、廃園にな
ったようで放置されたままになっていた。
南側へ200m近く下れば、前半最後に訪れた3番「佛眼寺」の東門前に出る。
参道に入り、市の保存樹木に指定されているヒノキ科の樹林を進む。
二の鳥居をくぐれば、東向きに立つ「鳩峰八幡神社」の拝殿前へ出る。
鳩峰八幡神社は、延喜21(921)年に京都の石清水(いわしみず)八幡宮を分祀し
たと伝わる古社。
拝殿背後の本殿は、見世棚造りと呼ばれる室町初期の建築のようで、埼玉県指定文化財
だが、覆屋に覆われて見ることはできない。
戦勝祈願に立ち寄ったとされるなど新田義貞ゆかりの地でもあり、「新田義貞兜掛松 史
蹟」碑があり、傍らにその何代目かの若松が植えてある。
境内を南側に進んで数段の石段を下ると、「水天宮」が祭られている。
壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭るお宮で、安産や繁栄、商売繁盛に御
利益があるといわれているよう。
毎年1月5日に開催される「だるま市」には、多くの参拝者が訪れるという。
拝殿全面には、例年同様に小さいだるまが並んでいた。
東側の神楽殿だったらしい建物には、明治から昭和にかけての古い掲額が幾つも並ぶ。
鳩峰八幡神社と水天宮の間の「久米八幡越市民緑地」から、「鳩峯公園」と続く林間の
道を西進する。
沿道には、「ナショナル・トラスト運動」などのパネルがある。
「カブトムシのベッド 落ち葉プール」
「トトロの森 2号地」の横を過ぎる。
高圧送電線の鉄塔横を通過して、右左折すると林間を出た。南側は、所沢市南部浄水場。
北側の展望が開け、民家の上に秩父のシンボル武甲山周辺や外秩父の山並みが望まれる。
北西に向かって下って行くと、眼下に佛眼寺が。北方には、西武池袋線の小手指駅前の
タワービルなどが。
バスの通る市道に出て、「所沢七福神」第5番、寿老人の「荒幡山 光蔵寺」へ。
光蔵寺は、上組と下組に分かれていた荒幡の下組の寺とされ、創建年代は不詳だが石碑
の年代を見ると鎌倉時代から続く寺のようで、本尊は阿弥陀如来だという。
山門を入り、堂々と構える正面の本堂に参拝する。
本堂の手前、北側には弘法大師像が。
「所沢七福神」の「寿老人」は、山門を入った右手に祭られていた。
その右手には「聞くぞう地蔵尊」があり、何でも聞いてくれるようだ。
11時50分に光蔵寺を後にした。
門前から北へ少し、右カーブするところの手遅し信号の横から西側の住宅地を抜ける細
道に入って北西へ。
高圧送電線が交差する下から北へ少し進み、「所沢市第二幼稚園」の立札の立つ十字路を
左折して西進する。
道が西南へと左カーブし始めた左側が、「所沢七福神」第六番、布袋尊の「本覚院」門前。
石柱だけの門を入って東進すれば、緩やかな斜面上に南向きの本堂がある。
正面壇上のガラス越しに、内部の祭壇周辺が拝見できた。
布袋尊は、本堂前右手の幕内に祭られている。。
本堂の手前、東側の崖下には観音立像が。
境内南西側の六地蔵横の手水鉢は、厚い氷に覆われていた。
山門の右手前(南側)の弁天池に弁天堂が祭られ、ニシキゴイなどが泳いでいる。
12時18分に池際から南へ、「荒幡会館」の横を進むと民家の入口のロウバイが、たく
さん花開いていた。
少し先から、左手前方に「ドレミの丘公園」の東部斜面や、荒幡小の体育館のドームが
見えてきた。
すぐ先に「ドレミの丘公園」への上り階段があり、階段を上がって公園上部へ。
西方から北方の展望が開け、西方には秩父の武甲山周辺が、北方遙かには、雪に覆われ
た日光連山なども望まれた。
南面眼下に荒幡小の校舎などを見下ろし、林間を南南西へと進む。
樹林を出た突き当たりが「荒幡富士市民の森」で、鳥居を入ると「荒幡富士」がそびえ、
その下に浅間神社が祭られている。
「荒幡富士」は、明治17(1884)年から15年かけて荒幡村の住民たちが造った人
工の小富士で、富士塚としては最大級のよう。高さは約10mという。
浅間神社に参拝後、社殿の右手背後から荒幡富士へ登頂することに。
短いつづら折りの階段の右左折をくり返して、荒幡富士山頂へ。中央部には石の祠が祭
られれいる。
周辺は360度の展望が得られ、西南西にはホンモノの富士山が、少し雲がかかっては
いるが望まれた。
南側、「西武園ゆうえんち」のタワー横には、神奈川県の大山や丹沢山階の山並みが。
東側をズームアップすれば、東京スカイツリーや都心の高層ビル群など。
北方はるかには、冠雪した男体山など日光の山並みも。
北側眼下に「荒幡富士市民の森」を見下ろしてから、荒幡富士を下った。
北側から荒幡富士をふり返り、西北に少し下って「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの
里センター」へ。 開館して30年を迎えたよう。
センターの屋根は、土や草に覆われている。
何度も来ているが今回も入館し、一巡して狭山丘陵の自然に関わる展示を観覧した。
13時14分に退館して、樹林の間を少し進んで西広場前を過ぎる。
樹林の終わる辺りで右折して北へ、東屋がありサザンカの咲く休憩エリア横から、両側
が金網になっている細道を下って高台の住宅地へ。
住宅地の中を次第に下って西武狭山線の下山口駅方向に向かい、神明橋を渡る。
突き当たりを右折すれば下山口駅方向だが、左折して南西にある最後の七福神に向かう。
「桜淵延命地蔵堂」際の橋を渡り、少し先のY字路で右手の細道を進めば、「所沢七福神」
の最後、第七番・毘沙門天の「海蔵寺」前へ。
山門の無い開放された境内、まずは近年再建の本堂に参拝した。
本堂前、東側の庭園には小さい流れがあり、よく手入れされた植栽や石灯篭などが。
「所沢七福神」の毘沙門天は、本堂の左手前に。
13時47分に全行程の参拝を終えた。まだ昼食前なので、西武狭山線の北側の県道沿
いにある食事処を目指すことにして、西側に回って小泉橋のすぐ南側の交差点へ。
小泉橋を渡って北進、西武狭山線の踏切を越えて県道55号・所沢武蔵村山立川線の「山
口城址前」交差点へ。
交差点の南東側が山口城址だが、説明パネルだけで城跡らしさは感じられない。
交差点の東北側にあった「バーミヤン」に入り、ワンタン麺(890円)を注文して遅
くなった昼食をする。
14時34分にバーミヤンを出た。県道を東進して駅に向かい、途中にあるスーパーで
買物をして、西武狭山線の下山口駅に15時07分に着いた。
15時17分発の西所沢行上り電車に乗り、15時37分に帰宅した。
今日歩いたエリア、第4番永源寺から第7番海蔵寺までは、ほぼ赤線のルートを歩く。
〈了〉
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所沢七福神巡りの後半、第4番~7番へは前半から3日目の今日行くことにした。
上新井バス停から9時37分発の「ところバス」山口循環コース(左回り)に乗り、永
源寺バス停で10時15分に下車した。
北東に100mほど進むと、「所沢七福神」第4番 弁財天の「永源寺」門前である。
永源寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)の創建で、天文年間(1532
~55)に再建され、その後、徳川家康から30石の領地を授けられたという。
山門の右手前に子育延命地蔵堂↑が、山門を入った地蔵堂の背後には、青面金剛明応像
のお堂がある。
まずは正面の本堂に参拝する。
本堂の左手前に、丸い玉がたくさん実った木がある。丸い玉はムクロジの実で、いまは
ほとんど見られないが、正月の羽根つき遊びの羽根の黒い球に使われたもの。
ちょうど来た10数人のウオーキンググループの人も、何だろうと言っていたので教え
てあげた。
境内の植栽はよく手入れをしているようで、見栄えがする。
「所沢七福神」の「弁財天」は、山門を出て北側の弁天池のお堂に祭られている。
折り返して南西へ、バス停前を通過して柳瀬川の橋を渡り、県道4号・東京所沢線バイ
パスの「山王橋(西)」交差点を横断する。
南側を東西に走るバス道路に出て左折してすぐ、「トコスチ」と呼ぶ会社横を右折して
南側に見える樹林に向かって進む。
「カフェレストラン周」横を過ぎると樹林の間の上り道となり、ピークを越えてすぐ先
右手の「鳩宮八幡神社」の鳥居前へ。
道路の東側は、昨年新春に来たときは「富士幼稚園」の広い運動場だったが、廃園にな
ったようで放置されたままになっていた。
南側へ200m近く下れば、前半最後に訪れた3番「佛眼寺」の東門前に出る。
参道に入り、市の保存樹木に指定されているヒノキ科の樹林を進む。
二の鳥居をくぐれば、東向きに立つ「鳩峰八幡神社」の拝殿前へ出る。
鳩峰八幡神社は、延喜21(921)年に京都の石清水(いわしみず)八幡宮を分祀し
たと伝わる古社。
拝殿背後の本殿は、見世棚造りと呼ばれる室町初期の建築のようで、埼玉県指定文化財
だが、覆屋に覆われて見ることはできない。
戦勝祈願に立ち寄ったとされるなど新田義貞ゆかりの地でもあり、「新田義貞兜掛松 史
蹟」碑があり、傍らにその何代目かの若松が植えてある。
境内を南側に進んで数段の石段を下ると、「水天宮」が祭られている。
壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭るお宮で、安産や繁栄、商売繁盛に御
利益があるといわれているよう。
毎年1月5日に開催される「だるま市」には、多くの参拝者が訪れるという。
拝殿全面には、例年同様に小さいだるまが並んでいた。
東側の神楽殿だったらしい建物には、明治から昭和にかけての古い掲額が幾つも並ぶ。
鳩峰八幡神社と水天宮の間の「久米八幡越市民緑地」から、「鳩峯公園」と続く林間の
道を西進する。
沿道には、「ナショナル・トラスト運動」などのパネルがある。
「カブトムシのベッド 落ち葉プール」
「トトロの森 2号地」の横を過ぎる。
高圧送電線の鉄塔横を通過して、右左折すると林間を出た。南側は、所沢市南部浄水場。
北側の展望が開け、民家の上に秩父のシンボル武甲山周辺や外秩父の山並みが望まれる。
北西に向かって下って行くと、眼下に佛眼寺が。北方には、西武池袋線の小手指駅前の
タワービルなどが。
バスの通る市道に出て、「所沢七福神」第5番、寿老人の「荒幡山 光蔵寺」へ。
光蔵寺は、上組と下組に分かれていた荒幡の下組の寺とされ、創建年代は不詳だが石碑
の年代を見ると鎌倉時代から続く寺のようで、本尊は阿弥陀如来だという。
山門を入り、堂々と構える正面の本堂に参拝する。
本堂の手前、北側には弘法大師像が。
「所沢七福神」の「寿老人」は、山門を入った右手に祭られていた。
その右手には「聞くぞう地蔵尊」があり、何でも聞いてくれるようだ。
11時50分に光蔵寺を後にした。
門前から北へ少し、右カーブするところの手遅し信号の横から西側の住宅地を抜ける細
道に入って北西へ。
高圧送電線が交差する下から北へ少し進み、「所沢市第二幼稚園」の立札の立つ十字路を
左折して西進する。
道が西南へと左カーブし始めた左側が、「所沢七福神」第六番、布袋尊の「本覚院」門前。
石柱だけの門を入って東進すれば、緩やかな斜面上に南向きの本堂がある。
正面壇上のガラス越しに、内部の祭壇周辺が拝見できた。
布袋尊は、本堂前右手の幕内に祭られている。。
本堂の手前、東側の崖下には観音立像が。
境内南西側の六地蔵横の手水鉢は、厚い氷に覆われていた。
山門の右手前(南側)の弁天池に弁天堂が祭られ、ニシキゴイなどが泳いでいる。
12時18分に池際から南へ、「荒幡会館」の横を進むと民家の入口のロウバイが、たく
さん花開いていた。
少し先から、左手前方に「ドレミの丘公園」の東部斜面や、荒幡小の体育館のドームが
見えてきた。
すぐ先に「ドレミの丘公園」への上り階段があり、階段を上がって公園上部へ。
西方から北方の展望が開け、西方には秩父の武甲山周辺が、北方遙かには、雪に覆われ
た日光連山なども望まれた。
南面眼下に荒幡小の校舎などを見下ろし、林間を南南西へと進む。
樹林を出た突き当たりが「荒幡富士市民の森」で、鳥居を入ると「荒幡富士」がそびえ、
その下に浅間神社が祭られている。
「荒幡富士」は、明治17(1884)年から15年かけて荒幡村の住民たちが造った人
工の小富士で、富士塚としては最大級のよう。高さは約10mという。
浅間神社に参拝後、社殿の右手背後から荒幡富士へ登頂することに。
短いつづら折りの階段の右左折をくり返して、荒幡富士山頂へ。中央部には石の祠が祭
られれいる。
周辺は360度の展望が得られ、西南西にはホンモノの富士山が、少し雲がかかっては
いるが望まれた。
南側、「西武園ゆうえんち」のタワー横には、神奈川県の大山や丹沢山階の山並みが。
東側をズームアップすれば、東京スカイツリーや都心の高層ビル群など。
北方はるかには、冠雪した男体山など日光の山並みも。
北側眼下に「荒幡富士市民の森」を見下ろしてから、荒幡富士を下った。
北側から荒幡富士をふり返り、西北に少し下って「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの
里センター」へ。 開館して30年を迎えたよう。
センターの屋根は、土や草に覆われている。
何度も来ているが今回も入館し、一巡して狭山丘陵の自然に関わる展示を観覧した。
13時14分に退館して、樹林の間を少し進んで西広場前を過ぎる。
樹林の終わる辺りで右折して北へ、東屋がありサザンカの咲く休憩エリア横から、両側
が金網になっている細道を下って高台の住宅地へ。
住宅地の中を次第に下って西武狭山線の下山口駅方向に向かい、神明橋を渡る。
突き当たりを右折すれば下山口駅方向だが、左折して南西にある最後の七福神に向かう。
「桜淵延命地蔵堂」際の橋を渡り、少し先のY字路で右手の細道を進めば、「所沢七福神」
の最後、第七番・毘沙門天の「海蔵寺」前へ。
山門の無い開放された境内、まずは近年再建の本堂に参拝した。
本堂前、東側の庭園には小さい流れがあり、よく手入れされた植栽や石灯篭などが。
「所沢七福神」の毘沙門天は、本堂の左手前に。
13時47分に全行程の参拝を終えた。まだ昼食前なので、西武狭山線の北側の県道沿
いにある食事処を目指すことにして、西側に回って小泉橋のすぐ南側の交差点へ。
小泉橋を渡って北進、西武狭山線の踏切を越えて県道55号・所沢武蔵村山立川線の「山
口城址前」交差点へ。
交差点の南東側が山口城址だが、説明パネルだけで城跡らしさは感じられない。
交差点の東北側にあった「バーミヤン」に入り、ワンタン麺(890円)を注文して遅
くなった昼食をする。
14時34分にバーミヤンを出た。県道を東進して駅に向かい、途中にあるスーパーで
買物をして、西武狭山線の下山口駅に15時07分に着いた。
15時17分発の西所沢行上り電車に乗り、15時37分に帰宅した。
今日歩いたエリア、第4番永源寺から第7番海蔵寺までは、ほぼ赤線のルートを歩く。
〈了〉
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