2014年12月21日(日)
武蔵野線とその周辺を歩き続けている「続カタツムリ歩行」の、20回目の例会に参加
した。
集合はJR武蔵野線と京浜東北線が交差する南浦和駅。今年最後ということからか、参
加者はいつもより多い。私は今回は一人で歩くことにして、10時ちょうどに駅を出た。
武蔵野線の北側に出て最初に、京浜東北線のホームからいつも見ていた南本町二丁目の
宝性寺へ。線路際のT字路に、移設してまとめららしい4基の庚申塔が並んでいる。
年号を見ると、享保20年(1735)、文政8年(1825)など、何れも江戸時代
のもの。
墓地はかなり広いが本堂はそう大きくはない。足立観音霊場の第74番、足立坂東三十
三か所第10番などの札所である。
本堂前に、7つのお地蔵さんを祭る地蔵堂があった。
寺の背後の通りを少し西進すると民家の庭に大きなキンカンがあり、たくさん実がつい
ていた。
神明一丁目から段丘を下って二丁目へと進み、少しの斜面にある阿弥陀堂に入る。
本堂の左手前、斜面を背にして元文5年(1740)と寛文8年(1668)銘の地蔵
さんが並んでいた。
南下してJR武蔵野線の下を抜けて根岸四丁目に回ると、根岸薬師堂がある。
堂内では法事が行われていた。
薬師堂の背後には、江戸時代の年号が刻まれた石仏がたくさん集められていた。
年号を幾つか拾ってみると、明和6年(1769)、安永7年(1778)、享保18
年(1733)、元文2年(1737)、宝暦10年(1760)、寛政6年(1794)
などと刻まれている。
左は享保16年(1731)、右は延享5年(1748)と読める。
270年~280年位前のものだが、現在住宅地になっているこの辺りは、当時どんな
農村だったのだろうか…。
薬師堂の右手には、9体のお地蔵さんの並ぶ地蔵堂がある。
今日巡っているお寺には、どこも複数のお地蔵さんが並んでいることに気付いた。この
先の寺院はどうなんだろう…。
道路を挟んだ東側は神明神社。
社殿左手には小さい社殿が3つあり、稲荷神社や八幡神社、天満宮などの摂社が祭られ、
背後や境内西側には10数本のカシが高く伸びていた。
南側の通りに出ると「おせんべいやさん本舗」というせんべい店があり、先に来た女性
数人のメンバーが、それぞれお気入りのせんべいを買っていた。
少し先、通りの南側の常生寺は、一見寺院とは見られぬ近代的な造り。写真を撮ってい
たら寺の人がそばに来て、「13時からご住職の講話があるからどうぞ」と誘われた。
県道213号を横断して根岸五丁目へ。次の交差点際の和菓子の「きくや」には、なぜ
かキリンのおもちゃが客を待っていた。
さらに2つ目の交差点を左折して、旧中山道の国道17号を歩道橋で越える。歩道橋か
らの江戸(東京)方面の眺め。
南側には、眼下に白幡観音堂が見下ろせる。
開放的な境内の一角に、「朧夜(おぼろよ)や 花盗る陰の 人は誰」という句碑が立ち、
横にその解説碑文もあった。
句碑に並んで、7地蔵が立っている。
中山道の南側住宅地を白幡四丁目から辻三丁目へと進み、和光院の山門を入る。
今日回った寺院では、境内が一番広く本堂も一番大きかった。
山門を入った右手には、6地蔵が並んでいた。
辻三丁目と東側の辻二丁目の境を走る通りに接して萬蔵寺があり、ここにも地蔵堂に6
地蔵が祭られている。
萬蔵寺の背後には「六辻水辺公園」と呼ぶ小さい流れに沿った遊歩道が走り、道路際に
は平成3年(1991)2月に描いた、当時の浦和市辻小学校5年生のタイルが画埋め込
まれていた。
遊歩道を少しで東側の通りに入り、南東に進んで通りの東側に回り込み、今日最後の寺
院、吉祥院へ。本堂は民家風で小さめ。
ここにもやはり地蔵堂があり、6地蔵が祭られていた。
今日巡ったすべての寺院に6地蔵など複数のお地蔵さんが祭られていたことが分かり、
この地に残る古くからの地蔵信仰の厚いことが知れる。
通りの西側に今日のゴール、辻熊野神社がある。12時ちょうどに入ると、社殿の手前
の辻公会堂の広場では餅つきが行われていて、近くの子どもたちがたくさん集まり、高学
年の児童も交代できねを握ってついていた。
広場の奥に祭られていた熊野神社の社殿は小さめ。でも、「辻のおくまんさま」と呼ば
れ、昔から地元の人々の信仰が厚かったという。
餅つきに支障の無い奥の広場で昼食後、今年最後の記念写真の撮影とミーティング。
その後は12月例会恒例、事務局のDさんが用意してくれた景品を、今年の参加回数順
に希望の品物がもらえる。シートに広げられた景品の山。
今年10回開催されたの例会にパーフェクト参加されたのは、東所沢のOさんただひと
り。私は1回休んで9回の参加だった。
13時過ぎに散会となり、私は寄り道もせずに西北に進み、JR武蔵野線と埼京線との
交差駅、武蔵浦和駅に13時28分に着き、3分後の武蔵野線府中本町行きに乗る。
(天気 晴、距離 4㎞(武蔵浦和まで6㎞)、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地
さいたま市南区、歩数(武蔵浦和まで) 12,100)
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武蔵野線とその周辺を歩き続けている「続カタツムリ歩行」の、20回目の例会に参加
した。
集合はJR武蔵野線と京浜東北線が交差する南浦和駅。今年最後ということからか、参
加者はいつもより多い。私は今回は一人で歩くことにして、10時ちょうどに駅を出た。
武蔵野線の北側に出て最初に、京浜東北線のホームからいつも見ていた南本町二丁目の
宝性寺へ。線路際のT字路に、移設してまとめららしい4基の庚申塔が並んでいる。
年号を見ると、享保20年(1735)、文政8年(1825)など、何れも江戸時代
のもの。
墓地はかなり広いが本堂はそう大きくはない。足立観音霊場の第74番、足立坂東三十
三か所第10番などの札所である。
本堂前に、7つのお地蔵さんを祭る地蔵堂があった。
寺の背後の通りを少し西進すると民家の庭に大きなキンカンがあり、たくさん実がつい
ていた。
神明一丁目から段丘を下って二丁目へと進み、少しの斜面にある阿弥陀堂に入る。
本堂の左手前、斜面を背にして元文5年(1740)と寛文8年(1668)銘の地蔵
さんが並んでいた。
南下してJR武蔵野線の下を抜けて根岸四丁目に回ると、根岸薬師堂がある。
堂内では法事が行われていた。
薬師堂の背後には、江戸時代の年号が刻まれた石仏がたくさん集められていた。
年号を幾つか拾ってみると、明和6年(1769)、安永7年(1778)、享保18
年(1733)、元文2年(1737)、宝暦10年(1760)、寛政6年(1794)
などと刻まれている。
左は享保16年(1731)、右は延享5年(1748)と読める。
270年~280年位前のものだが、現在住宅地になっているこの辺りは、当時どんな
農村だったのだろうか…。
薬師堂の右手には、9体のお地蔵さんの並ぶ地蔵堂がある。
今日巡っているお寺には、どこも複数のお地蔵さんが並んでいることに気付いた。この
先の寺院はどうなんだろう…。
道路を挟んだ東側は神明神社。
社殿左手には小さい社殿が3つあり、稲荷神社や八幡神社、天満宮などの摂社が祭られ、
背後や境内西側には10数本のカシが高く伸びていた。
南側の通りに出ると「おせんべいやさん本舗」というせんべい店があり、先に来た女性
数人のメンバーが、それぞれお気入りのせんべいを買っていた。
少し先、通りの南側の常生寺は、一見寺院とは見られぬ近代的な造り。写真を撮ってい
たら寺の人がそばに来て、「13時からご住職の講話があるからどうぞ」と誘われた。
県道213号を横断して根岸五丁目へ。次の交差点際の和菓子の「きくや」には、なぜ
かキリンのおもちゃが客を待っていた。
さらに2つ目の交差点を左折して、旧中山道の国道17号を歩道橋で越える。歩道橋か
らの江戸(東京)方面の眺め。
南側には、眼下に白幡観音堂が見下ろせる。
開放的な境内の一角に、「朧夜(おぼろよ)や 花盗る陰の 人は誰」という句碑が立ち、
横にその解説碑文もあった。
句碑に並んで、7地蔵が立っている。
中山道の南側住宅地を白幡四丁目から辻三丁目へと進み、和光院の山門を入る。
今日回った寺院では、境内が一番広く本堂も一番大きかった。
山門を入った右手には、6地蔵が並んでいた。
辻三丁目と東側の辻二丁目の境を走る通りに接して萬蔵寺があり、ここにも地蔵堂に6
地蔵が祭られている。
萬蔵寺の背後には「六辻水辺公園」と呼ぶ小さい流れに沿った遊歩道が走り、道路際に
は平成3年(1991)2月に描いた、当時の浦和市辻小学校5年生のタイルが画埋め込
まれていた。
遊歩道を少しで東側の通りに入り、南東に進んで通りの東側に回り込み、今日最後の寺
院、吉祥院へ。本堂は民家風で小さめ。
ここにもやはり地蔵堂があり、6地蔵が祭られていた。
今日巡ったすべての寺院に6地蔵など複数のお地蔵さんが祭られていたことが分かり、
この地に残る古くからの地蔵信仰の厚いことが知れる。
通りの西側に今日のゴール、辻熊野神社がある。12時ちょうどに入ると、社殿の手前
の辻公会堂の広場では餅つきが行われていて、近くの子どもたちがたくさん集まり、高学
年の児童も交代できねを握ってついていた。
広場の奥に祭られていた熊野神社の社殿は小さめ。でも、「辻のおくまんさま」と呼ば
れ、昔から地元の人々の信仰が厚かったという。
餅つきに支障の無い奥の広場で昼食後、今年最後の記念写真の撮影とミーティング。
その後は12月例会恒例、事務局のDさんが用意してくれた景品を、今年の参加回数順
に希望の品物がもらえる。シートに広げられた景品の山。
今年10回開催されたの例会にパーフェクト参加されたのは、東所沢のOさんただひと
り。私は1回休んで9回の参加だった。
13時過ぎに散会となり、私は寄り道もせずに西北に進み、JR武蔵野線と埼京線との
交差駅、武蔵浦和駅に13時28分に着き、3分後の武蔵野線府中本町行きに乗る。
(天気 晴、距離 4㎞(武蔵浦和まで6㎞)、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地
さいたま市南区、歩数(武蔵浦和まで) 12,100)
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