あるきメデス

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関東山の辺の道(6) かすみがうら市下佐谷~北条

2006-04-27 12:09:12 | 関東山の辺の道
05年9月9日(金) 
 台風14号が去った前日は35℃近い残暑だったが、この日は曇りの予報。青春
18きっぷの残り1枚を使い、4ヶ月ぶりの「関東山の辺の道」歩きに出かけた。

 JR常磐線土浦駅に9時着、9時20発柿岡車庫行きバスに乗り、9時42分、
下佐谷(しもさや)バス停で下車する。

 県道53号を西へ、500m余り先の3差路までは前回歩いた。この県道は、大型
トラックやダンプなど交通量が多く、歩道はあるが歩く道ではない。

 新治村(にいはるむら)に入り、「新治浄水場」の看板に従い、一般農道本郷へ。
クズの花が咲き、ツクツクボウシが鳴く。車からも開放された。

 色づく田園が広がり、寄居のY字路を左に入ると、実の熟す前の柿畑が多い。
 本郷の集落で少し回り道して名前の分からぬ寺で小休止する。

 田んぼの間を上がって大志戸へ。火の見やぐらの下に、文化9年(1812)の十九
夜塔が立つ。集落の西から南北に走る車道を北の山すそに向かう。休耕田が梨や
柿畑に変わっていた。

 三方を山に囲まれた田園地帯、山から吹き下ろす風が気持ちよい。山すその
清滝集落を上り詰めると、江戸時代のものという色あせた古い山門があった。

 阪東三十三カ所第26番札所、清滝観音で知られる清滝寺である。急階段を
上って本堂に参拝する。

 清滝寺は、推古帝15年(607)の創建、大同年間(806~10)徳一上人により
移設されたという古寺。七堂伽藍(がらん)を備えた大きな寺は2度の火災にあった
とか、現本堂は昭和52年(1977)再建のコンクリート造りである。

 ツクツクボウシやアブラゼミが鳴き、緑がいっぱいだが、阪東札所とは思えぬ
こぢんまりとした境内。今後、ほかの阪東札所巡りの機会もあるかと思い、納経
帳を購入し最初の納経印を押してもらった。

 山すその道を西へ進むと小野小町ゆかりの小町集落、東端に「小町の里」という
のがあった。

 小野小町は絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人、京都から奥州に旅する
途中で清滝観音にお参りした後倒れ、この地の村長、小野源兵衛宅で元慶7年
(883)7月7日、69歳の生涯を閉じたという。

 小町の里には、小町の館、そば処、農産物直売所、直径7mの水車小屋などが
あり、小野小町文芸賞の短歌や俳句を記した歌碑も並ぶ。農産物直売所そばの
芝生で昼食にした。
 
 小町の里からほど近い小野家の奥に進むと、山ふところに立つ杉の大木の下に
小野小町の墓という五輪塔がある。婦人病に悩む人や、美人願望の年頃の娘が
よく訪れたようだ。

 次の東城寺集落の北まで進み、大きな山門をくぐる。常緑樹に覆われた谷間と
石段を上がり、山の中腹に立つ東城寺に参拝する。

 本堂は最近再建されたようで新しい。寺には、県文化財の木造の仏像、石造
灯籠、経塚群などが残されているようだ。中の島のある池も、山を背になかなか
趣ある造りだ。

 黄金田の間を南に進み、音をたてる採石場横を通過して、県道53号の交差点へ。
ダンプや大型トラックの激しい県道を700mほど西に進み、「にいはり園」の矢印を
入る。

 にいはり園の先からつくば市。池のほとりに高崎山古墳群西支群第2号古墳が
あった。全長35m、前方後円の横穴式石室で6世紀後半の古墳とか。人形や
馬形の埴輪(はにわ)が出土したという。

 西側にも水田潅漑用のため池があり、ブラックバスを釣るという釣り人が数人、
桜並木の下で池に糸を垂れていた。

 宮前集落に入り、長屋門の並ぶ集落の西側にある鹿島神社でで小休止。覆屋に
保護された本殿は、色あせてはいたが全面に精巧な木彫が施されている。延享2年
(1745)完成のもので、茨城県指定建造物である。

 色づいた田園地帯に出ると、しばらく隠れていた筑波山の双耳峰が現れた。
小田の町並に入って間もなく、国史跡の小田城跡に回る。

 鎌倉~戦国時代、常陸国(ひたちのくに)南部に勢力をもった小田氏の居城跡で、
現在残る遺構は戦国時代末期のもの。方形の曲輪(くるわ)を中心に3重の堀と
大小の曲輪が取り囲み、史跡の範囲だけでも東西500m、南北600mあるという。

 つくば市では、国史跡の小田城跡を街づくりの一環として保存整備中で、発掘
調査中の場所もある。東北端には、高さ3m近い大きな五輪塔(写真)や、草に
埋もれた20基近い五輪等が並んでいた。

 町を貫く通りに戻って西北に向かう。つくば小田郵便局で風景印を押して
もらい、町外れまで進むと筑波山の山並みが近づいてきた。

 新田集落を抜け、国道125号を横断、大池公園前バス停の交差点を右折すると、
2つの池があった。筑波山の影を映す大池の広い水面に、たくさん水草が浮いて
いる。遊歩道には500本の桜があり、春は花見によさそう。

 もう一つのハス池の北側が、国史跡で千年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の
郡役所跡、平沢管衙(かんが)遺跡である。
 
 遺跡は、平成5・6年の調査で、一般の遺跡では考えられない大型の高床式倉庫
が並んでいて、これらの倉庫は当時の税である稲や麻布などを納めた郡役所の
正倉跡と考えられることが分かったという。

 広い芝生地の入口にある案内所で、出土した土器の展示や遺跡案内のビデオが
見られる。芝生の丘陵上には、復元された校倉、土壁双倉、板倉の3棟が、筑波
山を背に並んでいた。

 交差点に戻り、北条の街並みを西へ。鍵の手を曲がって中心街に入り、16時
38分、北条仲町バス停に着いた。本日はここまで。1分後に来たバスで土浦駅
に向かった。

(距離 22km、天気 曇り、地図 常陸藤沢、上郷、筑波、歩行地 かすみが
うら市、新治村(現、土浦市)、つくば市)

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