05年9月9日(金)
台風14号が去った前日は35℃近い残暑だったが、この日は曇りの予報。青春
18きっぷの残り1枚を使い、4ヶ月ぶりの「関東山の辺の道」歩きに出かけた。
JR常磐線土浦駅に9時着、9時20発柿岡車庫行きバスに乗り、9時42分、
下佐谷(しもさや)バス停で下車する。
県道53号を西へ、500m余り先の3差路までは前回歩いた。この県道は、大型
トラックやダンプなど交通量が多く、歩道はあるが歩く道ではない。
新治村(にいはるむら)に入り、「新治浄水場」の看板に従い、一般農道本郷へ。
クズの花が咲き、ツクツクボウシが鳴く。車からも開放された。
色づく田園が広がり、寄居のY字路を左に入ると、実の熟す前の柿畑が多い。
本郷の集落で少し回り道して名前の分からぬ寺で小休止する。
田んぼの間を上がって大志戸へ。火の見やぐらの下に、文化9年(1812)の十九
夜塔が立つ。集落の西から南北に走る車道を北の山すそに向かう。休耕田が梨や
柿畑に変わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4b/6019be521f1e5969b502236716c6a1d5.jpg)
三方を山に囲まれた田園地帯、山から吹き下ろす風が気持ちよい。山すその
清滝集落を上り詰めると、江戸時代のものという色あせた古い山門があった。
阪東三十三カ所第26番札所、清滝観音で知られる清滝寺である。急階段を
上って本堂に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/24/edbcfce52e9c4f0fda264616ca58427d.jpg)
清滝寺は、推古帝15年(607)の創建、大同年間(806~10)徳一上人により
移設されたという古寺。七堂伽藍(がらん)を備えた大きな寺は2度の火災にあった
とか、現本堂は昭和52年(1977)再建のコンクリート造りである。
ツクツクボウシやアブラゼミが鳴き、緑がいっぱいだが、阪東札所とは思えぬ
こぢんまりとした境内。今後、ほかの阪東札所巡りの機会もあるかと思い、納経
帳を購入し最初の納経印を押してもらった。
山すその道を西へ進むと小野小町ゆかりの小町集落、東端に「小町の里」という
のがあった。
小野小町は絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人、京都から奥州に旅する
途中で清滝観音にお参りした後倒れ、この地の村長、小野源兵衛宅で元慶7年
(883)7月7日、69歳の生涯を閉じたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/7f/da5c17e29821a1722357588fccbb8e70.jpg)
小町の里には、小町の館、そば処、農産物直売所、直径7mの水車小屋などが
あり、小野小町文芸賞の短歌や俳句を記した歌碑も並ぶ。農産物直売所そばの
芝生で昼食にした。
小町の里からほど近い小野家の奥に進むと、山ふところに立つ杉の大木の下に
小野小町の墓という五輪塔がある。婦人病に悩む人や、美人願望の年頃の娘が
よく訪れたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7c/01447d2251d0554f1cfd7f56d030d110.jpg)
次の東城寺集落の北まで進み、大きな山門をくぐる。常緑樹に覆われた谷間と
石段を上がり、山の中腹に立つ東城寺に参拝する。
本堂は最近再建されたようで新しい。寺には、県文化財の木造の仏像、石造
灯籠、経塚群などが残されているようだ。中の島のある池も、山を背になかなか
趣ある造りだ。
黄金田の間を南に進み、音をたてる採石場横を通過して、県道53号の交差点へ。
ダンプや大型トラックの激しい県道を700mほど西に進み、「にいはり園」の矢印を
入る。
にいはり園の先からつくば市。池のほとりに高崎山古墳群西支群第2号古墳が
あった。全長35m、前方後円の横穴式石室で6世紀後半の古墳とか。人形や
馬形の埴輪(はにわ)が出土したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/8d/a809762ff1a2910fd4072af530bfd9b1.jpg)
西側にも水田潅漑用のため池があり、ブラックバスを釣るという釣り人が数人、
桜並木の下で池に糸を垂れていた。
宮前集落に入り、長屋門の並ぶ集落の西側にある鹿島神社でで小休止。覆屋に
保護された本殿は、色あせてはいたが全面に精巧な木彫が施されている。延享2年
(1745)完成のもので、茨城県指定建造物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/63/c485da8111267d1a210c7c415bbdf900.jpg)
色づいた田園地帯に出ると、しばらく隠れていた筑波山の双耳峰が現れた。
小田の町並に入って間もなく、国史跡の小田城跡に回る。
鎌倉~戦国時代、常陸国(ひたちのくに)南部に勢力をもった小田氏の居城跡で、
現在残る遺構は戦国時代末期のもの。方形の曲輪(くるわ)を中心に3重の堀と
大小の曲輪が取り囲み、史跡の範囲だけでも東西500m、南北600mあるという。
つくば市では、国史跡の小田城跡を街づくりの一環として保存整備中で、発掘
調査中の場所もある。東北端には、高さ3m近い大きな五輪塔(写真)や、草に
埋もれた20基近い五輪等が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/02/793948a6043f6c4dc1fbd1c0d1ea95c1.jpg)
町を貫く通りに戻って西北に向かう。つくば小田郵便局で風景印を押して
もらい、町外れまで進むと筑波山の山並みが近づいてきた。
新田集落を抜け、国道125号を横断、大池公園前バス停の交差点を右折すると、
2つの池があった。筑波山の影を映す大池の広い水面に、たくさん水草が浮いて
いる。遊歩道には500本の桜があり、春は花見によさそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a5/00af163def1da119856a7afa86d9ca70.jpg)
もう一つのハス池の北側が、国史跡で千年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の
郡役所跡、平沢管衙(かんが)遺跡である。
遺跡は、平成5・6年の調査で、一般の遺跡では考えられない大型の高床式倉庫
が並んでいて、これらの倉庫は当時の税である稲や麻布などを納めた郡役所の
正倉跡と考えられることが分かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/95/0b963e6dd6638ae280108ea0bb649cb3.jpg)
広い芝生地の入口にある案内所で、出土した土器の展示や遺跡案内のビデオが
見られる。芝生の丘陵上には、復元された校倉、土壁双倉、板倉の3棟が、筑波
山を背に並んでいた。
交差点に戻り、北条の街並みを西へ。鍵の手を曲がって中心街に入り、16時
38分、北条仲町バス停に着いた。本日はここまで。1分後に来たバスで土浦駅
に向かった。
(距離 22km、天気 曇り、地図 常陸藤沢、上郷、筑波、歩行地 かすみが
うら市、新治村(現、土浦市)、つくば市)
台風14号が去った前日は35℃近い残暑だったが、この日は曇りの予報。青春
18きっぷの残り1枚を使い、4ヶ月ぶりの「関東山の辺の道」歩きに出かけた。
JR常磐線土浦駅に9時着、9時20発柿岡車庫行きバスに乗り、9時42分、
下佐谷(しもさや)バス停で下車する。
県道53号を西へ、500m余り先の3差路までは前回歩いた。この県道は、大型
トラックやダンプなど交通量が多く、歩道はあるが歩く道ではない。
新治村(にいはるむら)に入り、「新治浄水場」の看板に従い、一般農道本郷へ。
クズの花が咲き、ツクツクボウシが鳴く。車からも開放された。
色づく田園が広がり、寄居のY字路を左に入ると、実の熟す前の柿畑が多い。
本郷の集落で少し回り道して名前の分からぬ寺で小休止する。
田んぼの間を上がって大志戸へ。火の見やぐらの下に、文化9年(1812)の十九
夜塔が立つ。集落の西から南北に走る車道を北の山すそに向かう。休耕田が梨や
柿畑に変わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4b/6019be521f1e5969b502236716c6a1d5.jpg)
三方を山に囲まれた田園地帯、山から吹き下ろす風が気持ちよい。山すその
清滝集落を上り詰めると、江戸時代のものという色あせた古い山門があった。
阪東三十三カ所第26番札所、清滝観音で知られる清滝寺である。急階段を
上って本堂に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/24/edbcfce52e9c4f0fda264616ca58427d.jpg)
清滝寺は、推古帝15年(607)の創建、大同年間(806~10)徳一上人により
移設されたという古寺。七堂伽藍(がらん)を備えた大きな寺は2度の火災にあった
とか、現本堂は昭和52年(1977)再建のコンクリート造りである。
ツクツクボウシやアブラゼミが鳴き、緑がいっぱいだが、阪東札所とは思えぬ
こぢんまりとした境内。今後、ほかの阪東札所巡りの機会もあるかと思い、納経
帳を購入し最初の納経印を押してもらった。
山すその道を西へ進むと小野小町ゆかりの小町集落、東端に「小町の里」という
のがあった。
小野小町は絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人、京都から奥州に旅する
途中で清滝観音にお参りした後倒れ、この地の村長、小野源兵衛宅で元慶7年
(883)7月7日、69歳の生涯を閉じたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/7f/da5c17e29821a1722357588fccbb8e70.jpg)
小町の里には、小町の館、そば処、農産物直売所、直径7mの水車小屋などが
あり、小野小町文芸賞の短歌や俳句を記した歌碑も並ぶ。農産物直売所そばの
芝生で昼食にした。
小町の里からほど近い小野家の奥に進むと、山ふところに立つ杉の大木の下に
小野小町の墓という五輪塔がある。婦人病に悩む人や、美人願望の年頃の娘が
よく訪れたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7c/01447d2251d0554f1cfd7f56d030d110.jpg)
次の東城寺集落の北まで進み、大きな山門をくぐる。常緑樹に覆われた谷間と
石段を上がり、山の中腹に立つ東城寺に参拝する。
本堂は最近再建されたようで新しい。寺には、県文化財の木造の仏像、石造
灯籠、経塚群などが残されているようだ。中の島のある池も、山を背になかなか
趣ある造りだ。
黄金田の間を南に進み、音をたてる採石場横を通過して、県道53号の交差点へ。
ダンプや大型トラックの激しい県道を700mほど西に進み、「にいはり園」の矢印を
入る。
にいはり園の先からつくば市。池のほとりに高崎山古墳群西支群第2号古墳が
あった。全長35m、前方後円の横穴式石室で6世紀後半の古墳とか。人形や
馬形の埴輪(はにわ)が出土したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/8d/a809762ff1a2910fd4072af530bfd9b1.jpg)
西側にも水田潅漑用のため池があり、ブラックバスを釣るという釣り人が数人、
桜並木の下で池に糸を垂れていた。
宮前集落に入り、長屋門の並ぶ集落の西側にある鹿島神社でで小休止。覆屋に
保護された本殿は、色あせてはいたが全面に精巧な木彫が施されている。延享2年
(1745)完成のもので、茨城県指定建造物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/63/c485da8111267d1a210c7c415bbdf900.jpg)
色づいた田園地帯に出ると、しばらく隠れていた筑波山の双耳峰が現れた。
小田の町並に入って間もなく、国史跡の小田城跡に回る。
鎌倉~戦国時代、常陸国(ひたちのくに)南部に勢力をもった小田氏の居城跡で、
現在残る遺構は戦国時代末期のもの。方形の曲輪(くるわ)を中心に3重の堀と
大小の曲輪が取り囲み、史跡の範囲だけでも東西500m、南北600mあるという。
つくば市では、国史跡の小田城跡を街づくりの一環として保存整備中で、発掘
調査中の場所もある。東北端には、高さ3m近い大きな五輪塔(写真)や、草に
埋もれた20基近い五輪等が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/02/793948a6043f6c4dc1fbd1c0d1ea95c1.jpg)
町を貫く通りに戻って西北に向かう。つくば小田郵便局で風景印を押して
もらい、町外れまで進むと筑波山の山並みが近づいてきた。
新田集落を抜け、国道125号を横断、大池公園前バス停の交差点を右折すると、
2つの池があった。筑波山の影を映す大池の広い水面に、たくさん水草が浮いて
いる。遊歩道には500本の桜があり、春は花見によさそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a5/00af163def1da119856a7afa86d9ca70.jpg)
もう一つのハス池の北側が、国史跡で千年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の
郡役所跡、平沢管衙(かんが)遺跡である。
遺跡は、平成5・6年の調査で、一般の遺跡では考えられない大型の高床式倉庫
が並んでいて、これらの倉庫は当時の税である稲や麻布などを納めた郡役所の
正倉跡と考えられることが分かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/95/0b963e6dd6638ae280108ea0bb649cb3.jpg)
広い芝生地の入口にある案内所で、出土した土器の展示や遺跡案内のビデオが
見られる。芝生の丘陵上には、復元された校倉、土壁双倉、板倉の3棟が、筑波
山を背に並んでいた。
交差点に戻り、北条の街並みを西へ。鍵の手を曲がって中心街に入り、16時
38分、北条仲町バス停に着いた。本日はここまで。1分後に来たバスで土浦駅
に向かった。
(距離 22km、天気 曇り、地図 常陸藤沢、上郷、筑波、歩行地 かすみが
うら市、新治村(現、土浦市)、つくば市)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます