あるきメデス

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歩きたくなるみち 箭弓稲荷神社から岩殿観音

2006-04-20 10:50:41 | ウオーキング
 昨日(19日)は、埼玉県ウオーキング協会主催の平日ウオーク、「美しい日本
の歩きたくなるみち500選」のひとつ、埼玉県東松山市の「箭弓(やきゅう)稲荷
神社から岩殿観音へのみち」(15km)に参加しました。

 東松山市は、毎年11月初めに開催される、日本一のウオーキング大会「日本
スリーデーマーチ」の主会場であり、このコースも、そのときの30kmや20km
コースでおなじみのエリアです。

 出発地の箭弓稲荷神社は、東武東上線東松山駅西口からすぐのところにあり、
創建は和銅5年(712)と伝えられています。

 平安期に平忠常討伐に向かう源頼信が、白狐に乗った神から箭と弓を授かる
夢を見て戦に勝ったので、社殿を寄進したと言われています。

 毎年、春分の日に開催されるウオーキング大会「武蔵野十里」のゴールになった
こともあり、私も何回か行っていますが、今日、改めて社殿を見上げたら、素晴
らしい彫刻が随所に施されていることを知りました。

 境内には、1500株といわれる広いボタン園がありますが、見ごろは来週以降
とか。それでも社殿横のそばのボタンはきれいに咲いていました。

 9時50分にスタートしました。参加者は300人くらいでしょうか。毎月開催され
ている「歩きたくなるみち」シリーズなので、平日ウオークとしては、かなりの人数
です。

 関越自動車道東松山インターチェンジに近いオタメ池のほとりに、「虎御石
(とらごいし)」という大きな板石塔婆(いたいしとうば)がありました。高さ
3.75mで、この地方(比企・入間)最大のもの。応安2年(1369)に建立
されたようです。

 青鳥(おおとり)城跡や、若宮八幡古墳のそばを通過しましたが、説明板など
には気づかず、詳細は分かりません。

 ウグイスの鳴く雑草地の先で、都幾川(ときがわ)にかかる冠水橋「おとうか
橋」を渡り、南側の稜線に向かって急坂を上がります。芽吹き始めたばかりの
クヌギなどの若葉が、淡い彩りを見せていました。

 この辺りは、スリーデーマーチの20kmコースです。

 南に下った田んぼの向うに見える里山も、やわらかな若葉の彩りです。

 門前町の面影の残る岩殿(いわどの)の家並みを進み、仁王門をくぐって
岩殿観音に上がりました。

 岩殿観音正法寺(しょうぼうじ)は、養老2年(718)開山で、坂東三十三観音
霊場第10番札所です。

 広い境内には、本堂(写真)のほか、観音堂、薬師堂、鐘楼などがあり、本堂
の前には、根元が複雑にからみ合った大イチョウが立ち、境内は豊富な緑に
覆われています。

 トンネルをくぐって南側に続く物見山に上がります。ソメイヨシノは咲き終えて
いましたが、たくさんあるツツジが花を見せ始めていました。

 その一角で昼食となり、埼玉県平和資料館のそばの芝生で弁当を食べました。
食後、平和資料館に入り、第2次世界大戦中の生活用具や、戦争に関する資料
などを見学しました。

 一番奥から展望塔にも上がってみました。晴れて見通しの良い日は、関東平野
を囲む山々や、東京の高層ビルなども見えるようですが、この日はかすんでいて、
眼下の淡い彩りの新緑しか見えません。

 車道の途中から、山林の中の細道を児沢(ちごさわ)沿いに下り、スリーデー
マーチでは豚汁サービスが楽しみな千年谷(せんねんだに)公園の奥に上がり、
それに続く松風公園の末端で解散となりました。

 関越自動車道を越え、高田博厚の彫刻の並ぶ「彫刻の散歩道」を進んで、
13時53分に東武東上線高坂駅に着きました。

 高田博厚は1900年生まれ、1931年から約30年フランスに住み、ロマン・
ロラン、ルオーなどと親交があり、1987年に死去した彫刻家です。

 新緑や春の花をあちこちで楽しむことができましたが、このシリーズの歩きに
参加していつも思うのは、このような大勢のウオーキングでは、「歩きたくなる
みち」の見どころをゆっくり見ることができません。

 少人数か一人で地図を頼りにマイペースで歩いた方が、コースの良さが分かる
ので、それができるよう、早くコース地図を発売してもらいたいですね。
 

 

 

 
 

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