あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

京都御所とその周辺を巡る(上)

2008-04-07 21:45:38 | 京都を歩く
 2008年3月31日(月)



 京都市内社寺巡りの2日目は、今回の旅の1番の目的で
ある、京都御所の拝観から始まる。

 京都御所の拝観は昨年4月10日に予定していたのだが、
出かける前日の4月7日に交通事故にあって中止したため、
今年の正月初めに改めて申し込んだもの。

 ちなみに、京都御所の参観には申し込みが必要で、3ヶ月
前1日から受付が始まり、サクラの頃は申し込みが多い。

 9時からの拝観を申し込んだので、8時40分過ぎ、御所西
側の清所門(せいしょもん)と呼ぶ参観者入口から入った。


 参観者は案内人に従い、説明を聞きながら回る。1回の
参観時間は約1時間で、1周約1kmあるという。

 以前行った修学院離宮や桂離宮に比べて人気が高いの
か、1回辺りの参観者は150人と多い。

 京都御所は、築地塀に囲まれた南北約450m、東西約
250mの方形で、面積は約11万㎡あり、京都大宮御所、
仙洞御所、桂離宮、修学院離宮とともに皇室用財産として
宮内庁が管理している。


 参観者休憩所を出て、まず、御車寄(おくるまよせ)(写真
上)に続く諸大夫の間(しょだいぶのま)へ。

 正式な用向きで参内(さんだい)したときの控えの建物で、
3つの部屋がある。これは中間の諸侯・所司代の控えの間
に描かれた鶴の絵で、この部屋は「鶴の間」とも呼ばれる。


 南側に回ると、鮮やかな朱塗りの柱の承名門(じょめいもん)
がある。

 承名門からは、南庭を通して北に紫宸殿(ししんでん)の大
きな建物が望まれる。

 紫宸殿は、安政2年(1855)の再建、代々の天皇の即位礼
など、重要な儀式を行う最も格式の高い正殿で、間近で拝観
することは出来ない。

 間口37m、奥行き26.3m、棟の高さ20.5mの入母屋
(いりもや)檜皮葺(ひわだぶき)の高床式宮殿建築である。

 建物の右手前に見えるのは左近の桜で、門扉で見えないが、
左側には右近の橘がある。 

 東に回ると、御所の東南の門、建春門(けんしゅんもん)が
見える。


 東側から紫宸殿の背後を回って清涼殿前に行く。
清涼殿は、天皇の日常の生活の場として使用されたところ。


 清涼殿の北側に続く建物


 東側に戻って小御所の横を北に進むと、入母屋檜皮葺の
御学問所(おがくもんじょ)がある。

 学問のためだけでなく、和歌の会などにも用いられたという。


 小御所や御学問所の東側には、池を巡らした御池庭(おいけ
にわ)が広がっている。




 御池庭の北側にあって御所最大の建物が御常御殿(おつね
ごてん)。これは、御殿の扉に描かれた絵。


 御常御殿で折返し、御学問所との間を西に抜けると広場
になっていて、しだれ桜が見頃である。

 参観者は、思い思いに桜をバックに記念撮影をしたり、花
を鑑賞したりして拝観を終えた。


 参観者休所にある売店で記念の品を幾つか求め、10時
15分に参観者の出入り口、清所門を出た。     (続く)
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サクラとナノハナの権現堂堤へ(埼玉県幸手市)

2008-04-06 22:36:45 | カントリーウオーク
 風もなく絶好のお花見日和となった今日は、埼玉県内
を中心にカントリーウオークを楽しむグループの4月例会
でした。

 集合はJR宇都宮線東鷲宮駅で、午後、サクラとナノハ
ナが花盛りの権現堂堤を経て、東武日光線幸手(さって)
駅まで歩きました。


 2次会で帰宅が遅くなったので、本日も詳細レポートは
別途とし、昼食地でのメンバーの記念写真と、権現堂堤
の花の模様を2,3の写真で紹介します。










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LLウオーク続茨城①へ

2008-04-05 22:19:38 | ウオーキング
 今日、明日と、やまさんのLLウオーク茨城県の続編が
追加になったので出かけました。

 ところが、起床時刻を間違えたため、予定のつくばエクス
プレス守谷駅9時集合の予定が、9時半になってしまい、
すでにスタート地、中沢バス停へのバスが出た後でした。

 次のバスは10時40分、さてどうするか。コミュニティ
バスがあるようだが、方向も時刻も分からない。

 そこで、持参の2万5千分の1地形図を広げて検討し、
関東鉄道常総線で水海道駅まで行きました。

 ここから今日のスタート地、菅生沼西の中沢バス停方面
に向かいます。

 水海道から菅生沼までは、ほぼ西へ8㎞前後ありそう。
しかも最短で結ぶような道路はなく、くねくねとしていました。

 菅生沼の東にある古社、一言主神社に着いたのが正午頃。
さらに菅生沼を横断する木の橋のところまで行き、沼を確認
し、予定と思われるコースへ。

 その前に、沼のほとりにある「あすなろの里」で昼食をして
南に向かいました。

 出来るだけ最短距離をと、田んぼと斜面林下の車の来ない
道を進んで距離の半分を稼ぎ、鬼怒川の滝下橋を渡り、ゴー
ルの守谷駅に向かうコースも、できるだけ直線に近いルート
を進みました。

 守谷駅まであと1㎞前後というあたりで、前方にウオーカー
らしい2人を見つけたので急いだところ、やなりやまさんと
Tさんでした。

 追いついて訳を話しながら進み、16時18分にゴール
しました。

 お互いのコース取りを話して見たら、同じ場所で段丘下に
下ったりしたことも分かりました。

 遅れた私が悪いのですが、何とか追いつくことが出来て、
多少は面目をほどこかしたかなという気がします。

 明日もカントリウオークグループの例会に出かけ、その
準備があるので、とりあえずの報告に留めます。

 たくさんサクラも撮ったのですが、報告は別途とします。

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京都・醍醐寺とその周辺を巡る(下)

2008-04-04 18:39:02 | 京都を歩く
 2008年3月30日(日)(続き)

 3時間近くの醍醐寺拝観を終え、旧奈良街道を北に向かう。

 まず、近くの京栄堂という和菓子店の建物の一角にあった
「鬼めん」といううどん店で遅い昼食。醍醐寺へ花見に来た
人がたくさん入ったのか、残りのメニューは限られていた。
 
 しかし、お店の人の対応はよく、気持ちよく食事を済ます
ことができた。

 交通量の多い新奈良街道と交差してさらに進み、地下鉄
小野駅に近い随心院門跡(もんぜき)に行く。

 随心院は、弘法大師から8代目の弟子、仁海僧正により
正暦2年(991)に開基した曼陀羅(まんだら)寺がはじまり。
次第に整備された七堂伽藍は承久応仁の乱で焼け、現在
の本堂は慶長4年(1599)の再建だという。

 随心院は小野小町の旧跡とも伝えられ、謡曲「通小町」の
前段、深草少将が小町のもとに百夜通った伝説の舞台であり、
小町は境内の化粧の井付近に住んでいたという。

 境内には小町文塚(こまちふみづか)もある。

 この日は、年に一度の「はねず踊りと今様」という、奉納の
舞と観梅祭の日だった。

 「はねず」とは、うす紅色のこと、随心院門跡にある梅園の
紅梅が、古くからこの名で親しまれていたようだ。

 古くから毎年、「はねず」の咲く頃に、門内の庭で踊ってい
た「唐様(はねず)踊り」は、小野小町伝説を主題としたもの
で、一時途絶えたが、近年復活したのだという。

 踊りの最終回が15時から始まるというので、その前に庫
裡(くり)から上がって、奥書院、表書院、本堂などの内陣と、
仏像や古文書、庭園などを拝観する。


 「はねず踊り」は、午前中には外で踊られるようだが、雨に
なったので、庭園を眺められる本堂の廊下で行われた。

 近くの小学校高学年の女性児童8人が、邦楽の演奏に合
わせてはねず色の衣装で踊る。

 小野小町をしのばせる、しっとりした舞だった。
    

 踊りを見た後、境内の一角、名勝・小野梅園を巡る。今年は
開花が早めだとかで盛りは過ぎていたが、雨に濡れたはねず
色の花も、味わい深いものだった。


 西に向かい、地下鉄東西線が地下を走る小野駅に近い車
道と、山科川を横断し、名神高速道の南側にある勧修寺(か
じゅうじ)に行く。

 16時15分に着いたが拝観時刻は16時まで。でも受付に
いた女性に聞いたら、拝観させてくれるとのこと。感謝して
入る。

 勧修寺は、昌泰3年(900)に醍醐天皇が創建されたという
古寺。庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、氷室池を中心に造園
され、周囲を借景とした地泉庭園がある。

 平安時代には、毎年1月2日に氷室池に張る氷を宮中に献
上し、その厚さでその歳の五穀豊凶を占ったといわれていると
いう。

 書院の前の灯ろうは、水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯籠」
と呼ばれるユーモラスなスタイル。

 周りを覆うハイビャクシンは、樹齢750年といわれ、国内で
も無双の名木として名高いようだ。

 観音堂の周辺では、数本のソメイヨシノが冷たい雨に濡れて
いた。


 氷室池の中の島は、自然のままに木が茂り、サギの巣が幾つか
出来ていた。(中の島は下の写真の左にある)

 庭園を一巡し、15分ほどで勧修寺の拝観を終える。

 南側に神社が見えたので向かってみたら、目的の神社の
手前にもう一つ、小さな社の宮道神社というのがあった。

 このあたり宇治郡を本拠とした、氏族宮道氏の祖神、日本
武尊などを祭神として、寛平10(898)に創建されたという。

 平安時代初期の宇治郡司・宮道弥益は、醍醐天皇の生母・
藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが、いま拝観した勧
修寺だという。

 石段下には、三条右大臣の「名にし負はば 逢坂山の さね
かづら 人に知られで くるよしもがな」の歌碑がある。

 この地は、父の藤原高遠が宮道弥益の娘と結ばれたロマン
の地だったようだ

 目的の神社は、その南側にある八幡宮。仁寿3年(853)の
創建と伝えられ、江戸時代までは勧修寺の鎮守社だったという。

 現在の本殿は、元禄8年(1695)の建築。向背(こうはい)が
改変されているが、江戸中期の大型切妻造り平入本殿として
の価値が高いとして、京都市有形文化財に指定されていた。


 境内の一角にある天満宮前には、安産の神という二つの石
があり、鳥居のそばには、ツブラジイの大木が高く枝を伸ば
していた。

 市営地下鉄東西線の小野駅に17時5分に着き、初日の予
定を終わり、連泊する四条烏丸のビジネスホテルに向かった。

(天気 曇後雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 京都東南部、
 歩行地 京都市伏見区)

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京都・醍醐寺とその周辺を巡る(上)

2008-04-03 12:31:03 | 京都を歩く
 関西のサクラも見頃が近づいた3月30日~4月1日、京都
御所の参観と、京都市東南部の伏見区にある社寺巡りに出
かけた。順次、その模様を報告する。

=========================

 2008年3月30日(日)
 =醍醐寺とその周辺へ(上)=


 
 東京駅7時3分発のひかり361号で京都駅に9時48分に
着く。JR琵琶湖線(東海道線)で山科まで戻り、京都市営地
下鉄東西線にて醍醐駅まで行く。10時半に駅を出た。

 地下鉄東西線の、駅のホームにある車両の扉と連動する
ドアは、天井まで達する本格的なもの。相当な費用をかけた
設備で、首都圏にはない。

 新しい住宅が並ぶ醍醐東団地を、緩やかに東の高台に向
かって上がる。南北に走る新奈良街道を横切ると、広い境内
の醍醐寺である。

 醍醐寺は、弘法大師の孫弟子にあたる理源大師により、
貞観16年(874)に醍醐山上に草庵を造ったのが始まり。

 醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依により、次々に堂塔
が建立され、大伽藍(がらん)が整ったという。

 開山以来、醍醐寺は日本仏教史上重要な位置を占め、国
宝や国重文に指定されたものも多く、平成6年(1994)には
世界文化遺産に登録されている。

 総門を入り、広い境内に広がる堂塔の一角、まず左手の
三宝院へ。三宝院は永久3年(1155)の創建、醍醐寺の
本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊とのこと。

 入口周辺のしだれ桜が見ごろである。


 大玄関(下の写真)から上がって葵の間、秋草の間、勅使
の間を経て、表書院から池を中心とした庭園を見る。

 豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計したという、
桃山時代の雰囲気を伝える庭園である。

 奥の本堂では、鎮座する快慶作の弥勒菩薩像などを拝観し、
ほかの建物も一巡した。これらは写真撮影は禁止だった。

 予報通り雨となったが、建物から出て、憲深林苑と呼ぶ庭
園に回る。

 何本もあるシダレザクロやソメイヨシノが見ごろ。

 ヒカンザクラやハクモクレン、紅梅、サンシュユ、アセビなど
も咲いていた。

 総門から真っ直ぐの西大門を入ると、松などの多い広い境
内に幾つもの堂塔が散らばっている。

 醍醐寺の総鎮守である清瀧宮本殿は永正14年(1517)
の再建で国の重要文化財である。


 国宝の五重塔は、天暦5年(951)の完成で、高さ約38m、
屋根上の相輪は約13mあるという。


 醍醐寺の中心お堂である金堂は2度焼失し、現在のもの
は豊臣秀吉の命で慶長5年(1600)に完成し、やはり国宝
である。


 ほかに、祖師堂、不動堂、大講堂(写真上)、鐘楼堂、弁天
堂(写真下)などがあった。


弁天堂の先から山道を約1時間上ると、醍醐寺開創の起源
となった醍醐水や、西国三十三観音霊場第11番札所准胝
堂(じゅんていどう)のある上醍醐だが、天候と先の予定もあ
り今回は省略した。

 三宝院のそばまで戻り、東側にある新しい霊宝館に入る。
数多い醍醐寺の仏像などの宝物を展示するところ。春期特
別公開中の20を越える国宝や重文の仏像や、図像、工芸
品などを拝観した(館内は撮影禁止)。

 霊宝館の周りも、何本もある古木のしだれ桜が見頃だった。








                           (続く)
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京都・伏見から桃山周辺を巡る

2008-04-01 23:07:17 | Weblog
 4月1日(火)、京都の社寺巡り最終日は、京都市東南部
の伏見と桃山の間を歩いた。

 9時半過ぎ、JR奈良線のJR藤森駅に下車する。
東側の丘陵地帯にある仏国寺には、伏見奉行だった小堀
遠州の墓があった。

 京都から宇治経由奈良を結ぶ街道として賑わったという
近くの八科峠を経て、伏見城の内堀跡を整備したという
伏見内堀公園へ。

 園内の高台に上がったら、間近に復元真新しい伏見桃山
城が見えたので回ってみた。

 サクラも見頃で、思いがけずの訪問が出来た。

 JR奈良線と京阪電車の西に回って、秀吉ゆかりのサクラ
で知られる墨染寺に入る。狭い境内だがサクラが見頃で、
週末には桜祭りが開催されるという。

 そばの欣浄寺には、伏見大仏という高さ5.3mで、木像
の大仏としては日本一の大仏があった。

 北に向かい、五月の節句の発祥地といわれる藤森神社へ。
境内には、不二の名水といわれる湧水が出ており、くんで
持ち帰る人が並んでいた。

 さらに北東に進み、12人の天皇を祭る深草北陵を経て、
広い境内に幾つもの子寺を持つ宝塔寺に詣でる。

 北側の石峰寺(せきほうじ)には、竹林の中に趣ある
五百羅漢が並んでいた。

 最後に伏見稲荷大社に参拝し、17時前にJR奈良線の
稲荷駅に着き帰途につく。

 昨日も同様だったが、今日も、晴れたと思うと雲が増え、
パラパラとして間もなく止むという、変わりやすい天気で、
今日は風も冷たかった。

 京都駅17時29分発ひかり号にて東京へ。帰宅は21時
46分だった。

 3日間のレポートは、明日以降アップします。
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