先に、義清(ノリキヨ、西行)に関して、藤原頼長の日記『台記(タイキ)』(閑休449)中の記事、≪……そもそも西行は、もと兵衛尉義清なり。左衛門大夫康清の子。重代の勇士なるをもって法皇に仕えたり。……≫、を紹介しました。
すなわち、義清は、18歳(1135)で家業と言える兵衛尉に任官し、ほどなく鳥羽院の北面の武士として出仕、院の御所を警備するようになります。今回読む歌は、その頃の作と想像される一首で、馬を駆って遠乗り、馬術を磨いているところを思わせます:
伏見すぎぬ 岡の屋になほ 止まらじ
日野までゆきて 駒こころみん
スタートは、御所でしょうか。南下して、瞬く間に伏見を過ぎ、鴨川沿いの岡屋も横目に見て突っ走り、日野まで…、風を切って一気に走り抜ける二十歳前後の青年・義清である。パカパカツ、パカパカツ、パカパカツ、…と躍動する馬のヒズメの音も身近に聞こえるようである。
今回の歌は、乗馬を詠む特異な歌で、端的に西行の特徴をよく表しているように思われる。西行の歌は、総じて、
・いわゆる“歌語”ではなく、“俗語”がよく用いられており、
・歌に、いわゆる“宮廷歌”にはない、“人間味”が感じられる、と評されている。
以後、西行の歌を読むに当たって、記憶に留めておきたい点と言えよう。
和歌と漢詩
ooooooooo
<和歌>
伏見すぎぬ 岡の屋になほ 止まらじ
日野までゆきて 駒こころみん [山家集1438]
[註]〇伏見:山城国伏見、現 京都市伏見区; 〇岡の屋:地名、宇治黄檗の西、宇治川の右岸辺り; 〇日野:岡屋を経て醍醐へ行く途中の地名; 〇駒こころみん:馬の耐久力を試してみよう。
(大意)伏見は過ぎた、岡屋でも留まらず、日野まで走り続けて、愛馬の持久力を試すことにしよう。
<漢詩>
驗馬耐勞 馬の持久力を驗(タメ)す [下平声十一尤韻]
伏見已経過、 伏見(フシミ) 已経(スデ)に過(ス)ぐ、
岡屋仍不留。 岡屋(オカヤ) 仍(イマナオ) 留不(トドマラ)ず。
猶策到日野, 猶(ナオ)策(ムチウ)ちて日野に到(イタ)らん,
驗馬耐勞優。 馬の耐勞(ガンバリ)優(スグレ)るを驗(タメ)さん。
[註]〇策:むち打つ; 〇耐勞:労苦に耐えられる。
<現代語訳>
馬の持久力を驗(タメ)す
伏見は疾うに過ぎた、
岡の屋でもやはり留まることはない。
猶も 馬に鞭打ち日野まで走り続けん、
馬が耐えうる力の勝れるを試そう。
<簡体字およびピンイン>
验马耐勞 Yàn mǎ nàiláo
伏见已経过、 Fújiàn yǐjīng guò,
冈屋仍不留。 gāngwū réng bù liú.
犹策到日野,Yóu cè dào rìyě,
验马耐劳优。yàn mǎ nàiláo yōu.
ooooooooo
漢訳に当たって、歌の内容のスピード感は損なわぬよう心掛けた。また「駒こころみん」については、“馬の持久力、あるいは耐久能(耐勞)を試そう”と解釈して漢訳した。しかし時代背景、義清の性格等々を考慮するなら、その解釈だけでは物足りなく思える。義清の心の内に分け入ってみよう。
この歌における馬の“遠乗り”は、遊興・観光のための“遠乗り”ではなかろう。まず、青年なればこその心に染まぬ諸々の悩みや苦慮すべき事柄に直面し、あれやこれやと堂々巡りに自問自答を繰り返す状況に置かれていた。そんな折、気分転換に“馬の遠乗り(駒こころみん)を”、と心の内の整理のために駒に跨り、駆け抜けた(1案)。
義清は、代々“武”を以て家業とし、特に上皇院を警護する北面の武士である。日常、日夜“技”を磨き、事ある際へ備える必要のある立場にある。自らの乗馬術を磨く訓練の一環として、“駒よ、さあ行くぞ(駒こころみん)”と、駒に跨り、駆け抜けた(2案)。以上、“駒こころみん”の意図・内容は、単純でなく、多くのことを想像させてくれます。読者のみなさんは如何様に読みますか?
先ず第2案について考えます。伏見・岡の屋・日野…と、一気に息も切らせず、地名が挙がる調子には、遠距離を一気に走り抜けようとする気概が感じられます。とともに、このような“遠乗り”は、訓練の一環として頻繁に行われていたように想像される。
なお、当時、武技や芸事など、“一つの道に専心、心を入れて修行すれば、常人の及ばない域にまで達することができる”という、いわゆる“道(ドウ)”の概念が生まれつつあったようである。青年・義清には、武技を極めようと励む一武人の姿が想像されます。
この歌には、 義清の“一途に物事を考え、決行し、貫き通すという人間性が現れているように感じられ、後々、出家、求道・歌の道と貫き通した生涯が重なってみえる。義清・西行を語り尽くす一首と言えるのではなかろうか。
第一案については、話がもっと進んだ段階で、世の中の状況や義清の置かれている環境など明らかになった所で、振り返って考えてみたいと思っております。
【井中蛙の雑録】
〇出家された、いわゆる遁世歌人・西行の歌を読んでいて、“抹香臭さ”を感じさせない、むしろ“人間臭”・“人間味”を強く感じます。思い当たる節が多く、読んでいて飽きない点でしょうか。