運動と記憶・学習などの認知能とを結び付ける材料のひとつとして脳由来神経栄養因子 (BDNF:Brain-derived Neurotrophic Factorの略)について触れます。
キャンバスに花の絵を描くとします。その花にミツバチまたはチョウが一点加わると、画竜点睛とまでは行かなくとも、絵が一段と映えるように感じられます。
ちょうど今の時期、公園や街路の花壇などに色とりどりの花が開いています。朝日が差す頃、ミツバチやチョウが開いたばかりの花から花へと飛び移っては蜜を吸っている情景が目にとまります。
写真 ブラックベリーの花 蜜を吸うミツバチ(’16.5.18撮影)
蜜を吸うミツバチやチョウは、言わずもがな、花から蜜を吸う代償に花の受粉を媒介して、結実するのを助けているのです。脳由来神経栄養因子(BDNF) は、正にこのミツバチやチョウと同じように、脳の‘成長’を助ける先導役の役割を果たしていると考えてよいでしょう。その運動との関わりについての筋書きは、追々触れていくことにします。
動物・植物を問わず、生物が外界の変化の刺激に対して反応する場合、生物の体内での情報のやり取りには、ほとんどの場合、“化学物質”が重要な役割を果たしていると言ってよいでしょう。
端的な例ではホルモンが挙げられます。動物・植物ともに、生後または出芽後、年を経るにつれて成長していきます。また日常、動物で身体のどこかが傷つけられた場合、傷口に白血球を呼び寄せて殺菌の働きをさせる、また傷口の修復を促す等々、すべてそれぞれの役割を担ったいろいろな化学物質からなるホルモンが関わっています。
神経系の働きも同様です。例えば、足でオシピンを踏んだとします。直ちに‘痛い’と感じて声を挙げるとともに、即座に足を引っ込めて、難を避けます。‘痛い’と感ずるのは、脳であり、足を引っ込めるのは、脊髄を介する反射運動です。
足から脊髄や脳まで求心性に情報を伝え、一方、脳から‘痛い’と声を発し、また脊髄から足を引っ込めるよう遠心性に情報を伝えているのは神経の役割です。求心性、遠心性を問わず、神経系では、次々と複数のニューロンをつないで情報を伝えていきます。ニューロンとは、一個の神経細胞とそれから伸びている神経線維(軸索)からなる神経単位を言います。
神経線維では、その末端まで電気信号として非常に速い速度で情報を伝えていき、次のニューロンへ情報を受け渡していきます。次のニューロンへの情報の受け渡しには‘神経伝達物質’と通称されている化学物質が関わっています。
このような情報を伝える仕組みには、末梢神経系や脳・脊髄内の中枢神経系ともに違いはなく、電気信号と神経伝達物質が主役を演じています。ただ、神経伝達物質の種類が、からだの部位により異なること、および神経繊維が末梢では非常に長いが、脳内では非常に短いという違いはありますが。
脳は、無数と言えるほど(140億個以上?)の数のニューロンがぎっしりと詰まっていて、ネットワークを構成した集合体です。その‘つくり・構成’については稿を改めて触れることにします。
ここで注意を向けたいのは、神経伝達物質とは別に、脳の‘つくり’と関わりのある化学物質が脳内で生成・分泌されていることです。このような化学物質が複数発見されていますが、その一つが脳由来神経栄養因子(BDNF)と呼ばれている物質で、一種のタンパク質です。
脳由来神経栄養因子(BDNF)について注意を惹かれる所以は、それが特に海馬や大脳基底核、大脳皮質などに多く含まれていることです。これらの部位は、前回ちょっと触れたように、学習や記憶などに関わる脳の特殊な部位です。
特に、脳由来神経栄養因子(BDNF)は、神経細胞の発生、成長を促し、またニューロン同志のつながりを促すなど、脳の‘つくり’、すなわち、インフラの構築、維持に関わっていることが明らかにされています。
かつて、脳内の神経細胞の数は生まれた時に決まっていて、その後は加齢とともに減少していき、増えることはないと考えられていました。それがこれまでの常識でした。しかし脳内でも新しい神経細胞が生まれていき、補充されているということが新常識になりつつあります。
過去の常識を覆すであろうきっかけとなった第一歩の発見は、別の分野の研究から得られたのでした。がん患者では、細胞分裂を起こしていて、増殖中の細胞の広がりが調べられます。増殖細胞を調べるには、ある標識色素を用いて染色する技術が応用されています。
増殖細胞の広がりを調べるために、生前にその技術を応用して標識色素を投与していたがん患者で、亡くなった後に脳組織を調べたところ、海馬を含めて脳組織が染色されていることが判ったのです。つまり脳細胞が増殖していることを示す驚きの知見でした。その報告は1998年に発表されています。
一方、脳内には‘神経幹細胞’と呼ばれる未分化の細胞があることはかつて知られていました。未分化とは、まだ神経細胞としての機能を持たない、言わば、卵の状態の細胞と言えるでしょうか。脳由来神経栄養因子(BDNF)は、それら未分化の‘神経幹細胞’を新しい神経細胞に分化、成長させることが判っています。
というわけで、脳由来神経栄養因子(BDNF)は、海馬などの脳部位で「脳の‘つくり’」を促すように働き、学習・記憶、ひいては認知能を高めるであろうことを想像させてくれます。脳由来神経栄養因子(BDNF)は、まさに先に挙げたミツバチやチョウが花の受粉・結実を助けているという役割と重なってきます。
本項での興味の対象は、運動と脳由来神経栄養因子(BDNF)、さらに認知能との関係ですが、その前に、脳の‘つくり’、脳内ネットワークについて触れます。脳内ネットワークと絵が描かれていくキャンパスが如何ように関連付けられるか、続いて思いを巡らしていきます。
キャンバスに花の絵を描くとします。その花にミツバチまたはチョウが一点加わると、画竜点睛とまでは行かなくとも、絵が一段と映えるように感じられます。
ちょうど今の時期、公園や街路の花壇などに色とりどりの花が開いています。朝日が差す頃、ミツバチやチョウが開いたばかりの花から花へと飛び移っては蜜を吸っている情景が目にとまります。
写真 ブラックベリーの花 蜜を吸うミツバチ(’16.5.18撮影)
蜜を吸うミツバチやチョウは、言わずもがな、花から蜜を吸う代償に花の受粉を媒介して、結実するのを助けているのです。脳由来神経栄養因子(BDNF) は、正にこのミツバチやチョウと同じように、脳の‘成長’を助ける先導役の役割を果たしていると考えてよいでしょう。その運動との関わりについての筋書きは、追々触れていくことにします。
動物・植物を問わず、生物が外界の変化の刺激に対して反応する場合、生物の体内での情報のやり取りには、ほとんどの場合、“化学物質”が重要な役割を果たしていると言ってよいでしょう。
端的な例ではホルモンが挙げられます。動物・植物ともに、生後または出芽後、年を経るにつれて成長していきます。また日常、動物で身体のどこかが傷つけられた場合、傷口に白血球を呼び寄せて殺菌の働きをさせる、また傷口の修復を促す等々、すべてそれぞれの役割を担ったいろいろな化学物質からなるホルモンが関わっています。
神経系の働きも同様です。例えば、足でオシピンを踏んだとします。直ちに‘痛い’と感じて声を挙げるとともに、即座に足を引っ込めて、難を避けます。‘痛い’と感ずるのは、脳であり、足を引っ込めるのは、脊髄を介する反射運動です。
足から脊髄や脳まで求心性に情報を伝え、一方、脳から‘痛い’と声を発し、また脊髄から足を引っ込めるよう遠心性に情報を伝えているのは神経の役割です。求心性、遠心性を問わず、神経系では、次々と複数のニューロンをつないで情報を伝えていきます。ニューロンとは、一個の神経細胞とそれから伸びている神経線維(軸索)からなる神経単位を言います。
神経線維では、その末端まで電気信号として非常に速い速度で情報を伝えていき、次のニューロンへ情報を受け渡していきます。次のニューロンへの情報の受け渡しには‘神経伝達物質’と通称されている化学物質が関わっています。
このような情報を伝える仕組みには、末梢神経系や脳・脊髄内の中枢神経系ともに違いはなく、電気信号と神経伝達物質が主役を演じています。ただ、神経伝達物質の種類が、からだの部位により異なること、および神経繊維が末梢では非常に長いが、脳内では非常に短いという違いはありますが。
脳は、無数と言えるほど(140億個以上?)の数のニューロンがぎっしりと詰まっていて、ネットワークを構成した集合体です。その‘つくり・構成’については稿を改めて触れることにします。
ここで注意を向けたいのは、神経伝達物質とは別に、脳の‘つくり’と関わりのある化学物質が脳内で生成・分泌されていることです。このような化学物質が複数発見されていますが、その一つが脳由来神経栄養因子(BDNF)と呼ばれている物質で、一種のタンパク質です。
脳由来神経栄養因子(BDNF)について注意を惹かれる所以は、それが特に海馬や大脳基底核、大脳皮質などに多く含まれていることです。これらの部位は、前回ちょっと触れたように、学習や記憶などに関わる脳の特殊な部位です。
特に、脳由来神経栄養因子(BDNF)は、神経細胞の発生、成長を促し、またニューロン同志のつながりを促すなど、脳の‘つくり’、すなわち、インフラの構築、維持に関わっていることが明らかにされています。
かつて、脳内の神経細胞の数は生まれた時に決まっていて、その後は加齢とともに減少していき、増えることはないと考えられていました。それがこれまでの常識でした。しかし脳内でも新しい神経細胞が生まれていき、補充されているということが新常識になりつつあります。
過去の常識を覆すであろうきっかけとなった第一歩の発見は、別の分野の研究から得られたのでした。がん患者では、細胞分裂を起こしていて、増殖中の細胞の広がりが調べられます。増殖細胞を調べるには、ある標識色素を用いて染色する技術が応用されています。
増殖細胞の広がりを調べるために、生前にその技術を応用して標識色素を投与していたがん患者で、亡くなった後に脳組織を調べたところ、海馬を含めて脳組織が染色されていることが判ったのです。つまり脳細胞が増殖していることを示す驚きの知見でした。その報告は1998年に発表されています。
一方、脳内には‘神経幹細胞’と呼ばれる未分化の細胞があることはかつて知られていました。未分化とは、まだ神経細胞としての機能を持たない、言わば、卵の状態の細胞と言えるでしょうか。脳由来神経栄養因子(BDNF)は、それら未分化の‘神経幹細胞’を新しい神経細胞に分化、成長させることが判っています。
というわけで、脳由来神経栄養因子(BDNF)は、海馬などの脳部位で「脳の‘つくり’」を促すように働き、学習・記憶、ひいては認知能を高めるであろうことを想像させてくれます。脳由来神経栄養因子(BDNF)は、まさに先に挙げたミツバチやチョウが花の受粉・結実を助けているという役割と重なってきます。
本項での興味の対象は、運動と脳由来神経栄養因子(BDNF)、さらに認知能との関係ですが、その前に、脳の‘つくり’、脳内ネットワークについて触れます。脳内ネットワークと絵が描かれていくキャンパスが如何ように関連付けられるか、続いて思いを巡らしていきます。