若曦は、恂勤郡(ジュンキングン)王(第十四皇子)に‘嫁入り’して、紫禁城の外に出ることが叶った。郡王との日常は、非常に仲睦まじいように見える。
郡王が、屋外で激しく剣舞を舞った後、若曦がハンカチで郡王の顔の汗を拭いてあげ、その後に手を取り合って屋内に入っていく。前回に触れたように、郡王が、夜に若曦の部屋で過ごすこともあった。
このような状況は、雍正帝(第四皇子)が放った密偵によって逐一帝の元に報告されているのである。しかし帝は、快からぬ報告に怒り心頭で、報告の書状を破り捨て、“若曦の近況報告はもういらぬ!”と命ずる始末である。
一方、郡王は、帝に、<ならず者の劉邦が皇帝となり、英雄の項羽は自害した。英雄たちは墓前で嘆くだけである>と、嫌みな書状を送ることもあった。帝は、不機嫌に、“十四弟からの書状は、以後読まぬ”と、決めた。
実は、密偵を逆手に利用して、仲睦まじい様子など偽情報を報告させ、また自らも嫌みな書状を送るなど、これらの行動は、郡王の帝に対する嫌がらせ策のようであった。
雍正帝と若曦は、ともに想いは募るばかりであり、それぞれ“想い出”の中で生きていると言えようか。
若曦は、体が徐々に弱っていく中で、習字に励んでいます。帝の筆跡に倣い、‘行きて水の窮まる処に至り、座して雲の起こる時を見る’の2句を飽かずに練習しています。帝が、かつて皇子の折に胸に秘めていた‘野望’を表す句です。
若曦は、日中に眠気に襲われることが多くなった。ある時、目を閉じると、目の前が明るくなり、回廊の向こうに立っている帝を見つけた。駆け出して行って抱きしめようとすると、帝の姿は消えてしまった。
若曦は、自分の死期を悟り、巧慧に筆を用意させて、帝宛に手紙を認めます。帝との来し方を反芻しながら、“….私の心にいるのは、皇帝ではなく四皇子だけ。愛すれど結ばれず、忘れたくても想いは募る。….あなたとまた会える日を夢見て…、若曦”と、認めた。
“この手紙を帝に渡してほしい”と郡王に頼みます。ちょっと険しい表情をした郡王ですが、若曦の衰弱した様子に心を痛め、率直に引き受けました。(急いで!明後日には帝に読んでもらえ、3日後には会える)とつぶやきます。
郡王は、預かった封筒の筆跡が皇帝とそっくりであったため、その封書を別の封筒に入れて、自ら宛先を書いて送ることにした。早馬で届けた。帝は、“また自分を挑発する内容であろう”と、開封することなく、打ち捨てておいた。
3日後、若曦は、帝が訪ねて来るものと信じて、身支度を整えて待っていた。しかし終日待っても、帝は現れなかった。若曦の落胆は大きく、“私の存在など、もはや心にもなく、無関心なのだ”と、巧慧に訴え、涙する。
翌日、若曦は、親交のあった人たちへの遺言状やら、記念品の分配やらの頼みごとを巧慧にお願いする。記念品には、四皇子から贈られた「鼻煙壺」、「モクレンのかんざし」と、かつて庭園で身を庇ってもらった「鉄の矢」が赤い布で包まれてあった。
その頃、帝は、激務の後、背もたれにもたれて、目を閉じた。“帝!帝!”と、耳慣れた懐かしい声に目を開けると、眼前に若曦が立っていた。思わず駆け寄り抱きしめようとすると、姿が消えて、目が覚めた。
若曦の体調はますます落ちていき、支えなしには歩けないほどに衰弱している。郡王は、先に呼んでいた“楽師の曲を聴きましょう”と誘うと、「外に連れ出して」と、若曦は消え入るような声で言う。
屋外で、若曦は一輪のモクレンの花を手に、椅子に座り、力なく郡王の肩にもたれかかっている。外には桃の花が今を盛りと咲き誇っています。若曦は、紅の桃の花を愛でながら、次のような詩を口ずさんだ:
“草の色は緑 染むるに堪え、
桃の紅は燃えんと欲す。”
この詩は、帝の好きな詩人王維が‘輞川(モウセン)別業’(輞川別荘)で詠んだ『田園楽七首 其の六』に拠ると思われます。詩は、末尾に上げてあります。なお、‘輞川別業’については、閑話休題52(投稿‘17.10.05)をご参照下さい。
郡王は、「来年もまたここで桃の花を愛でましょう」と励まします。若曦は、力を振り絞って“お願いがある”と言い、“自分が死んだら遺体を火葬にして、その灰を風の吹く日に空に撒いてほしい”と。
当時、‘火葬’は大罪を犯した者への罰である。納得しない郡王に、若曦は、“自由に生きたかったのに、紫禁城で囚われの身となった。二度と束縛されず、風とともに逝きたい”と訴える。
「よし分かった。必ず守る」との郡王の返事を聞いて、ほっとした若曦の頬に一筋の涙が伝わり、手にしたモクレンの花がはらりと地に落ちた。
若曦逝去の報は、直ちに紫禁城に伝わり、雍正帝はじめ皇子たちはそれぞれに動転した様子で、恂勤郡王の所に設けられた祭壇に集まった。
遺灰は、雍正帝によって崖の上から青空高く撒かれた。怡親王は、感慨深気に、「これで若曦は、自由を手に入れて、未来に戻れるのだな」と言った。
……….
……….
その頃、張暁は病院のベッドにいた。「目が覚めた?先生!意識が戻りました!」と、看護師は慌てて医師を呼んだ。(第34 & 35話;完)
[蛇足]
邯鄲(カンタン)の枕:
慮生という青年が、邯鄲で道士の呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見た。目覚めてみると、炊きかけの黄梁(コウリョウ;大粟)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった。この話は、唐の沈既済(チンキセイ、750~80)の小説『枕中記』による。
人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。“邯鄲の夢”、“(黄梁)一炊(イッスイ)の夢”とも言われる。
さしずめ、“(清) 張暁の夢”と言えようか。しかし愉しみの多いドラマではあった。ドラマ製作スタッフに感謝を!謝謝!
xxxxxxx
・田園楽七首 其の六
桃紅復含宿雨、 桃は紅(クレナイ)にして 復(マ)た宿雨(シュクウ)を含み、
柳緑更帯春煙。 柳は緑にして更に春煙(シュンエン)を帯(オ)ぶ。
花落家童未掃、 花落ちて 家童(カドウ) 未(イマ)だ掃(ハラ)わず、
鶯啼山客猶眠。 鶯(ウグイス) 啼(ナ)いて 山客(サンカク) 猶(ナ)お眠る。
<現代語訳>
・田園の楽しみ七首 其の六
桃の花は夕べの雨を含んでつやつやと赤く、
柳は青さを増して春の霞に煙る。
庭に散り敷いた花びらはそのまま、召使も掃き清めたりしない、
鶯がしきりにさえずる中、山荘の主は夢の中。
郡王が、屋外で激しく剣舞を舞った後、若曦がハンカチで郡王の顔の汗を拭いてあげ、その後に手を取り合って屋内に入っていく。前回に触れたように、郡王が、夜に若曦の部屋で過ごすこともあった。
このような状況は、雍正帝(第四皇子)が放った密偵によって逐一帝の元に報告されているのである。しかし帝は、快からぬ報告に怒り心頭で、報告の書状を破り捨て、“若曦の近況報告はもういらぬ!”と命ずる始末である。
一方、郡王は、帝に、<ならず者の劉邦が皇帝となり、英雄の項羽は自害した。英雄たちは墓前で嘆くだけである>と、嫌みな書状を送ることもあった。帝は、不機嫌に、“十四弟からの書状は、以後読まぬ”と、決めた。
実は、密偵を逆手に利用して、仲睦まじい様子など偽情報を報告させ、また自らも嫌みな書状を送るなど、これらの行動は、郡王の帝に対する嫌がらせ策のようであった。
雍正帝と若曦は、ともに想いは募るばかりであり、それぞれ“想い出”の中で生きていると言えようか。
若曦は、体が徐々に弱っていく中で、習字に励んでいます。帝の筆跡に倣い、‘行きて水の窮まる処に至り、座して雲の起こる時を見る’の2句を飽かずに練習しています。帝が、かつて皇子の折に胸に秘めていた‘野望’を表す句です。
若曦は、日中に眠気に襲われることが多くなった。ある時、目を閉じると、目の前が明るくなり、回廊の向こうに立っている帝を見つけた。駆け出して行って抱きしめようとすると、帝の姿は消えてしまった。
若曦は、自分の死期を悟り、巧慧に筆を用意させて、帝宛に手紙を認めます。帝との来し方を反芻しながら、“….私の心にいるのは、皇帝ではなく四皇子だけ。愛すれど結ばれず、忘れたくても想いは募る。….あなたとまた会える日を夢見て…、若曦”と、認めた。
“この手紙を帝に渡してほしい”と郡王に頼みます。ちょっと険しい表情をした郡王ですが、若曦の衰弱した様子に心を痛め、率直に引き受けました。(急いで!明後日には帝に読んでもらえ、3日後には会える)とつぶやきます。
郡王は、預かった封筒の筆跡が皇帝とそっくりであったため、その封書を別の封筒に入れて、自ら宛先を書いて送ることにした。早馬で届けた。帝は、“また自分を挑発する内容であろう”と、開封することなく、打ち捨てておいた。
3日後、若曦は、帝が訪ねて来るものと信じて、身支度を整えて待っていた。しかし終日待っても、帝は現れなかった。若曦の落胆は大きく、“私の存在など、もはや心にもなく、無関心なのだ”と、巧慧に訴え、涙する。
翌日、若曦は、親交のあった人たちへの遺言状やら、記念品の分配やらの頼みごとを巧慧にお願いする。記念品には、四皇子から贈られた「鼻煙壺」、「モクレンのかんざし」と、かつて庭園で身を庇ってもらった「鉄の矢」が赤い布で包まれてあった。
その頃、帝は、激務の後、背もたれにもたれて、目を閉じた。“帝!帝!”と、耳慣れた懐かしい声に目を開けると、眼前に若曦が立っていた。思わず駆け寄り抱きしめようとすると、姿が消えて、目が覚めた。
若曦の体調はますます落ちていき、支えなしには歩けないほどに衰弱している。郡王は、先に呼んでいた“楽師の曲を聴きましょう”と誘うと、「外に連れ出して」と、若曦は消え入るような声で言う。
屋外で、若曦は一輪のモクレンの花を手に、椅子に座り、力なく郡王の肩にもたれかかっている。外には桃の花が今を盛りと咲き誇っています。若曦は、紅の桃の花を愛でながら、次のような詩を口ずさんだ:
“草の色は緑 染むるに堪え、
桃の紅は燃えんと欲す。”
この詩は、帝の好きな詩人王維が‘輞川(モウセン)別業’(輞川別荘)で詠んだ『田園楽七首 其の六』に拠ると思われます。詩は、末尾に上げてあります。なお、‘輞川別業’については、閑話休題52(投稿‘17.10.05)をご参照下さい。
郡王は、「来年もまたここで桃の花を愛でましょう」と励まします。若曦は、力を振り絞って“お願いがある”と言い、“自分が死んだら遺体を火葬にして、その灰を風の吹く日に空に撒いてほしい”と。
当時、‘火葬’は大罪を犯した者への罰である。納得しない郡王に、若曦は、“自由に生きたかったのに、紫禁城で囚われの身となった。二度と束縛されず、風とともに逝きたい”と訴える。
「よし分かった。必ず守る」との郡王の返事を聞いて、ほっとした若曦の頬に一筋の涙が伝わり、手にしたモクレンの花がはらりと地に落ちた。
若曦逝去の報は、直ちに紫禁城に伝わり、雍正帝はじめ皇子たちはそれぞれに動転した様子で、恂勤郡王の所に設けられた祭壇に集まった。
遺灰は、雍正帝によって崖の上から青空高く撒かれた。怡親王は、感慨深気に、「これで若曦は、自由を手に入れて、未来に戻れるのだな」と言った。
……….
……….
その頃、張暁は病院のベッドにいた。「目が覚めた?先生!意識が戻りました!」と、看護師は慌てて医師を呼んだ。(第34 & 35話;完)
[蛇足]
邯鄲(カンタン)の枕:
慮生という青年が、邯鄲で道士の呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見た。目覚めてみると、炊きかけの黄梁(コウリョウ;大粟)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった。この話は、唐の沈既済(チンキセイ、750~80)の小説『枕中記』による。
人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。“邯鄲の夢”、“(黄梁)一炊(イッスイ)の夢”とも言われる。
さしずめ、“(清) 張暁の夢”と言えようか。しかし愉しみの多いドラマではあった。ドラマ製作スタッフに感謝を!謝謝!
xxxxxxx
・田園楽七首 其の六
桃紅復含宿雨、 桃は紅(クレナイ)にして 復(マ)た宿雨(シュクウ)を含み、
柳緑更帯春煙。 柳は緑にして更に春煙(シュンエン)を帯(オ)ぶ。
花落家童未掃、 花落ちて 家童(カドウ) 未(イマ)だ掃(ハラ)わず、
鶯啼山客猶眠。 鶯(ウグイス) 啼(ナ)いて 山客(サンカク) 猶(ナ)お眠る。
<現代語訳>
・田園の楽しみ七首 其の六
桃の花は夕べの雨を含んでつやつやと赤く、
柳は青さを増して春の霞に煙る。
庭に散り敷いた花びらはそのまま、召使も掃き清めたりしない、
鶯がしきりにさえずる中、山荘の主は夢の中。