愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 215 飛蓬-122 小倉百人一首:(能因法師)嵐吹く

2021-06-21 14:09:58 | 漢詩を読む
69 嵐吹く 三室(ミムロ)の山の もみぢ葉は 
    龍田(タツタ)の川の 錦なりけり 
          能因法師 『後拾遺和歌集』秋・366 
<訳> 山風が吹いている三室山(ミムロヤマ)の紅葉(が吹き散らされて)で、竜田川の水面は錦のように絢爛たる美しさだ。 (小倉山荘氏) 

ooooooooooooo  
晩秋の頃でしょうか。三室山が全山紅葉で彩鮮やかに染まっている。山風に吹かれて散った葉っぱは、麓の竜田川に集まり、川面が金糸・銀糸で織られた錦を敷いたようだ と。山・川2か所の歌枕が詠み込まれており、三次元の美の世界が現出されている。 

作者・能因法師(988~1051?)には、歌学書『能因歌枕』の著書があり、歌枕に拘りの強い方である。全国を行脚、歌枕の土地を尋ねており、特に奥州は2度も訪ねている。旅の歌人と評されている僧侶・歌人である。 

歌の情景が素直に漢詩で表現できたのでは と思います。七言絶句としました。 

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<漢詩原文および読み下し文>  [去声十五翰韻]  
 竜田河之錦     竜田の河の錦  
三室全山紅絢爛, 三室(ミムロ)の全山(ゼンザン) 紅(クレナイ)に絢爛(ケンラン)たり, 
山風楓葉飄飄散。 山風に楓(モミジ)の葉 飄飄(ヒョウヒョウ)として散ず。 
漸趨鋪満川一面, 漸趨(ヤガテ) 川一面に鋪満(シキツメラレ)て, 
真是竜田河錦粲。 真に是(コ)れ 竜田の河(カワ)の錦(ニシキ)粲(サン)たり。 
 註] 
  三室山:奈良・斑鳩町の山、竜田川は其の東麓を流れて、大和側に合流する。 
  絢爛:きらびやかなさま。    飄飄:風に舞うさま。 
  漸趨:だんだんと、やがて。   鋪満:敷き詰める。 
  粲:鮮やかに輝くさま。   

<現代語訳> 
 竜田川の錦 
三室の全山 紅色に染まって、絢爛たる美しさであるが、 
山風が吹くにつれ もみじ葉がひらひらと舞い散る。 
やがてもみじ葉が川一面に敷き詰められていき、 
真にこれ 竜田川の錦の燦たる輝きとなる。 

<簡体字およびピンイン> 
 龙田河之錦 Lóngtián hé zhī jǐn   
三室全山红绚烂, Sānshì quán shān hóng xuànlàn, 
山风枫叶飘飘散。 shān fēng fēng yè piāo piāo sàn. 
渐趋铺满川一面, Jiàn qū pù mǎn chuān yī miàn, 
真是龙田河锦粲。 zhēn shì Lóngtián hé jǐn càn. 
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能因は、俗名・橘永愷(タチバナノナガヤス)、近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。初め文章生となるが、1013年(26歳)頃出家した。和歌に堪能で、伊勢姫(百人一首19番)に私淑し、その旧居を慕って自身の隠棲の地も摂津国古曽部に定めた。 

古曽部(現高槻市古曽部町)には、能因の隠棲の地と伝えられる少林窟道場(松林庵)や、その墓とされる陵がある。なお、伊勢は、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。宇多天皇の没後、古曽部の地に庵を結んで隠棲した。 

和歌は、中古三十六歌仙の一人、藤原北家長良流・藤原長能(ナガヨシ)に師事した。歌道における弟子として師から教えを受ける(師資相承/師承)の最初の例であると。後に能因は、相模(百65番)とともに「和歌六人党」の指導に当たっている。 

藤原公任(百55番)、相模ら多くの歌人と交流をもつと共に、「関白左大臣頼道歌合」(1035)、後冷泉天皇の「内裏歌合」(1049)などに参加している。当歌“嵐吹く”は、後冷泉帝の「内裏歌合」に出詠された歌である。 

能因の歌が初めて出るのは、『後拾遺和歌集』で、以後の勅撰和歌集に66首入集されている。歌集に『能因集』、私撰集に『玄々集』があり、歌学書『能因歌枕』がある。中古三十六歌仙の一人である。 

和歌の中で遭遇する地名の多くは“歌枕”とされる。本来、“歌枕”は歌で使われた言葉などを意味したが、現在では主に歌に現れた日本の名所旧跡を言う。ただ、単なる地名としてではなく、“竜田川”が“紅葉”を想起させるように、暗にある意味を伴って使われる。 

したがって、その土地に行ったことがあるとか見知っているとかということとは無関係なのである。ある情景や詠者の想いを導き出す役目を負って使用されているのである。漢訳に当たっては、暗に含んだ“意味”をも訳出することが重要であると思われる。 

能因は、旅の歌人と評されているほどに、諸国を巡り、旅の歌が多い。中でも歌枕の能因ならではの、東北の“白河の関”を一流の歌枕に育てた歌が遺されている。その歌には後に能因に纏わる逸話として語られるオマケつきである。その歌とは: 

都をば 霞(カスミ)とともに 立ちしかど  
  秋風ぞ吹く 白河の関 (『後拾遺和歌集』 羇旅) 
 [都を発ったのは 春霞のかかったころであったが、白河の関に着いたときは 
 秋風が吹いていたよ]  

この歌は、能因が実際に白河の関を訪ねて詠ったのではないという。出来栄えの良い歌ができたと自賛したが、都に居て発表するのはおかしいと思い、しばらく身を隠していた。その間、直射日光に身を晒して、日焼けして、十分に身支度をしていた と。 

それから、おもむろに「陸奥に修行に行った際に詠んだ歌です」と、お披露目を行った と。鎌倉時代に著された説話集・『古今著門集』(1254年成立)に載った逸話である。歌枕・“白河の関”は、“陸奥への入り口”、“関東の果て”を意味している。
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