81番 ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明(アリアケ)の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣(『千載和歌集』夏・161)
<訳>ホトトギスが鳴いた方角を眺めやると、その姿はなく、ただ有明の月が残っているだけだよ。(板野博行)
ooooooooooooo
夏の訪れを告げるホトトギスの初音を聞かんものと、夜を徹して休まずに待っていて、やっと想いを果たした。即座に声の方向に目を向けたのだが、すでにホトトギスの姿はなく、ただ西の空に明け方の月が残っているだけであった。
後徳大寺左大臣、本名・藤原実定(サネサダ)(1139~1191)は、平安後期~鎌倉初期の公卿・歌人。右大臣・徳大寺公能の長男、官位は正二位・左大臣。藤原俊成(83番)の甥、定家(97番)の従兄に当たる。漢詩も能くし、詩歌管弦に優れ、教養豊かな文化人だったと伝わる。
七言絶句とした。
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<漢字原文および読み下し文> [入声六月韻]
暁聞杜鵑初吟 暁に杜鵑の初吟(ハツギン)を聞く
新緑萋萋涼気勃, 新緑 萋萋(セイセイ)として涼気 勃(オコ)り,
杜鵑噭噭初音発。 杜鵑 噭噭(キョウキョウ)として 初音 発す。
立時回首朝声処, 立時(タダ)ちに声せし処に朝(ム)けて頭を振り向けるに,
惟見黎明下弦月。 惟(タ)だ見るは黎明(レイメイ)下弦(カゲン)の月。
註]
萋萋:草木が茂るさま。 勃:盛んに起こるさま、おこる。
杜鵑:ホトトギス。 噭噭:鳥の甲高い鳴き声。
立時:即座に。 回首:頭を振り向ける。
<現代語訳>
暁に杜鵑の初音を聞く
新緑の木々が繁茂し、山から涼気が盛んに起こってくる、
ホトトギスは甲高い声で初の鳴き声を発した。
即座に鳴き声の方に頭を振り向けて見遣ったが、
ただ目に入ったのは、有明の下弦の月だけてあった。
<簡体字およびピンイン>
晓闻杜鹃初吟 Xiǎo wén dùjuān chū yín
新绿萋萋凉气勃, Xīn lǜ qī qī liáng qì bó,
杜鹃噭噭初音发。 dùjuān jiào jiào chū yīn fā.
立时回首朝声处, Lìshí huíshǒu cháo shēng chù,
惟见黎明下弦月。 wéi jiàn límíng xiàxián yuè.
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ホトトギスは、新緑の深まる初夏に日本に飛来し、夏の訪れを告げる鳥、時鳥と呼ばれるが、その他多くの呼び名がある。一声発すると、すぐに飛び去ってしまうらしい。当歌は、正にその情景である。声を聞いて即座に見遣ったが姿はない と。拍子抜けの感がないでもないが、むしろ一層気になり、余韻を感じさせるようだ。
ホトトギスは、平安時代には、その初音を朝一番に聞くのを楽しみにして、夜明けまで待機することが流行っていたようだ。またその年に初めて聞く鳴き声を忍音(シノビネ)といい、初音を誰よりも早く聞こうと競っていたと。
日本では、古今ホトトギスの和歌が多く詠われ、『万葉集』では153首、「古今和歌集」では42首、「新古今和歌集」では46首あると。平安時代以降も、和歌ばかりでなく、俳句の題材としても多くの歌人に好まれている。
当歌の作者・実定は、3歳で叙爵、18歳に左近衛権中将に任じられ、従三位に叙され公卿に列し、以後順調に昇進を重ねていく。保元・平治、治承・寿永の内乱等々、さらに源・平の争いなど、乱世の中、零落を経験しながらも正二位・左大臣(1189)に至った。
左大臣就任後は、病気がちとなり、1190年、左大臣を辞し、翌年病により出家、法名は如円。同年に薨ずる、享年53。実定の‘後徳大寺左大臣’は、祖父・実能(サネヨシ)が‘徳大寺左大臣’と呼んだのに対する名称である。
実定は、俊恵(85番)の歌林苑歌人をはじめ、俊成、西行(86番)ら多くの歌人と交流を持った。「住吉社歌合」(1170)・「広田社歌合」(1172)・「建春門院滋子北面歌合」(1170)・「右大臣兼実百首」(1178)など多くの歌合や歌会に出詠している。
『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に73首入集。家集に『林下集』がある。漢詩も能くし、漢詩と和歌両方が詠じられた『和漢兼作集』(鎌倉中期成立)には漢詩が載る。著書には、治承-寿永年間(1177-85)の行幸に関する記録の抄録『庭槐抄』(別名『槐林記』)がある。
ただ有明(アリアケ)の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣(『千載和歌集』夏・161)
<訳>ホトトギスが鳴いた方角を眺めやると、その姿はなく、ただ有明の月が残っているだけだよ。(板野博行)
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夏の訪れを告げるホトトギスの初音を聞かんものと、夜を徹して休まずに待っていて、やっと想いを果たした。即座に声の方向に目を向けたのだが、すでにホトトギスの姿はなく、ただ西の空に明け方の月が残っているだけであった。
後徳大寺左大臣、本名・藤原実定(サネサダ)(1139~1191)は、平安後期~鎌倉初期の公卿・歌人。右大臣・徳大寺公能の長男、官位は正二位・左大臣。藤原俊成(83番)の甥、定家(97番)の従兄に当たる。漢詩も能くし、詩歌管弦に優れ、教養豊かな文化人だったと伝わる。
七言絶句とした。
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<漢字原文および読み下し文> [入声六月韻]
暁聞杜鵑初吟 暁に杜鵑の初吟(ハツギン)を聞く
新緑萋萋涼気勃, 新緑 萋萋(セイセイ)として涼気 勃(オコ)り,
杜鵑噭噭初音発。 杜鵑 噭噭(キョウキョウ)として 初音 発す。
立時回首朝声処, 立時(タダ)ちに声せし処に朝(ム)けて頭を振り向けるに,
惟見黎明下弦月。 惟(タ)だ見るは黎明(レイメイ)下弦(カゲン)の月。
註]
萋萋:草木が茂るさま。 勃:盛んに起こるさま、おこる。
杜鵑:ホトトギス。 噭噭:鳥の甲高い鳴き声。
立時:即座に。 回首:頭を振り向ける。
<現代語訳>
暁に杜鵑の初音を聞く
新緑の木々が繁茂し、山から涼気が盛んに起こってくる、
ホトトギスは甲高い声で初の鳴き声を発した。
即座に鳴き声の方に頭を振り向けて見遣ったが、
ただ目に入ったのは、有明の下弦の月だけてあった。
<簡体字およびピンイン>
晓闻杜鹃初吟 Xiǎo wén dùjuān chū yín
新绿萋萋凉气勃, Xīn lǜ qī qī liáng qì bó,
杜鹃噭噭初音发。 dùjuān jiào jiào chū yīn fā.
立时回首朝声处, Lìshí huíshǒu cháo shēng chù,
惟见黎明下弦月。 wéi jiàn límíng xiàxián yuè.
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ホトトギスは、新緑の深まる初夏に日本に飛来し、夏の訪れを告げる鳥、時鳥と呼ばれるが、その他多くの呼び名がある。一声発すると、すぐに飛び去ってしまうらしい。当歌は、正にその情景である。声を聞いて即座に見遣ったが姿はない と。拍子抜けの感がないでもないが、むしろ一層気になり、余韻を感じさせるようだ。
ホトトギスは、平安時代には、その初音を朝一番に聞くのを楽しみにして、夜明けまで待機することが流行っていたようだ。またその年に初めて聞く鳴き声を忍音(シノビネ)といい、初音を誰よりも早く聞こうと競っていたと。
日本では、古今ホトトギスの和歌が多く詠われ、『万葉集』では153首、「古今和歌集」では42首、「新古今和歌集」では46首あると。平安時代以降も、和歌ばかりでなく、俳句の題材としても多くの歌人に好まれている。
当歌の作者・実定は、3歳で叙爵、18歳に左近衛権中将に任じられ、従三位に叙され公卿に列し、以後順調に昇進を重ねていく。保元・平治、治承・寿永の内乱等々、さらに源・平の争いなど、乱世の中、零落を経験しながらも正二位・左大臣(1189)に至った。
左大臣就任後は、病気がちとなり、1190年、左大臣を辞し、翌年病により出家、法名は如円。同年に薨ずる、享年53。実定の‘後徳大寺左大臣’は、祖父・実能(サネヨシ)が‘徳大寺左大臣’と呼んだのに対する名称である。
実定は、俊恵(85番)の歌林苑歌人をはじめ、俊成、西行(86番)ら多くの歌人と交流を持った。「住吉社歌合」(1170)・「広田社歌合」(1172)・「建春門院滋子北面歌合」(1170)・「右大臣兼実百首」(1178)など多くの歌合や歌会に出詠している。
『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に73首入集。家集に『林下集』がある。漢詩も能くし、漢詩と和歌両方が詠じられた『和漢兼作集』(鎌倉中期成立)には漢詩が載る。著書には、治承-寿永年間(1177-85)の行幸に関する記録の抄録『庭槐抄』(別名『槐林記』)がある。