愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題253 句題和歌 11  白楽天・長恨歌(5)

2022-03-07 09:42:57 | 漢詩を読む
当初、“開元の治”と讃えられる革新的な治政を敷いた玄宗でしたが、楊貴妃を傍に雅な日常に堕して、政治への関心を失ってしまったようです。政治は宰相・楊国忠を中心にした官僚に任せて、本人は朝廷に出なくなりました。

辺境防衛の司令官・節度使・安禄山は、やはり玄宗・楊貴妃に取り入り、重宝がられていた。宰相・楊国忠にとって、安禄山は邪魔な存在で、その排斥を謀ります。両者の対立は激しくなり、安禄山は、遂に部下の史思明と共に挙兵しました(755)。安史の乱である。

驪山の麓に設けられた壮麗な離宮の佇まい、“霓裳(ゲイショウ)羽衣(ウイ)の曲”で代表される管弦の調べと華やかな舞の饗宴、見飽きることなく、尽きることなく……。突如として、東北の方から鼙鼓の響きが。“安史の乱”の勃発である (下記漢詩の概要) 。

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<白楽天の詩> 
 長恨歌 (5)   
27驪宮高処入靑雲  驪宮(リキュウウ高き処 青雲(セイウン)に入り、 
28仙楽風飄処処聞  仙楽 (センガク) 風に飄(ヒルガエ)りて処処(ショショ)に聞こゆ。 
29緩歌慢舞凝糸竹  緩歌(カンカ)慢舞(マンブ) 糸竹(シチク)を凝(コ)らし、 
30尽日君王看不足  尽日(ジンジツ)君王 看(ミ)れども足らず。
31漁陽鼙鼓動地來  漁陽(ギョヨウ)の鼙鼓 (ヘイコ) 地を動(ドヨ)もして来り、 
32驚破霓裳羽衣曲  驚かし破る 霓裳(ゲイショウ)羽衣(ウイ)の曲。 
 註] 驪宮:驪山の山懐に点在した華清宮;  凝:ゆっくり音を引き延ばして
  奏すること;  糸竹:弦楽器(琴)と管楽器(笛);  漁陽:天津市薊県; 
  鼙鼓:(昔軍隊で用いた軍鼓);  霓裳羽衣曲:玄宗の宮廷音楽を代表する、 
  西域伝来の舞曲の名。 
 ※ 安禄山の蜂起が太平の世を破壊したことを 勇ましい軍楽が宮中の優美な楽曲を
  駆逐したという、音楽の衝突で表現する。 

<現代語訳>
 長恨歌 (5)  
27驪山に高くそびえる離宮は青空に届き、 
28仙界の楽の音が風に舞ってあちこちに漂う。 
29ゆるやかな歌、のびやかな舞い、思いを籠めて引き延ばす琴や笛の音、 
30帝は 終日(ヒネモス) 倦(ウ)まず愛でられた。 
31そこへ突如、漁陽の軍楽が大地を響(ドヨ)もして襲い掛かり、 
32雅(ミヤビ)な霓裳(ゲイショウ)羽衣の曲を蹴散らせた。 
                  [川合康三 編訳 『中国名詩選』に拠る] 
 
<簡体字およびピンイン>  
長恨歌
27 骊宫高处入靑云、 Lí gōng gāo chù rù qīng yún  [上平声十二文韻]
28 仙乐风飘处处闻。 xiān yuè fēng piāo chùchù wén 
29 缓歌慢舞凝丝竹、 Huǎn gē màn wǔ níng sī zhú  [入声二沃韻]
30尽日君王看不足。 jǐn rì jūnwáng kàn bù  
31渔阳鼙鼓动地来、 Yú yáng pí gǔ dòng dì lái 
32惊破霓裳羽衣曲。 jīng pò níshang yǔyī    
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安禄山は、イラン系ソグド人で、716年頃一族と共に唐側に亡命、営州柳城(現遼寧省朝陽県)に落ち着いた。営州は、諸民族が集まる唐の東北前進基地で、禄山は6種の言葉を操り、貿易仲買人を務めていた と。

やがて幽州節度使・張守珪(チョウシュケイ)の部下となり、対契丹戦に活躍、また諸族の鎮撫に手腕を発揮する。一方、中央から派遣された使臣に賄賂を贈り、伝手を得て、玄宗の信任を得、また楊貴妃の“養子”となるなど楊貴妃に取り入り、宮廷に食い込んでいった。

742年、平盧(ヘイロ、遼寧省朝陽県)節度使に抜擢され、続いて范陽(現北京市)(744)、河東(現山西省太原)(751)と3節度使を兼ねるに及んだ。まさに唐の全辺境防衛軍の3分の1に近く、10万以上と称される大兵力を持つに至ったのである。なお節度使とは、辺境防衛に当たるのが任務であるが、当時は軍事力に加え、地域の行政権をも与えられていた。

中央の宰相・楊国忠は、安禄山の力に恐れを抱くようになり、「安禄山には謀反の意」有りとしきりに玄宗に対して讒言を繰り返します。遂には安禄山の謀反心を掻き立てるように、安禄山派の武部侍郎・吉温(キツオン)を左遷した上で殺害した。それを知った安禄山は、武力蜂起を決意します。

755年11月、部下の史思明と共に蜂起、ひと月で洛陽を落とし、燕の建国を宣言、自ら大燕皇帝を称して唐朝と対峙します。兵力差もさることながら、長年平和が続いたことによる軍の弛みもあろう、さらに不意を突かれたことにより、朝軍は一溜まりもなく屈したようである。翌756年6月には、長安も陥落した。

しかし安禄山は、楊国忠を倒す目的が達成されたばかりか、燕の建国に満足して、歓楽に堕したようだ。安禄山自身の体調不良も重篤さを増してきたようであるが、民や兵の不満、仲間内の内紛等々、結局身内により殺害された(757)。55歳の生涯であった。

[句題和歌]

藤原高遠(閑話休題247)は、長恨歌をしっかりと読んでいるようで、長恨歌の句に思いを得た句題和歌を多く詠んでいます。今回は、長恨歌・第30句「尽日君王看不足」に関わる和歌を紹介します。

見ても猶 あかぬこころの こころをば
  こころのいかに 思ふこころぞ (藤原高遠『大弐高遠集』) 

  [注] 少々混み入って、“こころ”が戸惑う“こころ”の歌です。未熟な解説では 
   却って混乱を来すと思われます。歌意の解釈・解説は、読者諸氏の各自に
   お任せ致します。おいしいお茶をすすりながらでも、ゆっくりと、どうぞ。
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