霜が降り、朝夕寒さを覚える頃。秋の夜長、共寝する人もなく、中々寝付かれずに、孤独の想いに耐えかねている玄宗皇帝です。死別して幾歳も経つと言うのに、貴妃が夢にさえ現れたことがない と玄宗は憂えています。
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<白居易の詩>
長恨歌 (11)
67夕殿螢飛思悄然、 夕殿セキデン)に蛍飛びて 思ひ悄然(ショウゼン)たり
68孤燈挑盡未成眠。 孤燈(コトウ)挑(カキタ)て尽くすも未だ眠りを成(ナ)さず
69遲遲鐘鼓初長夜、 遅遅たる鐘鼓(ショウコ) 初めて長き夜
70耿耿星河欲曙天。 耿耿(コウコウ)たる星河(セイガ) 曙(ア)けんと欲する天
71鴛鴦瓦冷霜華重、 鴛鴦(エンオウ)の瓦(カワラ)は冷ややかにして 霜華(ソウカ)重く
72翡翠衾寒誰與共。 翡翠(ヒスイ)の衾(シトネ)寒くして 誰と共にせん
73悠悠生死別経年、 悠悠たる生死 別れて年を経(ヘ)たり
74魂魄不曾來入夢。 魂魄(コンパク) 曾て来(キタ)りて夢に入らず
註] 〇蛍:『礼記』月令、季夏(六月)の条に「腐草 蛍と為る」とあるように、
薄気味悪さを伴い、しばしば人の不在の代わりにあらわれる; 〇挑:消え
かかる燈心をかきたてる; 〇鐘鼓:時を告げる鐘や太鼓の音; 〇耿耿:
鮮やかに輝くさま; 〇星河:牽牛と織女を隔てる天の川; 〇鴛鴦瓦:
おしどりの装飾を施した瓦、“鴛鴦”は夫婦和合の象徴; 〇霜華:花のように
結晶した霜; 〇翡翠衾:翡翠の刺繍を施した布団、“翡翠”は男女和合の象徴;
〇悠悠:遠く離れたさま。
<現代語訳>
67日の暮れた宮殿に飛び交う蛍に心は沈み、
68侘しい灯火をかきたてかき立て、灯りが尽きても眠りは遠い。
69遅々として鐘太鼓、長くなり始めた秋の夜、
70白々と冴えわたる天の川、夜明けの迫る空。
71おしどり模様の瓦は冷え冷えとして、霜の花も重たく敷く、
72カワセミの縫い取りの衾も冷たく、共にくるまる人もいない。
73生と死に遠く隔てられて はや幾星霜、
74貴妃の魂は一度たりとも夢に現れてくれない。
[川合康三 編訳 中国名詩選 岩波文庫 に拠る]
<簡体字およびピンイン>
67夕殿萤飞思悄然 Xī diàn yíng fēi sī qiǎorán [下平声一先韻]
68孤灯挑尽未成眠 gū dēng tiāo jǐn wèi chéng mián
69迟迟钟鼓初长夜 Chí chí zhōng gǔ chū cháng yè
70耿耿星河欲曙天 gěng gěng xīnghé yù shǔ tiān
71鸳鸯瓦冷霜华重 Yuānyāng wǎ lěng shuāng huá zhòng [去声二宋韻]
72翡翠衾寒谁与共 fěicuì qīn hán shuí yǔ gòng
73悠悠生死别経年 Yōu yōu shēng sǐ bié jīng nián
74魂魄不曾来入梦 húnpò bù céng lái rù mèng [去声一送韻]
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“蛍”と言えば、直にゲンジボタル、ヘイケボタルが思い出されて、やがて川の辺での“ホタル狩り”の季節を迎えます。雑木の鬱蒼とした陰で、暗闇の中、点滅しながら光が舞う情景は神秘な感に打たれます。
“蛍”は川の清流で“幼虫”として育った後、地上に上がり、腐食した落ち葉などの下の湿潤な環境で“蛹(サナギ)”として成長、やがて羽化して成虫の蛍となる。今日、我が国ではほぼ常識として識られている事柄と言えようか。
中国や他国では、“幼虫”の時期から地上の腐食した落ち葉の下、湿潤の環境で生育する とのことである。すなわち、日本の蛍は“水生“、中国はじめ他国では”陸生“と言うことである。なお世界で知られている約2000種の蛍の内、“水生“は10種ほどで、そのうち3種が日本種で、ゲンジボタル・ヘイケボタル・クメジマ(久米島)ホタルがそうである と。
いずれにせよ、蛍はある時期、落ち葉下の湿潤地で育つということである。その観察を基に、紀元前200年頃に書かれた『礼記(ライキ)』月令(ゲツリョウ)で、「季夏の月(六月) 腐草 蛍となる」とされ、長い間、蛍は、腐草が転生したものと信じられていたようである。
人は死後、土葬されていた時代、暗闇の中、点滅しながら舞う蛍火の神秘的な情景、加えて、湿地で腐草が転じて蛍となる との思いから、中国では、蛍火は、人魂・鬼火である との迷信が長い間活きていたようである(瀬川千秋:『中国 虫の奇聞録』大修館書店)。
「67夕殿螢飛……」に関連して、[註]にあるように「螢が、“……人の不在の代わりに現れる”(=“人魂”?)」。その一方、「74魂魄不曽来入梦」の句と読み合わせると、孤独感に苛まれる主人公・玄宗皇帝への同情の念が一層掻き立てられるように思われる。
長恨歌中、この下りの部分で、平安期の読者も思いを深くしていたように思われ、比較的多くの歌人が句題和歌を残しています(千人万首asahi-net.or.jp)。ここでは、以下、勅撰和歌集に多くの歌が採られている歌人たちの歌・3首を読みます。
なお歌人・藤原定家(閑話休題―156)、慈円(同―153)および伊勢(同―173)については、それぞれ、先に詳細を紹介してあります、要に応じてご参照ください。
[句題和歌]
〇(67・68句) 「夕殿蛍飛思悄然、秋灯挑尽未能眠」に思いを得た和歌:
暮ると明くと 胸のあたりも 燃えつきぬ
夕べのほたる 夜はのともし火(藤原定家『拾遺愚草員外』)
(大意) 暮れても明けても 胸は痛み、燃え尽きる思いである、ちょうど
夕べの蛍火や夜半過ぎの灯(トモシビ)のように。
〇(72句)「旧枕故衾誰与共」に思いを得た和歌:
如何にせん 重ねし袖を かたしきて
涙にうくは 枕なりけり(慈円『拾玉集』)
(大意) 自分の袖を重ね、枕にして一人寝ていると 枕が涙で濡れるのを
どうしようもない。
〇 句題の提示なし:
玉簾 あくるもしらで 寝しものを
夢にも見じと ゆめ思ひきや(伊勢『伊勢集』)
(大意)夜が明けたのも知らずに寝ているのに 夢にさえ見ないとは
思いも寄らぬことであった。
<注>「68孤灯挑尽未成眠」および「72翡翠衾寒谁与共」は、書物により、それぞれ「68秋灯挑尽未能眠」および「72旧枕故衾誰与共」[=旧(フル)き枕 故(フル)き衾 (シトネ)誰と共にせん」]と部分的に違いがあります。その原因・由来は不明である。