山の奥に宿があって、そこで隠れ棲んでいると、“時の流れが止まってしまう”、このような棲家に住んでみたいものである と。一見、子供じみた空想の世界であるように思えるが、人間の本質に触れる根源的な想いの歌ではなかろうか。
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(詞書) 老人憐歳暮
足引きの 山より奥に 宿もがな
年退(ノ)くまじき 隠家(カクレガ)にせむ (金槐集 冬・583)
(大意) 山の奥に宿があるとよいなあ。そこでは年が過ぎ去って行くことがなさ
そうだから、隠れ住みたいものである。
註] 〇足引きの:“山”の枕詞; 〇宿もがな:宿があって欲しい;
〇年退(ノ)くまじき:年の去って行きそうもない。
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<漢詩>
歲暮懷 歲の暮に懷(オモ)う [下平声九青韻]
足曳深山裏, 足曳(アシビキ)の深山の裏(ウチ),
子欲隠野亭。 子(シ)は 野亭(ヤテイ)に隠(カクレ)住まんと欲す。
寧為心好独, 寧(イズ)くんぞ 心 独(ドク)なることを好む為(タメ)ならんか,
直据想年停。 直(タ)だに年の停(トドマ)るを想うに据(ヨ)る。
註] 〇足曳:“山”の枕詞; 〇野亭:粗末なあずまや; 〇年停:年が去り
過ぎていくことなく、止まっていること。
<現代語訳>
歳の暮に思う
深山の奥で、
私は、棲家があったなら 隠れ住みたい思っている。
独りになりたいということではない、
そこでは 年の去りゆくことがなく、止まっていると想えるからである。
<簡体字およびピンイン>
岁暮怀 Suìmù huái
足曳深山裏, Zú yè shēn shān li,
子欲隐野亭。 zi yù yǐn yě tíng.
宁为心好独, Níng wéi xīn hǎo dú,
直据想年停。 zhí jù xiǎng nián tíng.
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実朝は、“人の老い”とか“時の流れの速さを実感させる歳の暮”の頃を主題にした歌を比較的多く詠っている。掲歌はその一つで、ここでは、時の流れが止まる世界、恐らくは“不老不死・永遠の生命”が叶えられる世界が山の奥にあるなら と。
“不老不死・永遠の生命”を保つことは、人間の根源的な願望と言えよう。叶えられるか否か の論はさておき、誰しもが胸の奥に密かに仕舞い込んでいる“想い”ではなかろうか。このような“想い”を率直に歌にする、実朝の真骨頂でしょう。
下記の歌は、実朝の歌の本歌であるとして挙げられている。実朝の歌の世界は本歌に比して、途方もなく広く深いように思われる。
み吉野の 山のあなたに 宿もがな
世の憂き時の かくれ家にせむ
(読人知らず 『古今集』 巻十八・雑下・950)
(大意) 吉野の山の向こう側に宿があったらいいのに、世の中が嫌になった
時の隠れ家にするのに。