歌仲間の皆さんとの和歌会で、「松風に和するように沖の白波が寄せ来る」という歌題で詠まれた一首です。この話題は、古今集に収められた凡河内躬恒(オオシコウチノミツネ)の歌の主題であり、先人の歌を本歌として、作歌を競っている情況が伺えます。
ooooooooo
[詞書] こえうちそふる沖つ白波といふことを人々の
あまたつかうまつりし次(ツイデ)に
住吉(スミノエ)の 岸の松吹く 秋風を
たのめて浪の よるを待ちける (金槐集 566)
(大意) 住吉の松に秋風が吹くと波が声を添えるというのだから、岸の松に秋
風が吹くのを頼みにして波のうち寄せてくるのを待つとしよう。
註] 〇つかうまつりし:つかまつりし、つくった; 〇秋風をたのめて:秋
風を頼りにして。
xxxxxxxxxx
<漢詩>
等沖白波 沖白波を等(マ)つ [下平声五歌韻]
聞道住之吉, 聞道(キクナラク) 住之吉(スミノエ)にて,
松風白浪和。 松風に 白浪 和(ワ)すと。
靠岸溜溜発, 岸にて松風が溜溜(リュウリュウ)と発(オコ)るのを靠(タヨリ)にして,
等来沖白波。 沖の白波の寄せ来るを等(マ)つ。
註] ○等:待つ; ○住之吉:住之江のこと、ここでは“吉”を“エ”と読む;
〇聞道:聞く所によると; 〇松風:松をわたる秋風; 〇和す:合わせる;
〇靠:頼る、もたれる; 〇溜溜:松風の擬音語。
※ 住之吉について:漢詩では、平仄のルールを整えるために“住之江”を“住
之吉”とした。その根拠は、末尾 [蛇足] を参照。
<現代語訳>
沖の白波の寄せ来るを待つ
聞くところによると、住之江の浜の辺りでは、
松を渡る秋風の音に呼応して 沖の白波が寄せて来るという。
岸辺で 溜溜と松風が起こるのを頼りにして、
沖の白波がうち寄せて来るのを待っているのだ。
<簡体字およびピンイン>
冲白波 Chōng bái bō
闻道住之吉, Wén dào zhù zhī jí,
松风白浪和。 sōng fēng bái làng hé.
靠岸溜溜发, Kào àn liū liū fā,
等来冲白波。 děng lái chōng bái bō.
ooooooooo
掲歌の本歌とされる凡河内躬恒の歌は、
住之江の 松を秋風 吹くからに
声うちそふる 沖つ白波
(凡河内躬恒 古今集 賀・巻七・360; 拾遺集 雑・秋・1112)
(大意) 住之江の浜の松を秋風が吹くと その松風の音に呼応するかの
ように、沖の白波が波音を立てながら、寄せて来るよ。
凡河内躬恒は、生没年不詳で、第59代宇多帝(在位887~897)および第60代醍醐帝(同897~930)の頃活躍した下級役人、歌人である。紀貫之らと最初の勅撰和歌集『古今集』の編纂に携わっている。三十六歌仙の一人である。
叙景歌に優れた歌人と評されている。この歌は、屏風絵に添えた歌とされているが、松風の音や白波の音、また色彩等々、その情景がよく目に浮かぶ歌である。なお、百人一首歌人の一人である(29番、『こころの詩(ウタ) 漢詩で読む百人一首』参照)。
[蛇足] “住吉”と“住之江”について:
賀茂真淵評:「“住吉”と書いても“住之江”と読む。後世、“すみよし”と読むのは間違いで、昔は“すみのえ”と言っていた。“吉”は“え”のカナ字であり、“日吉”も“ひえ”である(斎藤茂吉校訂『金槐和歌集』 岩波文庫)。