[要旨]
第二皇子は、未亡人の祖母の元から宮中に戻った。その翌年、帝は、第一皇子を東宮に立てます。世間、弘徽殿の女御も胸を撫で下ろします。しかし未亡人は落胆し、終には亡くなりました。第二皇子6歳でした。
第二皇子は、7歳、「書初めの式」が行われて学問を始めたが、その類のない聡明さに帝は驚かされた。帝は、密やかに高麗人の人相見に人相を見てもらった。その判断は、「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福の道ではない。かといって、国家の柱石になって帝王の補佐をする人として見ても また違うようです」と言うことであった。
年月が経っても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみを忘れることはできない。その頃、当帝は先帝の第四内親王を女御に迎えた。御殿は藤壺である。容貌も身の取りなしも不思議なまでに桐壺の更衣に似ていた。第二皇子は、藤壺の御殿へ帝のお供していくうちに、子供心に母に似た人として恋しく、親しくなりたいと望むようになった。
世間では、第二皇子の美貌を言い表すために“光の君”と言い、女御として藤壺の宮を“輝く日の宮”と対にして言うようになった。12歳を迎えて、第二皇子は元服し、左大臣の加冠役で 元服の式を執り行われた。式後、座席で酒宴が開かれ、左大臣は加冠役としての下賜品を頂くとともに、酒杯を賜る時に、帝より下記の歌を頂きました。
いときなき 初元結ひに 長き世を
契る心は 結びこめつや (桐壺帝)
兼ねて相談されていた第二皇子と左大臣の娘・葵(アオイ)の上との結婚が、帝によって了承されたことを意味しています。
帝は、諍いの芽を摘むべく兼ねて「元服後は、第二皇子には源姓を賜って、“源氏の某”」と称するよう心に決めていた。元服も済み、向後、本稿でも“第二皇子”を“源氏”と呼んでいきます。
本帖の歌及び漢詩
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いときなき 初元結ひに 長き世を
契る心は 結びこめつや
[註] 〇いときなき:あどけない、いたいけな; 〇元結ひ:元服の時、髪の髻(モトドリ)を紐で結ぶこと。公卿は紫の組紐を使った。転じて、元服すること; 〇長き世を契る:娘を嫁がせること。
(大意) いたいけな宮が初めて髪を結ぶ元結(モトユイ)には 末長い寿(コトホ)ぎの気持ちに加え、娘との末長い縁(エニシ)の願いをも籠めたであろうのお!
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<漢詩>
戴冠礼 戴冠の礼 [下平声一先韻]
天真奕奕光皇子, 天真(テンシン)奕奕(エキエキ)たり光(ヒカル)皇子,
茁壮英英瑞滿天。 茁壮(サツソウ) 英英として 瑞(ズイ)天に滿つ。
相迎可賀戴冠礼, 相(トモ)に迎える 賀す可き戴冠(タイカン)の礼,
髻與長緣打結焉。 髻(モトドリ)と長しなえの緣打結(ムスビ)し焉(ヤ)。
[註] 〇戴冠礼:元服の儀; 〇天真:あどけない; 〇奕奕:光り輝くさま; 〇茁壮:たくましく成長している; 〇英英:聡明なさま; 〇瑞:めでたいしるし; 〇髻:もとどり; 〇打結:結ぶ; 〇焉:語気助詞、確認の語気を表す。
<現代語訳>
元服の儀
あどけなく光り輝く光皇子、
逞しく育ち、聡明なる皇子 天は目出度い気で満ちている。
今日 ともに祝う元服の儀、
髻と合わせて 長(トコ)しなえの縁も結び込んだであろうな。
<簡体字およびピンイン>
戴冠礼 Dàiguān lǐ
天真奕奕光皇子,Tiānzhēn yìyì guāng huángzǐ.
茁壮英英瑞满天。zhuózhuàng yīng yīng ruì mǎn tiān.
相迎可贺戴冠礼,Xiāng yíng kě hè dàiguān lǐ,
髻与长缘打结焉。jì yǔ cháng yuán dǎjié yān.
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