[十二帖 須磨-1 要旨] (光源氏二十六春~二十七歳春)
朧月夜との密会事件を契機に、右大臣一派が源氏に対して圧迫を加え、不愉快な目に合わせることが多くなってきた。努めて冷静にしていても、このままでは大きな禍が起るかもしれぬと源氏は思い、隠棲を考える。隠棲の地として須磨行きを決心し、夫人の同伴はやめることにした。
出発2,3日前に左大臣家に寄る。若君がふざけながら走ってきた。子を膝の上に座らせながら、「長く見なくとも、父を忘れるなよ」と言いながらも源氏は悲しんでいた。
官辺の目を恐れ、人々が来訪を避ける中、弟の帥の宮(後の蛍兵部卿宮) と三位中将(頭中将)が来邸した。面会のため、源氏は、無位ゆえにと無地の直衣に着替える。
鬢を搔くため鏡台に向かった源氏は、「随分衰えたものだ、こんなに痩せているのが哀れですね」と言い、詠う:
身はかくて さすらへぬとも 君があたり
去らぬ鏡の かげははなれじ (光源氏)
若紫は、目に涙を浮かべて鏡の方を見て、言うともなく返しの歌を口ずさむ。
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身はかくて さすらへぬとも 君があたり
去らぬ鏡の かげははなれじ (光源氏)
(大意) 私はこのようにしてさすらいの身となっても 私の心はあなたの許を離れることはありません。ちょうどあなたから離れない、あなたの心の鏡の中の 私の面影と同様に。
本帖の歌と漢詩
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<漢詩>
倆一条心 倆(フタリ)一条(ヒトツ)の心 [上平声一東韻]
身逝将流西復東, 身は将(マサ)に流れ逝(ユ)かんとす 西復(マタ)東,
跟随親自決潔衷。 親自から決せし潔き衷(ココロ)に跟随(シタガ)う。
但余心不分離汝,但(タ)だ余の心は汝より分離(ハナレ)ることなし,
如余影留心鏡中。余の影が君の心の鏡の中に留るが如くに。
[註] ○一条心:心をひとつにする; 〇逝将:間もなく…しようとする; 〇跟随:…にしたがい;〇潔衷:清いこころ、心にやましさはない; 〇心鏡:心の鏡、記憶。
<現代語訳>
両人 心(オモイ)は一つ
身は間もなく、西また東とさすらうことになろう、これは 自ら決めたことで、なんらやましいことはない。だが私の心は 君から離れることはないよ、
君の心の鏡の中に私の影が留まっているように。
<簡体字およびピンイン>
俩一条心 Liǎ yītiáoxīn
身逝将流西复东, Shēn shì jiāng liú xī fù dōng,
跟随亲自决洁衷。 gēnsuí qīnzì jué jié zhōng.
但余心不分离汝, Dàn yú xīn bù fēnlí rǔ,
如余影留心镜中。 rú yú yǐng liú xīn jìng zhōng.
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別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし
(若紫)
(大意) お別れしたとしても、せめて影としてだけでも鏡に留まるものであるなら、鏡を見るだけでも慰められましょうに。
zzzzzzzzzzzzzz 須磨-2
[十二帖 須磨-2 要旨] (光源氏二十六春~二十七歳春)
麗景殿の女御と花散里の姉妹は、源氏の援助を得て暮らしており、源氏の隠棲後どうなるか非常に不安に思っている。源氏の須磨行きが決まって以来、花散里は絶えず文を寄越すのであった。
源氏は、出発の2日前に花散里を訪ねる。姫君は、来訪はないものと気を滅入らせていたが、月明かりの中を源氏を認め、静かに行き寄り、二人は並んで月を眺めながら、明け方近くまで語らっていた。
源氏は、世間を憚り、早暁に帰らねばならず、月が沈んでしまう時を想像して、姫君は悲しい思いにかられ、月光がちょうど袖の上に射しているのを見ながら、次の歌を源氏に送った:
月影の宿れる袖は狭くとも
とめてぞ見ばや飽かぬ光を (花散里)
花散里の様子があまりに哀れで、源氏は、「いずれ潔白を証明し、晴れて一緒に住めるようになります」からと、慰めの歌を返す。
本帖の歌と漢詩
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月影の宿れる袖は狭くとも
とめてぞ見ばや飽かぬ光を (花散里)
(大意) 月の光を宿している私の袖は狭いですが、それでもひきとどめておきたいのです、そこに。いつまでも見飽きることない月の光を。
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<漢詩>
欲沈暁月 沈まんと欲(ス)る暁月 [上声二十五有韻]
暁月一何明、 暁月一(イツ)に何ぞ明(アキ)らかなる、
月影狹袖受。 月影 狹(セマ)き袖に受く。
明輝殊復奇, 明輝(メイキ) 殊(コト)に復 奇なり,
惟願留永久。 惟(タ)だに願う 永久(トワ)に留(トド)まるを。
[註] 〇暁月:明け方のつき; 〇明輝:明るい輝き
<現代語訳>
今にも沈もうとする暁月
明け方の月の何と明るいことであろう、
今 月影は私の狭い袖に宿している。
この明るい輝きは殊更にすばらしい、
狭い袖ながら、月影が何時までもそこに留まっていて欲しいものだ。
<簡体字およびピンイン>
欲沉晓月 Yù chén xiǎo yuè
晓月一何明、 Xiǎo yuè yī hé míng,
月影狭袖受。 yuèyǐng xiá xiù shòu.
明輝殊复奇, Mínghuī shū fù qí,
惟愿留永久。 wéi yuàn liú yǒngjiǔ.
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行きめぐり つひにすむべき 月影の しばし曇らむ 空なながめそ (光源氏)
(大意) 月影は、再びめぐりて澄み輝くことであろうから、しばらく曇っているからと言って愁い顔で空を見あげないように。
【井中蛙の雑録】
・十二帖 「須磨」での光源氏 26歳春~27歳春。
・NHK大河“光る君へ”は10回を迎え、道長と紫式部が、和歌および漢詩で愛を相訴える場面がありました。隠逸詩人・陶淵明(365~427)の詩:「帰去来兮辞」の出だし数句が、愛を語るのに用いられました。意外性があって面白いですね。