愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題416 漢詩で読む 『源氏物語』の歌 (三十一帖 真木柱) 

2024-08-05 09:47:51 | 漢詩を読む

三十一帖の要旨】玉鬘に対し多くの求婚者がいたが、思いを遂げたのは髯黒大将であった。大将は、女房の弁の導きで、玉鬘との最初の夜を過ごすことが叶い、夫婦となれたようである。かつて求婚した人々は残念がったが、源氏および実父の内大臣も許容するほかなく、儀式も華麗に行われた。髯黒は有頂天なのですが、玉鬘は、身の不運を嘆くばかりであった。

 

大将は、過去に浮名が立つような行状はなくまじめな人で、すでに正夫人があり、男児2人、女児一人がいる。夫人は、尊貴な式部卿の宮の長女で、世の中から敬われていた。ただこの何年来ひどい物の怪に憑かれて、時に病的発作があり、夫婦の中も遠くなっていた。大将が新妻・玉鬘の許へ行く支度をしている時、夫人は突然錯乱して、薫物の火取りの灰を夫に浴びせかけてしまいます。それ以来髯黒は妻を避ける。

 

事情を知った正夫人の父・式部卿の宮は、夫人と子供らを実家へ連れ戻すことを決め、車を差し向ける。姫君は、大将が非常に可愛がっている子であった。姫君は、父に逢わずに行くことはできないと泣きながら、歌を書いた桧皮色の紙を、いつも自分が寄りかかっていた東の座敷の柱の割れ目にかんざしの端で押し込んでおいた。その歌:

 

  今はとて 宿離れぬとも 馴れ来つる

    真木の柱は われを忘るな 

 

夫人は、“真木の柱が私たちを忘れないとしても、此処に立ち止まることはないよ”と、返歌を詠む。

 

翌春、玉鬘は内侍として出仕する。今帝は、勤労らしいことも未だ積んでいない玉鬘を三位に叙するなど、好意を示す。帝との仲を心配する髯黒は、宮中の詰め所にいる玉鬘を強引に自宅へ連れ帰ってしまいます。残念がる源氏も、恋しくなるばかりで、文を送ります。玉鬘は、泣いた。いまになって源氏が清い愛で一貫してくれた親切が有難くてならなかった。やがて玉鬘は男の子を産みます。

 

三十一帖の歌と漢詩:

ooooooooo   

  今はとて 宿離れぬとも 馴れ来つる  

    真木の柱は われを忘るな   (真木柱) 

   [註]○真木:杉や桧など良材となる木、“ま”は美称; 

   (大意) 今を限りにこの邸から離れ行くにしても、幼いころから慣れ親

    しんできた真木の柱はこの私を忘れないでください。 

xxxxxxxxxx  

<漢詩>        

  可憐子女      可憐(アワレムベ)し子女(コ)   [上平声六魚韻] 

遺憾無逢父, 遺憾(イカン)なり 父に逢うことなく,

如今離旧居。 如今(イマ)に旧居(キュウキョ)を離れんとす。

親近真木柱, 親近(ナレシタミ)し真木(マキ)の柱よ,

雖然別忘余。 雖然(シカレドモ) 余(ヨ)を忘れなきよう。

 [註] ○親近:馴れ親しむ、親しい、親しむ; ○真木柱:本帖の人名、題名

  および真木の柱; 〇雖然:…であるけれども。 

<現代語訳> 

 可哀そうな娘(コ)  

残念ながら 父に逢うことなく、

この邸から離れていきます。

馴れ親しんだ真木の柱よ、

私が去っていったとしても 私を忘れないでください。

<簡体字およびピンイン>  

 可怜子女    Kělián zǐnǚ 

遗憾无逢父, Yíhàn wú féng fù,   

如今离旧居。 rújīn lí jiù.

亲近真木柱, Qīnjìn zhēnmù zhù,  

虽然别忘余。 suīrán bié wàng .    

ooooooooo   

姫君は、真木柱に父親を見ているのでしょう。逢わずに別れる父へのメッセージと解されるか。歌を書き掛けては泣き、泣いては書きしていた と付記されています。母上は、「さあ」と、出立を促しながら、淡々と詠います。

 

なれきとは思ひ出づとも何により 

  立ち止まるべき真木の柱ぞ (髭黒大将 北の方) 

 (大意)慣れ親しんできたことを思い出しても、何を頼りにここに立ち 

   止まっていられましょうか。真木の柱よ。   

 

【井中蛙の雑録】 

○光源氏37冬~38歳の冬。

○「玉鬘十帖」、玉鬘の婿取り物語“玉鬘十帖”は、本帖で終結。

『蒙求』と『蒙求和歌』-序 

  NHK-TV大河ドラマ『光る君へ』第28回中、まひろ が、2,3歳の愛娘を相手に、<王戎簡要(オウジュウカンヨウ)、裵楷清通(ハイカイセイトン)、孔明臥龍(コウメイガリョウ)、……> と 呪文を唱える風の場面がありました。

  これは中国・唐代に李瀚によって著され、平安時代に日本に伝わった著書 で、中国では児童用の教科書として利用されたという『蒙求』の内容のごく一部分である。同著書の概要は、本稿(閑話休題-389、’24-02-07)ですでに紹介しました。幸い、今回、同著の内容の一部が具体的に提示されたのを機に、具体的な内容から読み解き、特に、如何に和歌作歌の参考書として利用されるに至ったかを改めて勉強し直したい と思っています。

 

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