[三十三帖要旨] 夕霧と雲居雁はかつて相思相愛の仲であったが、内大臣は雲居雁を春宮に入内させたいとの思惑があって、二人の交際を禁じた。あれから数年経った今、内大臣はむしろ二人の結婚を願う。だが内大臣-夕霧の間には蟠りがあり、互いに話しかけにくい状況にある。夕霧の他との縁談話を聞き、内大臣は焦燥する。
春三月二十日、故大宮の一周忌に当たり、一族の極楽寺での参詣の際を機に、内大臣と夕霧は会話を交わすことができた。内大臣は自宅での藤の花の宴へ夕霧を招き、酒杯を取り交わします。頃合いを見て内大臣は機嫌よく、娘を藤の花に譬えて歌を詠み、息子の頭中将に命じて、房の長い藤一枝を折ってきて、夕霧の杯の台に添えさせて、贈った。内大臣の仲直りの歌:
紫に かごとはかけん 藤の花
まつより過ぎて うれたけれども (内大臣)
夕霧は晴れて雲居雁との結婚を許されました。
明石の姫君の入内が二十日過ぎと決まる。源氏と紫の上と相談の上、入内する姫君への付き添い、またそれ以後の後見に、実の母親である明石の上が付き添うことになる。後見の交代を機に紫の上と明石の上は初めて対面し、互いにすぐれた人柄を認め合い、二夫人の友情は固く結ばれていく。
頼りない男と見えた夕霧の結婚、また明石の姫君の春宮への入内と すべてを手に入れた源氏は、もう出家してもよい時が来たと思うのである。
源氏三十九歳の秋、源氏は准太上天皇の位を得て、朝廷では、翌四十歳の賀宴の用意がなされている。また内大臣は太政大臣、夕霧は中納言に昇進した。十月には冷泉帝と朱雀院が六条院に華やかに行幸されます。朱雀院と源氏は、かつての紅葉賀を思い起こすのでした。冷泉帝の御代、源氏とその一族の栄華は例えようもありません。
本帖の歌と漢詩
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紫に かごとはかけん 藤の花
まつより過ぎて うれたけれども (内大臣)
[註] ○かけん:望ましくないことを、他に負わせる; 〇うれたし:
“うれいたし(心痛し)”の 音変化、心痛し、憎らし; ○「まつ」:
「待つ」、「松」の掛詞、「藤」の縁語。「うれたし」の“うれ”は末
(うれ) の縁語。
(大意) 紫の藤の花(雲居雁)にことよせて免じましょう、今日まで、
久しく待ちすぎて、心苦しく思いますが。
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<漢詩>
和解 和解 [下平声六麻韻]
假託紫藤花, 紫藤花(フジノハナ)に假託(カタク)して,
饒恕往日奢。 往日の奢(オゴ)りは饒恕(ジョウジョ)せん。
讓君長久等, 君を讓(シ)て長久(ヒサシ)く等(マ)たせしは,
悲痛一嘆嗟。 悲痛(ヒツウ) 一(イツ)に嘆嗟(タンサ)たり。
[註] ○假託:ことよせる、かこつける; 〇饒恕:許す、大目に見る;
○往日:昔日; 〇奢:おごり、おごるさま; 〇悲痛:心の痛み;
〇嘆嗟:嗟嘆、舌打ちして歎く。
<現代語訳>
仲直り
藤の花にことよせて、
これまでの勝手にしてきたことは、大目に見ることにしましょう。
長い間待たせてしまったことは、
大変心苦しく思っていますが。
<簡体字およびピンイン>
和好 Hé hǎo
假托紫藤花, Jiǎtuō zǐténg huā,
饶恕往日奢。 Ráoshù wǎngrì shē.
让君长久等, Ràng jūn chángjiǔ děng,
悲痛一叹嗟。 bēitòng yī tàn jiē.
ooooooooo
「私はこれまでの蟠りは捨てます、雲居雁との結婚を許しましょう」と、
仲直りを宣言して、内大臣は、上掲の歌を贈ります。それに対して、夕霧は、盃を持ちながら、頭を下げて謝意を表する形で、次の歌を返します:
いく返り 露けき春を すぐしきて 花の紐とく 折に逢ふらん
(大意) いったい幾度涙に濡れる春を過ごしてきて 望みの叶う折に巡り
逢えたことか。
【井中蛙の雑録】
○三十三帖の光源氏 39歳春~冬。
〇『蒙求』と『蒙求和歌』-2 四字句の意味は? -②
『蒙求』の四字句を通覧、興味を惹く四字句について見て見ます。まず、漢詩に関係のある人物、酒好きな隠逸/田園詩人の陶淵明。次の三句がある:343武陵桃源、488陶潜帰去および525淵明把菊 の3句(頭の数字:便宜的に『蒙求』中に列記されている順番を示す)。それぞれ、陶淵明の作品の伝記小説『桃花源記』、長編詩「帰去来辞」および「飲酒20首 その五」に関わる事柄と言えよう。
諸葛孔明についても、先に挙げた句の他、293葛亮顧盧および485亮遣巾幗があり、前者は“三顧の礼”に、後者は五丈原の戦で、動かぬ司馬懿に巾幗(キンコク、女性の髪飾り)を送り、挑発したという故事による。
これらの例から知られるように、〇初めの二字は、主に“人物”を示し、その 本名や字(アザナ)の他、地名など人物を想起させる用語、及び 〇総じて596句からなるが、対象人数が596人ということではない、と言える。