[三十八帖 鈴虫 要旨] (光源氏 50歳夏~秋)
夏、蓮の花盛りに、出家した女三の宮の持仏開眼供養が盛大に営まれた。念仏堂の一切の装飾と備え付けの道具は六条院の志で寄進されてあった。花机の被いは紫夫人の手元で調製されたもので、鹿の子染めが散らされている。本尊には阿弥陀仏、脇侍には観音菩薩と勢至菩薩が安置され、それぞれ白檀で、精工に彫られてある。
宮の持経は、六条院が手ずから書かれたものである。これを御仏への結縁としてせめて愛する者二人が永久に導かれたい希望が願文に述べられてあった。
朱雀院は自らの所領の三条宮を女三の宮に譲ります。これは永久に宮の家を経済的に保証するものである。朱雀院は、そこに移ることを勧めますが、源氏は、遠くなっては始終お目に掛かることができない とそれを拒みます。
秋に、源氏は宮の住居の渡殿の前の庭に草原を作らせ、虫を放たせた。源氏は虫の声を聞く風を装って、三の宮を訪れる。十五夜の夕、源氏が女三の宮を訪れると、多くの虫が鳴きたてており、中でも鈴虫の声が殊に華やかに聞かれた。鈴虫は、愛嬌のある虫で、可愛く思われると、源氏が言うと、宮は:
大かたの 秋をば憂しと 知りにしを
振り捨てがたき 鈴虫の声 (女三の宮)
と低い声で詠われた。源氏は、「思いがけないことを」とささやいて、返歌を詠い、琴を出させて弾いた。宮は数珠を繰るのも忘れて琴の音に熱心に聞き入った。
そこへ蛍兵部卿の宮や夕霧等々が訪れて、「今夜は鈴虫の宴で明かそう」と管弦の宴となった。次いで、冷泉院から誘いがあり、一同で冷泉院を訪れ、宴は続けられた。明け方、院を退出、源氏は秋好中宮を訪ねます。中宮は母の六条御息所の霊を鎮めるために専心信仰の道へ進みたいとの思いを強く訴えるのでした。
本帖の歌と漢詩
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大かたの秋をば憂しと知りにしを
振り捨てがたき鈴虫の声 (女三の宮)
[註] ○“秋”は、“飽きる”との掛詞、源氏の心が離れていることを暗示
か; ○“振り”は、“鈴をふる”の掛詞。
(大意) おおかたの秋は憂鬱な季節と思って来たのが、鈴虫の声を聞くと
未練が振り捨てられません。
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<漢詩>
依恋現世 現世への依恋(ミレン) [上平声四支韻]
從來如此想, 從來 此(カ)くの如く想う,
憂慮滿秋期。 憂慮 秋期に滿つと。
聞到馬鈴唧, 馬鈴の唧(チッチ)を聞到(キク)に,
蘇生憶旧時。 旧時の憶(オモ)い蘇生す。
[註]○依恋:未練; ○馬鈴:鈴虫; ○唧:ちっち、虫の鳴き声。
<現代語訳>
現世への未練
これまでこのように思っていた、秋の季節は憂いの多い時期であると。鈴虫の鳴き声を聞くにつけ、曽て現世にいた時の思いが捨てがたく、蘇ってくる。
<簡体字およびピンイン>
依恋现世 Yīliàn xiànshì
从来如此想, Cónglái rúcǐ xiǎng,
忧虑满秋期。 yōulǜ mǎn qiū qī。
闻到马铃唧, Wén dào mǎlíng jī,
苏生忆旧时。 sūshēng yì jiù shí.
ooooooooo
女三の宮の歌では、源氏の心が宮自身から離れていることが暗示されていることから、源氏は、思いがけないことだと、返歌している:
心もて 草の宿りを 厭えども
なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ (光源氏)
[註]〇心もて:自ら進んで; 〇ふりせぬ:古くならない。
(大意)ご自分から家をお捨てになり、出家されても、今でもやはり
鈴虫の声は若々しく聞こえます(貴方への思いは今も変わりません)。
【井中蛙の雑録】
〇『蒙求』と『蒙求和歌』-7 『蒙求和歌』-②
『蒙求和歌』の内容について、“222蒼頡制字”の項を覗いてみます。
// 『蒙求和歌』の内容
[蒙求原文]
史記。蒼頡、黄帝時人。観鳥迹作文字也。(史記にいふ。蒼頡、黄帝の
時の人なり。鳥迹を観て文字を作るなり。)
[説話文]
〇蒼頡ハ、黄帝ノ史官ナリ。賢才ナラビナカリシ人ナリ。……、字ヲ
ツクリシカバ、鬼、夜哭シケリト云エリ。
〇蒼頡は、黄帝の史官なり。賢才ならびなかりし人なり。……、字を
つくりしかば、鬼、夜哭しけりと云えり。
[和歌]
〇ハマチドリ ムカシノアトヲ タヅネテゾ フデノウミヲバ クムベカリケル
〇はまちどり むかしのあとを たづねてぞ ふでのうみをば くむべかりける
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(筆者注)カタカナ文(〇)、ひらがな文(〇)両様で示されており、幼童および指導者を対象とした意図が読み取れます。
[章剣:『蒙求和歌』校注、2012、(渓水社) に拠る]