[四十一帖 幻 (まぼろし) 要旨] (光源氏 52歳)
春の光をご覧になっても、六条院(光源氏)は、暗い気持ちが改まるものでもなく、籠りがちになっていた。年賀の人たちが訪れるが、加減が悪そうな風をして、御簾の中にばかりいて、応対しない。紫の上が亡くなって、源氏は悲しみに暮れているのである。
紫の上の臨終に立ち会った明石中宮は宮中に戻ったが、若宮(のちの匂宮)は六条院に残った。二月、女王の形見の紅梅に鶯が来て華やかに啼くのを、源氏は縁へ出て眺めていた。若宮が、「私の桜が咲いたよ、いつまでも散らしたくないから、木の周りに几帳をたてて、切れを垂れて風を防ごう」と言っている顔の美しさに源氏も微笑んでいた。
七月七日、音楽の遊びもなく寂しい退屈さを感じさせる日になった。あれから一年経ったかと思い、呆然となられていた。紫の上の命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅の供養に列するのであった。
四季、風物の移ろうにつけて、紫の上への愛惜の念は深まるばかりである。十月の時雨がちな季節で、夕方の空色も心細く感じられて、空を渡る雁が翼を並べて行くのも羨ましく思われて:
大空を 通ふまぼろし 夢にだに
見え来ぬ魂の 行方尋ねよ (光源氏)
この一年、隠忍して過ごしてきた源氏は、来春に出家することを考える。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて形見分けの物を与えていった。また人目について不都合と思われる手紙類は破って始末した。須磨の隠居時代の、特に紫の上からのだけは一束にして残していたが、皆焼かせてしまった。
本帖の歌と漢詩
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大空を 通ふまぼろし 夢にだに
見え来ぬ魂の 行方尋ねよ (光源氏)
[註]○まぼろし:幻術士。
(大意)大空を自在に通うという幻術士(マボロシ)よ。夢にさえ姿を見せてくれないあの人の魂の行方を捜し出しておくれ。
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<漢詩> [上平声六魚韻]
何処魂魄 魂魄は何処に
聞道仙山方士居, 聞道(キクナラク)仙山 方士(ホウシ)居(ス)み,
排空馭氣奔自如。 空を排し氣を馭して奔(ハシ)ること自如(ジザイ)に。
那人分別無入夢, 那(カ)の人 分別 夢に入ることなし,
只願搜尋魂魄墟。 只だ願うは 魂魄の墟(トコロ)を搜尋(サガ)すこと。
[註]○方士:方術の士、幻術士; ○排空馭氣奔:白楽天「長恨歌」に拠る; 〇自如:自在に; 〇搜尋:探し求める; ○魂魄:霊魂; 〇墟:場所、廃墟。
<現代語訳>
魂魄は何処に
聞くところによれば、仙山には方士がいて、
大空を自由自在に飛びまわることができる という。
かの人は亡くなってのち 夢にさえ現れることがない、
せめてその魂魄の所在を探し出してくれ。
<簡体字およびピンイン>
何处魂魄 Hé chù húnpò
闻道仙山方士居, Wén dào xiānshān fāngshì jū,
排空驭气奔自如。 pái kōng yù qì bēn zìrú.
那人分别无入梦, Nà rén fēn bié wú rù mèng,
只愿搜寻魂魄墟。 zhǐ yuàn sōuxún húnpò xū.
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源氏は、出家を決意し、雪の降り積もる年の暮、仏名式が催された。
光源氏最後の歌です:
物思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に
年も我が世も 今日やつきぬる (光源氏)
(大意) 物思いをして過ぎる月日にも気づかぬ間に 今年もそしてわが人生も今日で尽きてしまうのだろう。
元日の参賀の客のため殊に華やかな支度をさせ、親王がた、大臣たちへ贈り物、それ以下の人々への纏頭の品など、きわめて立派な物を用意させていた。
【井中蛙の雑録】
〇参考: 白楽天「長恨歌」の句「排空馭氣奔如電」(空を押し開き、風に乗って、稲妻のように走る)。[石川忠久監修 「NHK新漢詩紀行ガイド」2010]に拠る。