比叡・横川の寺に某僧都という高僧がいた。尼の老母と妹は、阿闍梨らを伴い、願果たしに初瀬へ参詣。その帰路、母尼が病になり、故朱雀院の御領・宇治の院で宿泊することになった。阿闍梨が院の後ろを見回ると、森の木の下に、炬火に照らされて白い物があり、近づいて見ると、長くつやつやした髪の女であった。宇治の人の話で、「以前、八の宮さまの姫君・浮舟が、大した病気もなく急に亡くなり、騒ぎになった」との話が伝わっていたが、女はその姫君・浮舟で、宇治で入水していたのであった。
一行は二日ほど滞留し、尼たちは浮舟を伴い、比叡の坂本の小野へ、僧都は横川の寺へ帰った。浮舟は、寝たままで何も語ろうとしない。妹尼は、亡き娘の形見と思い、身内の如くによく浮舟の世話をし、ようやく話を交わすようになった。しかし浮舟は、やはり身の上を語ることはなく、出家を望むばかりであった。
秋になり、妹尼は、退屈凌ぎに琴を弾くと、何らこのような風雅な心得のない浮舟は、哀れな過去の自身が思い出されるのであった。そんな自分が儚まれて、手習いにと、歌を書いた:
身を投げし 涙の川の 早き瀬に
しがらみかけて たれかとどめし (浮舟)
妹尼の亡き娘の婿であった中将が小野を訪れ、偶々浮舟の姿を垣間見て、浮舟に懸想する。浮舟は、ただ煩わしく思うだけで、怪しいほどに冷淡な態度をとり続けたため、中将は失望する。
都で女一の宮が物怪に患い、僧都がその加持を行うことになり、下山した。その途中小野に立ち寄ると、浮舟は、僧都に縋りつき、念願の出家を果たす。都では、僧都の加持で女一の宮は快癒する。その折、僧都は宇治での出来事を話題にする。中宮は、宇治で自殺したとされる人の事であろうと思い当たり、薫(右大将)に聞かせてやりたいと思った。
尼・母君の孫・紀伊守が小野に訪ねて来た。紀伊守は、薫が浮舟の一周忌法会の準備のためお供をして来たのである。その話を聞いた浮舟は、大将が今も自分の死を悼んでいること知り、心乱れる。
薫は、中宮の御殿を訪ねた。中宮の指示で、恋人の小宰相が、先に僧都が話した宇治での出来事を話して聞かせた。薫は、意外千万な、と驚き、先ず僧都に逢い、詳細を知るべく横川に出かけることにした。
本帖の歌と漢詩
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身を投げし 涙の川の 早き瀬に しがらみかけて たれかとどめし
[註]〇早瀬:川で水の流れの速いところ; 〇しがらみ(柵)。
(大意) 悲しみのあまり身を投げた涙の川の早い流れに柵を設けて、誰が私を救って くれたのであろう。
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<漢詩>
復蘇 復蘇 (ヨミガエル) [上平声十四寒韻]
為不勝悲痛,悲痛(カナシミ)に不勝(タエザ)る為(タメ)に,
自投奔淚灘。自(ミズカ)ら投ず 奔(ハシ)る淚の灘(ハヤセ)に。
不知誰救我、 知らず 誰が我を救(スクイ)しか,
攔住此急湍。 此の急湍(キュウリュウ)を攔住(セキトメ)て。
[註]〇灘:はやせ; 〇攔住:せきとめる; 〇急湍:急流。
<現代語訳>
蘇る
悲しさに堪えず、
涙の川に自ら身を投ず。
誰が私を救ってくれたのであろう、
この急流を堰き止めて。
<簡体字およびピンイン>
复苏 Fùsū
为不胜悲痛, Wèi bù shèng bēitòng,
自投奔泪滩。 zì tóu bēn lèi tān.
不知谁救我, Bù zhī shuí jiù wǒ,
拦住此急湍。 lán zhù cǐ jí tuān.
ooooooooo 都の人々で、宇治を訪ねて来る人があっても、浮舟は決して姿を現すことのないよう気は付けている。それでも、自分がこうして生きていることが、宮(匂宮)や大将(薫)に知れることになったら、と煩悶するのである:
我かくて 憂き世の中に めぐるとも
誰れかは知らむ 月の都に (浮舟)
(大意) 私がこのように辛い世の中に生きて、(知られまいとして)いても、都の誰か は知ることになるのではないか。