愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 446  漢詩で読む『源氏物語』の歌  (五十三帖 手習い)

2024-12-15 09:40:24 | 漢詩を読む

 比叡・横川の寺に某僧都という高僧がいた。尼の老母と妹は、阿闍梨らを伴い、願果たしに初瀬へ参詣。その帰路、母尼が病になり、故朱雀院の御領・宇治の院で宿泊することになった。阿闍梨が院の後ろを見回ると、森の木の下に、炬火に照らされて白い物があり、近づいて見ると、長くつやつやした髪の女であった。宇治の人の話で、「以前、八の宮さまの姫君・浮舟が、大した病気もなく急に亡くなり、騒ぎになった」との話が伝わっていたが、女はその姫君・浮舟で、宇治で入水していたのであった。

 一行は二日ほど滞留し、尼たちは浮舟を伴い、比叡の坂本の小野へ、僧都は横川の寺へ帰った。浮舟は、寝たままで何も語ろうとしない。妹尼は、亡き娘の形見と思い、身内の如くによく浮舟の世話をし、ようやく話を交わすようになった。しかし浮舟は、やはり身の上を語ることはなく、出家を望むばかりであった。

秋になり、妹尼は、退屈凌ぎに琴を弾くと、何らこのような風雅な心得のない浮舟は、哀れな過去の自身が思い出されるのであった。そんな自分が儚まれて、手習いにと、歌を書いた:

 

 身を投げし 涙の川の 早き瀬に 

   しがらみかけて たれかとどめし  (浮舟)

 

 妹尼の亡き娘の婿であった中将が小野を訪れ、偶々浮舟の姿を垣間見て、浮舟に懸想する。浮舟は、ただ煩わしく思うだけで、怪しいほどに冷淡な態度をとり続けたため、中将は失望する。

 都で女一の宮が物怪に患い、僧都がその加持を行うことになり、下山した。その途中小野に立ち寄ると、浮舟は、僧都に縋りつき、念願の出家を果たす。都では、僧都の加持で女一の宮は快癒する。その折、僧都は宇治での出来事を話題にする。中宮は、宇治で自殺したとされる人の事であろうと思い当たり、薫(右大将)に聞かせてやりたいと思った。

 尼・母君の孫・紀伊守が小野に訪ねて来た。紀伊守は、薫が浮舟の一周忌法会の準備のためお供をして来たのである。その話を聞いた浮舟は、大将が今も自分の死を悼んでいること知り、心乱れる。

 薫は、中宮の御殿を訪ねた。中宮の指示で、恋人の小宰相が、先に僧都が話した宇治での出来事を話して聞かせた。薫は、意外千万な、と驚き、先ず僧都に逢い、詳細を知るべく横川に出かけることにした。

 

本帖の歌と漢詩 

ooooooooo     

身を投げし 涙の川の 早き瀬に しがらみかけて たれかとどめし 

 [註]〇早瀬:川で水の流れの速いところ; 〇しがらみ(柵)。

 (大意) 悲しみのあまり身を投げた涙の川の早い流れに柵を設けて、誰が私を救って                                                                                                                                                                                                                                                                                     くれたのであろう。

xxxxxxxxxxx   

<漢詩>   

 復蘇          復蘇 (ヨミガエル)        [上平声十四寒韻]

為不勝悲痛,悲痛(カナシミ)に不勝(タエザ)る為(タメ)に,

自投奔淚灘。自(ミズカ)ら投ず 奔(ハシ)る淚の灘(ハヤセ)に。

不知誰救我、 知らず 誰が我を救(スクイ)しか, 

攔住此急湍。 此の急湍(キュウリュウ)を攔住(セキトメ)て。

 [註]〇灘:はやせ; 〇攔住:せきとめる; 〇急湍:急流。

<現代語訳> 

  蘇る 

悲しさに堪えず、

涙の川に自ら身を投ず。

誰が私を救ってくれたのであろう、

この急流を堰き止めて。

<簡体字およびピンイン> 

 复苏     Fùsū 

为不胜悲痛, Wèi bù shèng bēitòng,  

自投奔泪滩。 zì tóu bēn lèi tān.      

不知谁救我, Bù zhī shuí jiù wǒ, 

拦住此急湍。 lán zhù cǐ jí tuān.  

 

ooooooooo                                                                                                                              都の人々で、宇治を訪ねて来る人があっても、浮舟は決して姿を現すことのないよう気は付けている。それでも、自分がこうして生きていることが、宮(匂宮)や大将(薫)に知れることになったら、と煩悶するのである:

 我かくて 憂き世の中に めぐるとも

   誰れかは知らむ 月の都に   (浮舟)

 (大意) 私がこのように辛い世の中に生きて、(知られまいとして)いても、都の誰か                                                                                                                                                                                                                                                                                                       は知ることになるのではないか。

 

 

 

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