伝説から推して、お酒と料理を並べた時、李白にあってはまず念頭に浮かぶのはお酒であり、一方、杜甫にあっては料理である、という構図が想像されます。それが実際に詩に反映されているであろう として、これまでに両者の詩を一首づつ挙げました。
その構図を裏付ける例をもう一首紹介しましょう。李白の詩で、「行路難 三首」の其の一を読んでみます。その詩は、末尾に読み下しおよび現代訳とともに挙げてあります。
第1句から第3句を見て頂きましょう。第1から2句にかけて、“金樽(キンソン)の清酒(セイシュ)”に続いて“玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ)”と詠われています。また第3句でも、“盃(サカズキ)を停(トド)め”、“筯(ハシ)を投じて”と続いています。
やはり李白の詩にあってはお酒のことが先に、続いて料理が後に述べられています。
この詩「行路難」については、先の「将進酒」と読み比べたとき、作者李白の心の有りようにかなりの違いが感じられます。「将進酒」では、力強く、前に進んでいける可能性を秘めた、若さの勢いが感じられます。
この「行路難」では、“黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ”、“山に登ろうとすれば雪が天を暗くする”、進むに進めない状況にある。“今自分はどこにいるのだ、”と逆境にあって、半ば失意のうちに、焦燥感に囚われているようです。
しかし、“必ず追い風の吹く時が来るはずだ。そのときこそは、帆を高く揚げて、敢然と大海原を渡ってゆくのだ”と、李白本来の豪放な性質(たち)が顔を覗かせて、自らを鼓舞しています。
この詩が作られた時期は、宮廷を追われた後であることは容易に想像されます。宮廷詩人となる前後での、両詩の作年代が何十年も違うわけではないと思われるが、李白がお酒に対する拘りがより強いと考えられるは、年齢とは関係ないように思われます。
筆者の周りにある書物を調べる限り、お酒と料理を同じ一首の中に読み込んだ詩は、以上3首にしか過ぎません。これら3首を基に、詩中に現れるお酒と料理の記載順序は、即、李白はお酒、杜甫は料理であり、関心の大きさを反映しているという考え方を、“法則(?)”として大上段に主張するには、根拠が十分とは言えないでしょう。
ただ、豪放磊落な性格で、若い頃から遊侠、山水、神仙などとの関わりが多かった李白がお酒に対し、一方、関心が現実の人間、社会、生活に向かっている社会派の杜甫が料理(食べ物)に対して、まず拘りを示すのは自然なことのように思われます。
いずれにせよ、亡くなるに当たり、捉月伝説の李白と、肉の食べ過ぎによるとする杜甫の伝説は、なかなか含蓄のある説と言えよう。詩作者の心情が思い描かれるようで、つい微笑みたくなります。
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行路難 三首 李白
其一
1 金樽清酒斗十銭 金樽(キンソン)の清酒(セイシュ) 斗(ト)十銭(ジッセン)
2 玉盤珍羞直万銭 玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ) 直(アタイ) 万銭(バンセン)
3 停盃投筯不能食 盃(サカズキ)を停(トド)め筯(ハシ)を投じて食(ク)らう能(アタ)わず
4 拔剣四顧心茫然 剣を拔き四顧(シコ)して心 茫然(ボウゼン)
5 欲渡黄河冰塞川 黄河を渡らんと欲(ホッ)すれば 氷(コオリ) 川を塞(フサキ)ぎ
6 将登太行雪暗天 将(マサ)に太行(タイコウ)に登らんとすれば 雪 天を暗(クラ)くす
7 閑来垂釣坐溪上 閑来(カンライ) 釣(チョウ)を垂れて溪上(ケイジョウ)に坐(ザ)し
8 忽復乘舟夢日辺 忽(タチマ)ち復(マ)た舟に乘って日辺(ニッペン)を夢む
9 行路難 行路(コウロ) 難(カタ)し
10行路難 行路難し
11多歧路 歧路(キロ)多し
12今安在 今 安(イズク)にか在(ア)る
13長風破浪会有時 長風(チョウフウ) 浪(ナミ)を破る会(カナラ)ず時有り
14直挂雲帆済滄海 直(タダ)ちに雲帆(ウンパン)を挂(カ)けて滄海(ソウカイ)を済(ワタ)らん
<現代訳>
高価な酒と贅沢な料理を前にして、
私は盃をとどめ、箸を置いたまま、料理に手をつけられないでいる。
そして剣を抜き、あたりを見回して、呆然としている。
黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ、山に登ろうとすれば雪が天を暗くする。
障害ばかりの現実を見限り、谷川のほとりでのどかに釣り糸を垂れてみても、
心はいつしかまた舟を漕ぎ出し、太陽の彼方、都長安へ行くことを夢見てしまうのだ。
ああ、わが人生航路は辛い。
本当に辛く苦しい。
行く手はまるで迷路のようだ。
いま私は、一体どこにいるのか。
だが、彼方より吹き寄せる風に乗り、荒波を蹴立てて突進するときは必ず訪れる。
そのときこそ、私は帆を高く揚げ、敢然と大海原を渡ってゆこう。
石川忠久 監修 『NHK 新漢詩紀行 ガイド 4』 日本放送出版協会 2010 より引用。
(注:各句頭の付番は筆者が書き加えた。)
その構図を裏付ける例をもう一首紹介しましょう。李白の詩で、「行路難 三首」の其の一を読んでみます。その詩は、末尾に読み下しおよび現代訳とともに挙げてあります。
第1句から第3句を見て頂きましょう。第1から2句にかけて、“金樽(キンソン)の清酒(セイシュ)”に続いて“玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ)”と詠われています。また第3句でも、“盃(サカズキ)を停(トド)め”、“筯(ハシ)を投じて”と続いています。
やはり李白の詩にあってはお酒のことが先に、続いて料理が後に述べられています。
この詩「行路難」については、先の「将進酒」と読み比べたとき、作者李白の心の有りようにかなりの違いが感じられます。「将進酒」では、力強く、前に進んでいける可能性を秘めた、若さの勢いが感じられます。
この「行路難」では、“黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ”、“山に登ろうとすれば雪が天を暗くする”、進むに進めない状況にある。“今自分はどこにいるのだ、”と逆境にあって、半ば失意のうちに、焦燥感に囚われているようです。
しかし、“必ず追い風の吹く時が来るはずだ。そのときこそは、帆を高く揚げて、敢然と大海原を渡ってゆくのだ”と、李白本来の豪放な性質(たち)が顔を覗かせて、自らを鼓舞しています。
この詩が作られた時期は、宮廷を追われた後であることは容易に想像されます。宮廷詩人となる前後での、両詩の作年代が何十年も違うわけではないと思われるが、李白がお酒に対する拘りがより強いと考えられるは、年齢とは関係ないように思われます。
筆者の周りにある書物を調べる限り、お酒と料理を同じ一首の中に読み込んだ詩は、以上3首にしか過ぎません。これら3首を基に、詩中に現れるお酒と料理の記載順序は、即、李白はお酒、杜甫は料理であり、関心の大きさを反映しているという考え方を、“法則(?)”として大上段に主張するには、根拠が十分とは言えないでしょう。
ただ、豪放磊落な性格で、若い頃から遊侠、山水、神仙などとの関わりが多かった李白がお酒に対し、一方、関心が現実の人間、社会、生活に向かっている社会派の杜甫が料理(食べ物)に対して、まず拘りを示すのは自然なことのように思われます。
いずれにせよ、亡くなるに当たり、捉月伝説の李白と、肉の食べ過ぎによるとする杜甫の伝説は、なかなか含蓄のある説と言えよう。詩作者の心情が思い描かれるようで、つい微笑みたくなります。
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行路難 三首 李白
其一
1 金樽清酒斗十銭 金樽(キンソン)の清酒(セイシュ) 斗(ト)十銭(ジッセン)
2 玉盤珍羞直万銭 玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ) 直(アタイ) 万銭(バンセン)
3 停盃投筯不能食 盃(サカズキ)を停(トド)め筯(ハシ)を投じて食(ク)らう能(アタ)わず
4 拔剣四顧心茫然 剣を拔き四顧(シコ)して心 茫然(ボウゼン)
5 欲渡黄河冰塞川 黄河を渡らんと欲(ホッ)すれば 氷(コオリ) 川を塞(フサキ)ぎ
6 将登太行雪暗天 将(マサ)に太行(タイコウ)に登らんとすれば 雪 天を暗(クラ)くす
7 閑来垂釣坐溪上 閑来(カンライ) 釣(チョウ)を垂れて溪上(ケイジョウ)に坐(ザ)し
8 忽復乘舟夢日辺 忽(タチマ)ち復(マ)た舟に乘って日辺(ニッペン)を夢む
9 行路難 行路(コウロ) 難(カタ)し
10行路難 行路難し
11多歧路 歧路(キロ)多し
12今安在 今 安(イズク)にか在(ア)る
13長風破浪会有時 長風(チョウフウ) 浪(ナミ)を破る会(カナラ)ず時有り
14直挂雲帆済滄海 直(タダ)ちに雲帆(ウンパン)を挂(カ)けて滄海(ソウカイ)を済(ワタ)らん
<現代訳>
高価な酒と贅沢な料理を前にして、
私は盃をとどめ、箸を置いたまま、料理に手をつけられないでいる。
そして剣を抜き、あたりを見回して、呆然としている。
黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ、山に登ろうとすれば雪が天を暗くする。
障害ばかりの現実を見限り、谷川のほとりでのどかに釣り糸を垂れてみても、
心はいつしかまた舟を漕ぎ出し、太陽の彼方、都長安へ行くことを夢見てしまうのだ。
ああ、わが人生航路は辛い。
本当に辛く苦しい。
行く手はまるで迷路のようだ。
いま私は、一体どこにいるのか。
だが、彼方より吹き寄せる風に乗り、荒波を蹴立てて突進するときは必ず訪れる。
そのときこそ、私は帆を高く揚げ、敢然と大海原を渡ってゆこう。
石川忠久 監修 『NHK 新漢詩紀行 ガイド 4』 日本放送出版協会 2010 より引用。
(注:各句頭の付番は筆者が書き加えた。)