愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題347 金槐和歌集  雑3首-1 鎌倉右大臣 源実朝 

2023-07-13 15:23:02 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

鎌倉は海に近い故であろう、実朝は海に関する歌をよく詠まれている。この歌は、雑部のトップに挙げられている歌で、東国・陸奥の春は、塩釜の浦から始まると詠っています。

 

oooooooooo 

 

  [詠題] 海辺立春  

塩がまの うらの松風 霞むなり  

  八十島かけて 春や立つらむ  (『金槐集』 雑・536)  

 (大意) 塩釜の浦の、松の木の間を暖かな風が吹き抜けていく。海に浮かぶ島々

  は春の春霞にすっかりつつまれて、春が訪れたのだよ。  

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 海辺立春   海辺立春   [上平声一東韻]

蕩蕩塩釜浦, 蕩蕩(トウトウ)たり塩釜(シオガマ)の浦,

溜溜過松風。 溜溜(リュウリュウ)として松風 過(ワタ)る。

朧朧霞靉靆, 朧朧(ロウロウ)として霞(カスミ)靉靆(アイタイ)たりて,

島島春氣中。 島島(シマシマ) 春氣(シュンキ)の中(ウチ)。

 註] 〇蕩蕩:はてしなく広いさま; 〇浦:水辺; 〇溜溜:松風の擬音語;

  〇朧朧:おぼろげなるさま; 〇靉靆:雲が太陽をおおって薄暗いさま; 

  〇島島:多くの島々、八十島。    

<現代語訳> 

  海辺の春 

ひろびろと広がる塩釜の浦、 

サアサアと松風が吹きすぎていく。

おぼろげな春霞が立ち込めて、

海に浮かぶ島々はすっかり春の気に覆われてきた。

<簡体字およびピンイン> 

  海辺立春   Hǎi biān lì chūn 

荡荡盐釜浦, Dàng dàng yán fǔ pǔ,

溜溜过松风。 liū liū guò sōng fēng.

胧胧霞叆叇, Lóng lóng xiá àidài, 

岛岛春气中。 dǎo dǎo chūn qì zhōng

oooooooooo 

 

古代、東国経営の府として多賀城が置かれ、都から海路で多賀城に至るのに塩釜の浦はその入り口であったという。仙台湾の支湾である松島湾では、塩釜から連なって点在する島々が絶景をなし、今日なお人々を引きつける、観光の名所である。

 

古の時代にあっても都人にとっては詩情をそそる憧憬の地であり、多くの歌が詠まれ、塩釜の浦は、いわゆる、歌枕として定着していった。下記の歌はその一つで、実朝の掲歌は、この歌を本歌としたものとされている。

 

塩釜の 浦吹く風に 霧はれて 

  八十島かけて すめる月かげ  (藤原清輔朝臣 『千載集』巻四・285)

 (大意) 塩釜の浦では、吹く風ですっかり霧が晴れて、島々は、澄み渡った月

  光にすっかり包まれている。  

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

浮寝鳥(ウキネドリ)の鴨が湖で水に浮いた状態で休んでいるさまを詠った歌です。“浮き寝”は“憂き寝”を想像させることから、孤独感を訴える用語として、古くからよく歌の題材にされてきたようである。 

 

ooooooooo   

 [詞書] 水鳥  

水鳥の 鴨のうきねの うきながら 

  玉藻の床に 幾夜へぬらむ  (『金槐集』 雑・570)

 (大意) 水鳥である鴨は 浮き寝をして 浮いたまま藻の床で幾夜を過ごした

  ことであろう。  

  註] 〇鴨のうきね:鴨が水上に浮いたまま寝ること、“浮き寝”に“憂き寝”を

   掛詞; 〇うきながら:浮いたままで、“憂きながら”を掛詞。  

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩>  

 浮中想          浮中の想い    [下平声八庚‐九青韻]   

水禽野鴨做群生, 水禽(ミズトリ)の野鴨(ノガモ) 群生を做(ナ)す, 

湖面搖搖浮睡寧。 湖面 搖搖(ヨウヨウ)として浮睡(ウキネ)寧(ヤス)らかに。 

玉藻田田為床鋪, 玉藻(タマモ)田田(デンデン)たり床鋪(ネドコ)と為(ナ)し, 

不知浮寢幾夜経。 浮寢(ウキネ) 幾夜を経(ヘ)たるか知らず。 

 註] 〇搖搖:揺れ動くさま、憂いで気持ちが落ち着かないさま; 〇浮睡:

  浮き寝; 〇玉藻:水草の藻、玉は美称; 〇田田:秩序正しく密生して 

  いるさま; 〇床鋪:寝床。  

  ※ 題名は、「“浮”字は“浮き”と“憂き”の掛詞」であることを暗示した。漢詩で

  は、歌題にその意を含めた。 

<現代語訳> 

 浮きながら憂き世を想う 

水鳥の鴨は群れをなしており、

湖面にゆらゆら揺れながらの浮き寝は心安らか。

敷き詰めた玉藻を寝床として、

浮き寝を幾夜過ごしたことであろうか。 

<簡体字およびピンイン> 

  浮中想忧愁       Fú zhōng xiǎng yōuchóu

水禽野鸭做群生, Shuǐqín yěyā zuò qún shēng  

湖面摇摇浮睡宁。  hú miàn yáo yáo fú shuì níng.  

玉藻田田为床铺, Yùzǎo tián tián wèi chuángpù, 

不知浮寝几夜经。 Bù zhī fú qǐn jǐ yè jīng.  

ooooooooooooo 

 

冬になると、毎年、北の国から越冬のため日本に渡ってきて、川や湖沼で一冬を過ごす水鳥の群れを見ることが出来ます。鴨、雁、鳰(ニオ、カイツブリ)、鴛鴦、白鳥 等々、水面に浮かんで寝ることから浮寝鳥と称され、大体、羽に頭を突っ込んで寝ているようである。

 

実朝の掲歌は、下記の歌を本歌とした“本歌取り”の歌とされている。

 

水鳥の 鴨のうきねの うきながら 

  浪の枕に 幾夜へぬらむ  (河内 『新古今集』 巻六・653)

 (大意) 水鳥の鴨は、水上に浮き寝して波にゆれているが、浪枕で幾夜過ごし

  ているのであろうか。 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

「先々行くであろう処・虚空は、炎で満ちた炎熱地獄なのだ、そこ以外に行く所はないのだ、何と果敢ないことか」と。青年・実朝の純真・無邪気な心から発する罪業感が詠ませた歌であるように思える。 

 

oooooooooo

  [詞書] 罪業を思う歌 

ほのほのみ 虚空にみてる 阿鼻地獄 

  行くへもなしと いふもはかなし (『金槐集』 雑・615) 

 (大意) 炎だけが空一杯に満ちている阿鼻地獄 どうあがいてもその中にしか

    行きどころがないというのは なんともはかないことだ。  

  註] ○虚空:空; 〇阿鼻地獄:無限地獄; 〇行くへもなし:地獄へ落ち

    るよりほか行く方もない。

 ※ 行くあの世は、炎熱の地獄として詠まれている。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   思罪孽    罪孽(ザイゴウ)を思う    [下平声一先韻]

阿鼻地獄呀, 阿鼻(アビ)地獄 呀(ヤ),

火焰滿天辺。 火焰(カエン) 天辺に滿つ。

除此無所去, 此(ココ)の除(ホカ) 去(ユ)く所無し,

余人何可憐。 餘(ワレ)人は 何と可憐(カレン)なるか。

 註] 〇罪孽:罪業; 〇阿鼻地獄:無限地獄、大悪を犯した者が落ちる所;

    〇可憐:憐れむべし、可哀そうである。  

<現代語訳> 

  罪業を思う

無限地獄 とや、

炎が虚空に満ちているところ。

此処以外に行く所がないという、

私はなんと憐れむべき人間か。

<簡体字およびピンイン> 

   思罪孽       Sī zuìniè

阿鼻地狱呀, Ābí dìyù ya,

火焰满天边。 huǒyàn mǎn tiān biān

除此无所去, Chú cǐ wú suǒ qù,

余人何可怜。 yú rén hé kělián.    

ooooooooo

 

当時、実朝の置かれた周囲の歴史的状況および結末から推して、「さもありなん」との思いが無いわけではない。つまり自ら身の上の不安、不平・不満等、現実的な精神的葛藤を詠っているのであろう と。

 

さらに、“はかないことだ” とし、無常感の表現と読めなくもないが、斯様な暗さは感じられない。旨く説明できないが、“実朝の歌なのだ”と納得させられる、自然体の歌と思える。

 

実朝は、幼少時、12歳のころから、法華経や般若心経などの宗教的教育を受けていたことは先に触れた[ 閑話休題323:歌人・実朝の誕生 (16) ]。すなわち、

庶民への眼差し、弱者への慈悲心を表す歌が少なからず作られている事実は、この若少時からの教育により培われた宗教心に根差したものと解釈した。

 

同様に、掲歌についても、純粋な宗教心から発した思いに動かされて、率直に詠まれた歌であるように思える。

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閑話休題346 金槐和歌集  君が代に 猶ながらえて 鎌倉右大臣 源実朝

2023-07-10 09:12:08 | 漢詩を読む

『金塊集』(定家所伝本)末尾に並ぶ一首である。掲歌の主旨は、「長生きして、君のお陰を蒙り、よき生涯を送りたい」ということで、その [詞書]から推して自らの長生を“慶賀する”歌と読める。関東のトップ・将軍とは言え、いかにも不遜なさまに見える。この点、後で触れます。 

 

ooooooooo 

  [歌題] 慶賀の歌 

君が代に 猶ながらえて 月きよみ 

  秋のみ空の かげをまたなむ  (金塊集 660) 

 (大意) 君の世に なお一層長生きして 月の輝く秋空の下 君のお陰を蒙り

  つゝ よきこの世を送っていきたいものである。  

  註] 〇猶ながらえて:一層長生きして; 〇月きよみ:月きよき; ○かげ

  をまつ:“君のお陰を蒙って”よき世を送りたい という気持ちを

  含めている。 

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   著懐         懐(オモイ)を著(アラワ)す   [上平声四支韻] 

君代福所綏, 君が代 福の綏(ヤス)んずる所, 

曰余增鬢絲。 曰(ココ)に余(ワレ) 鬢絲(ビンシ)を增(マ)さん。 

皎皎月秋宙, 皎皎(コウコウ)として月が輝く秋の宙(ソラ), 

欲活蒙受斯。 斯(コレ)のお陰を蒙受(コウム)り 活(イキ)ていかんと欲(ホ)っす。 

 註] 〇綏:やわらげ治める、安定させる; 〇曰:ここ-に:語気を強める助

  詞; 〇鬢絲:鬢の毛が薄く、白くなること; 〇皎皎:白く光り輝く

   さま、清く明らかなさま; 〇宙:天空、そら、無限の時間; 

   〇蒙受:こうむる; 〇斯:これ、ここでは前の句で述べられたこと。

 ※ 転句の“皎皎月秋宙”は “君”、すなわち“後鳥羽帝”を意味する。 

<現代語訳> 

  想いを述べる 

君が代は よく治まる、安寧の世、 

此処にわたしは 鬢の白さがさらに増すまで生き長らえよう。

月が皎皎と清く輝く秋の空、

その恩恵を受けつゝ よきこの世を送っていきたいものである。

<簡体字およびピンイン> 

   著怀         Zhù huái 

君代福所绥, Jūn dài fú suǒ suī

曰余增鬓丝。 yuē yú zēng bìn .   

皎皎月秋宙, Jiǎojiǎo yuè qiū zhòu,  

欲活蒙受斯。 Yù huó méng shòu .  

ooooooooo  

 

鎌倉右大臣 源実朝の「不遜なさま」か? 否! この混乱は、『金塊集』伝本間の編集上の齟齬(?)によると推察されます。

 

伝本には、「定家所伝本」(編集者:実朝または定家、以下“定家本”)と、後の「貞享四年本」または「柳営亜槐本」(編集者:定説なし、以下“貞享本”)と呼ばれる2系統の伝本があり、その部立てや付番など、編集の面で違いがあります(閑話休題311:歌人・実朝の誕生-6 参照)。

 

掲歌は、定家本中、付番“660”で“雑”部に属しており、その[歌題]は「述懐歌」であり、“賀”ではありません。一方、貞享本では、付番“672”で、“雑”部中、[歌題]は上記のように“慶賀の歌”である。問題の発端はここにあるようである。

 

貞享本で“慶賀の歌”として括られた歌は6首あり、その2番目が掲歌で、1番目の歌は、付番“671”の次の歌である。これは定家本中、“賀”部、付番“353”の歌である(この歌の詳細および漢詩化については 閑話休題326 参照)。 

 

千々の春 万(ヨロズ)の秋に ながらえて 

  月と花とを 君ぞ見るべき 

      (金槐集 賀・353; 玉葉集 巻七1049) 

 (大意) 千年も万年も生き永らえて 君は月と花とを数え切れぬほど何回も

  見るであろう。

 

この歌は、明らかに“君”・‘後鳥羽上皇の長寿、また上皇の治世が千載も続くことを願い、慶賀する歌’であり、“慶賀の歌”のトップに相応しい歌と言える。

 

さて振り返って、掲歌は、本来、定家本・“雑”部、“660”番の歌であり、勿論、“自らの長生を慶賀する”主旨の歌ではなく、“君のお陰を蒙りたい” とする立ち位置の歌である。定家本では、後鳥羽院に関わる歌4首の中の一首として、纏めて置かれていた。

 

以上を勘案し、貞享本の編集者の意図を酌むに、“雑”部で“慶賀”に最も相応しい歌として、先ず定家本“353”番を選び筆頭に置いた。次いで、2番目に“君”・後鳥羽院を尊仰する実朝の想いが最も強く表現されていると思われる歌“660”番を配した と。

 

すなわち、掲歌は、単独で読むべき歌ではなく、先行歌と合わせて読んで初めて、その奥行きが理解でき、さらに先行歌での“君”を慶賀する想いが一層強調されるように思われる。貞享本の編集者の意図は、そこにあったのではなかろうか。

 

話は変わって、掲歌の参考歌として次の歌が挙げられている。

 

相生の 小塩の山の 小松原 

  今より千代の 陰を待たなむ (大弐三位 『新古今集』 巻七・賀・727) 

  (大意) 二つ並んで生えている小塩山の小松原の小松が、これ以後千年までも

   栄え茂る、その影を待つとしよう。

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閑話休題345 金槐和歌集  旅3首-1 鎌倉右大臣 源実朝

2023-07-06 10:21:09 | 漢詩を読む

 

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

行脚している雲水を思わせる侘しい歌である。実朝の旅と言えば、恐らくは二所詣の旅以外にはなく、独行、ましてや草枕の独り寝は考えられない。想像上の、なりすましの歌であるにしても、青年・実朝の精神生活が言い知れぬ強い孤独感に苛まれているよう思わせる。

 

oooooooooo 

  [詞書] 旅の心      

旅衣 袂(タモト)かたしき 今宵もや 

  草の枕に われひとり寝む 

(金槐集 旅・514; 玉葉集 旅・1192) 

 (大意) 旅にあって、今宵もまた 片方の袂を敷いて 草を枕に独りで寝るのだ。

   註] 〇袂かたしき:片方の袂を敷き 独り寝して; 〇草の枕:草を枕に旅寝すること。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩>

  枕草旅寢      枕草(クサマクラ)の旅寢(タビネ)    [上平声十一真‐下平声一先通韻]

超遙遊子頻, 超遙(チョウヨウ)たること 遊子(ユウシ)頻(シキリ)にして, 

今夜亦露天。  今夜も亦た露天に寝(ヤス)む。

在下舖只袖,  在下(シタ)に只袖(カタソデ)を舖(シ)き,

枕草而独眠。  草を枕にして独(ヒトリ)で眠(ヤス)む。

 註] 〇超遙:遥か遠く; 〇露天:野外; 〇只:片方の、対になっているものの一つを数える。

<現代語訳> 

 旅での野宿 

遠く旅に出ること度々あり、

今夜も亦 野外で寝(ヤス)むことになった。

下に袂の片方を敷いて、

草を枕に 独りで寝(ヤス)む。

<簡体字およびピンイン> 

  旅枕草寝     Lǚ zhěn cǎo qǐn   

超遥游子频, Chāo yáo yóuzǐ pín,  

今夜亦露天。 Jīn yè yì lù tiān

在下铺只袖, Zài xià pū zhī xiù,  

枕草而独眠。 zhěn cǎo ér dú mián

ooooooooo 

 

心に染み入る歌ではある。掲歌の作歌に当たって参考とされたであろう“本歌”は特に挙げられていない。この歌は後に玉葉集に撰されている。賀茂真淵は、この歌に○しるしを付している。

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

やはり草枕で独り寝の歌である。降りた夜露は、孤独な鹿の涙なり と一層の寂しさ、無常観さえ感じられる歌である。実朝の旅行きの歌は、全体的に少なく24首ほどですが、その中で独り寝を含めて、侘しさを主題にした歌が多いようである。 

 

ooooooooo 

  [詠題] 羇中鹿 

ひとりふす 草の枕の 夜(ヨル)の露は 

  ともなき鹿の 泪(ナミダ)なりけり  (金槐集 旅・520) 

 (大意) 旅に出て草を枕に独りで寝(ヤス)んでいると、枕の草に夜露が降りてきた。これは友のいない鹿の涙なのだ。

  註] 〇草の枕:旅枕; 〇ともなき:友のいない孤独な。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   鹿淚         鹿の涙              [下平声十一尤韻]

客人在遠遊, 客人(キャクジン) 遠遊(エンユウ)に在り,

草枕而独休。 草を枕にして 独(ヒト)り休む。

身辺夜露宿, 身辺 夜露(ヤロ)宿(ヤド)るは,

是淚孤鹿流。 是(コ)れ孤鹿(コロク)の流す淚ならん。

 註] 〇客人:ここでは作者本人; 〇遠遊:遠く旅をしている; 〇孤鹿:連れがなく孤独な鹿。

<現代語訳> 

  鹿の涙 

私は遠く旅に遊んでおり、

草を枕に独り横になっている。

身の回りには夜露が降りているが、

これは孤独な鹿が流した涙に違いない。

<簡体字およびピンイン> 

   鹿泪        Lù lèi

客人在远游, Kè rén zài yuǎn yóu

草枕而独休。 cǎo zhěn ér dú xiū

身边夜露宿, Shēn biān yè lù sù,

是泪孤鹿流。 shì lèi gū lù liú

ooooooooo 

 

掲歌では、自らを孤独な鹿に譬えて詠っていると想像されます。さすれば、一見治まりつゝあるように見える世の中にあって、トップに位しながらも、時代に翻弄され、一人彷徨っている青年・実朝像が浮かび上がってくるようである。

 

掲歌は、下記の歌を本歌とした本歌取りの歌とされています。作者・大宰大弐長実こと藤原長実(1075~1133)は、鳥羽上皇(第74代帝 在位1107~1123)の后・美福門院得子の父である。

 

夜もすがら 草の枕に おく露は 

  ふるさと恋ふる 泪なりけり (大宰大弐長実 千載集 巻七・恋385) 

 (大意) 旅の草枕に降りている露は、夜通し、故郷を恋しく思って泣いている私の涙なのである。 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

旅に出て草枕で休んでいます。結んだ草枕に降りた露に月影を認めました。きっと爽やかに澄んだ、美玉を思わせる月影で、心が洗われる思いに浸っているよう想像できます。先の沈んでしまいそうな歌2首を読んだ後、救われる思いです。 

 

oooooooooo

  [詞書] 旅の心を 

旅ねする 伊勢の濱荻 露ながら 

  結ぶ枕に やどる月影 

        (金塊集 雑・525; 続古今集 ) 

 (大意) 旅寝をして 伊勢の浜荻を露がおいたまゝ結んで草枕とする その枕の露に 月が映っているよ。

   註] ○伊勢の濱荻:伊勢の海岸に生えている葦(アシ); 〇露ながら:露をおいたまゝ; 〇結ぶ枕:寝る枕の意、草を結んで枕とするところから このように言った。“むすぶ”は“露”の縁語。○やどる月影:枕が露に濡れているから,月光が宿るのである。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   露宿     露の宿     [下平声二蕭韻]

旅夜伊勢地, 旅夜 伊勢の地, 

傲露葦慢搖。 露に傲(オゴ)る葦 慢(ユルヤカ)に搖(ユ)れてあり。 

結茲為旅枕,  茲(コレ)を結んで 旅枕と為(ナ)すに,  

枕上月光瑤。  枕上(チンジョウ)の月光 瑤(ヨウ)たり。  

  註] 〇露宿:草枕; 〇傲:おごり高ぶる; 〇瑤:美玉、すばらしい。

<現代語訳> 

  旅の野宿 

旅の夜を伊勢の地で迎える、 

露を宿した芦 そよ風に緩やかに揺れている。 

その葦を結んで枕にして休むに、 

枕の露に映った月光は美玉となる。

<簡体字およびピンイン> 

   露宿        Lùsù 

旅夜伊势地, Lǚ yè yīshì dì,     

傲露芦慢摇。 ào lù lú màn yáo.   

结兹为旅枕, Jié zī wéi lǚ zhěn, 

枕上月光瑶。 zhěn shàng yuè guāng yáo.  

oooooooooo 

 

掲歌は、実際に旅に出て、その経験を基に詠われたものではなく、次の歌を参考に詠われたとされています。

 

神風の 伊勢の浜荻 折りふせて 

  旅ねやすらむ 荒き浜辺に 

(碁檀越 万葉集 巻四 500; 新古今集 巻十羇旅 911) 

 (大意) 神の風の吹く伊勢の浜の荻を折り束ねて枕とし 旅寝しているのでしょうね、荒々しい浜辺で。

 ※ 妻が旅先にいる夫に 無事を願って詠んで送った一首のようである。

 

 

 [詞書] 荒屋月といへる心を 

やま風に まやの葦ぶき あれにけり 

  枕にやどる よはの月影 (覚延法師 千載集 巻十六 雑上・1019)

 (大意) 山風により荒廃してしまった葦葺きの庵で 枕に夜半の月影が宿っているよ。

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閑話休題344 金槐集  住吉(スミノエ)の 岸の松吹く 鎌倉右大臣 源実朝

2023-07-03 09:16:07 | 漢詩を読む

歌仲間の皆さんとの和歌会で、「松風に和するように沖の白波が寄せ来る」という歌題で詠まれた一首です。この話題は、古今集に収められた凡河内躬恒(オオシコウチノミツネ)の歌の主題であり、先人の歌を本歌として、作歌を競っている情況が伺えます。

 

ooooooooo  

 [詞書] こえうちそふる沖つ白波といふことを人々の 

    あまたつかうまつりし次(ツイデ)に 

住吉(スミノエ)の 岸の松吹く 秋風を 

  たのめて浪の よるを待ちける (金槐集 566) 

 (大意) 住吉の松に秋風が吹くと波が声を添えるというのだから、岸の松に秋

    風が吹くのを頼みにして波のうち寄せてくるのを待つとしよう。

  註] 〇つかうまつりし:つかまつりし、つくった; 〇秋風をたのめて:秋

    風を頼りにして。

xxxxxxxxxx  

<漢詩> 

 等沖白波   沖白波を等(マ)つ     [下平声五歌韻]

聞道住之吉, 聞道(キクナラク) 住之吉(スミノエ)にて, 

松風白浪和。 松風に 白浪 和(ワ)すと。 

靠岸溜溜発, 岸にて松風が溜溜(リュウリュウ)と発(オコ)るのを靠(タヨリ)にして, 

等来沖白波。 沖の白波の寄せ来るを等(マ)つ。 

 註] ○等:待つ; ○住之吉:住之江のこと、ここでは“吉”を“エ”と読む; 

   〇聞道:聞く所によると; 〇松風:松をわたる秋風; 〇和す:合わせる;

   〇靠:頼る、もたれる; 〇溜溜:松風の擬音語。

 ※ 住之吉について:漢詩では、平仄のルールを整えるために“住之江”を“住

     之吉”とした。その根拠は、末尾 [蛇足] を参照。

<現代語訳> 

 沖の白波の寄せ来るを待つ 

聞くところによると、住之江の浜の辺りでは、 

松を渡る秋風の音に呼応して 沖の白波が寄せて来るという。

岸辺で 溜溜と松風が起こるのを頼りにして、

沖の白波がうち寄せて来るのを待っているのだ。

<簡体字およびピンイン> 

 冲白波    Chōng bái bō

闻道住之吉, Wén dào zhù zhī jí,   

松风白浪和。 sōng fēng bái làng .   

靠岸溜溜发, Kào àn liū liū fā,

等来冲白波。 děng lái chōng bái .  

ooooooooo  

 

掲歌の本歌とされる凡河内躬恒の歌は、

 

住之江の 松を秋風 吹くからに

     声うちそふる 沖つ白波  

    (凡河内躬恒 古今集 賀・巻七・360; 拾遺集 雑・秋・1112)  

  (大意) 住之江の浜の松を秋風が吹くと その松風の音に呼応するかの

    ように、沖の白波が波音を立てながら、寄せて来るよ。 

 

凡河内躬恒は、生没年不詳で、第59代宇多帝(在位887~897)および第60代醍醐帝(同897~930)の頃活躍した下級役人、歌人である。紀貫之らと最初の勅撰和歌集『古今集』の編纂に携わっている。三十六歌仙の一人である。

 

叙景歌に優れた歌人と評されている。この歌は、屏風絵に添えた歌とされているが、松風の音や白波の音、また色彩等々、その情景がよく目に浮かぶ歌である。なお、百人一首歌人の一人である(29番、『こころの詩(ウタ) 漢詩で読む百人一首』参照)。

 

[蛇足] “住吉”と“住之江”について:

 

賀茂真淵評:「“住吉”と書いても“住之江”と読む。後世、“すみよし”と読むのは間違いで、昔は“すみのえ”と言っていた。“吉”は“え”のカナ字であり、“日吉”も“ひえ”である(斎藤茂吉校訂『金槐和歌集』 岩波文庫)。

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