以前大変お世話になった(今でもお世話になっている)方が紹介されている本なので読んでみました。
実は、私も従来からこの手のテーマに関心をもっていたので、森毅氏の「数学的思考」という本を読もうと思っていたところだったのですが、こちらの本の方がいつも行く図書館にあったので・・・
(p58より引用)・・・「運がよかっただけです」というコメントになるのだが、実際には日頃から特段の試行錯誤をして考え抜いているからこそ、単純なミスや人との出会いという形で、小さいけれども決定的な刺激が与えられ、それが大きな発見や発明を引き起こすのであろう。何も考えずにひたすら偶然の出来事を待っていても、それが発見や発明を引き起こすことはないのは、考えてみれば当たり前のことである。
「偶然は必然」ということです。
自分の周りの出来事はほとんどが外発的な事象ですし、その意味では「無数の偶発事象の集合体」です。
その無限大の刺激の中の「何に」感じるか? 感じるためには適切な「感覚器官」が無くてはなりませんし、その「機能がon」になっていなくてはなりません。
何かの課題を抱えていてその課題の解決のために常に頭を回転させていると、指向性のある感覚機能が備わってきます。そして、その鋭敏な感覚機能が常にactiveの状態になっているので、他の人にとっては何でもない事象であっても、それを見逃さず「解決の糸口」として取り込めるのでしょう。
さらに、そういうふうに何かの課題を考え抜いている人は、仮にそのことを考えていないときであっても、「きっかけ」を見逃さないのです。
無意識のうちに常にアンテナが3本立っていて「感覚機能がホットスタンバイ状態になっている」のです。
それが「ひらめき」と感じられるものの正体だと思います。
考え抜いていないと、折角の「啓示」は声もかけず通り過ぎて行きます。
(マックス・ウェーバー「職業としての学問」より) 一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。