「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」であまりに有名な「葉隠」です。
その「葉隠」の三島由紀夫による入門書ということで興味を抱きました。
本書のプロローグの中で三島は以下のように、自分にとっての「葉隠」を紹介しています。
(p8より引用) ここにただ一つ残る本がある。これこそ山本常朝の「葉隠」である。戦争中から読みだして、いつも自分の机の周辺に置き、以後二十数年間、折にふれて、あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、おそらく「葉隠」一冊であろう。わけても「葉隠」は、それが非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ちだした。「葉隠」は本来そのような逆説的な本であるかもしれない。
(ただ、松岡正剛氏によると、その割には三島の読み方は不十分だということのようですが。)
そして巻末の「『葉隠』の読み方」の章において、このように結んでいます。
(p90より引用) われわれは、ひとつの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦のない死であり、花も実もないむだな犬死にさえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳を重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
この本を書いた3年後に三島は市ヶ谷駐屯地に赴いたのです。