臨床心理学者の河合隼雄氏、詩人の谷川俊太郎氏、ノンフィクション作家の立花隆氏、それぞれ異なる分野で活動している3氏が、読むこと、聴くことについて語ります。
河合氏の語る「カウンセリングでの聴き方」は、想像と異なり興味深いものでした。
(p22より引用) どんなふうに聴いているかというと、言われていることを必死になって聴いて、それについて必死になって考えてということはしません。・・・何でも「はー」と言って、ものすごくぼんやり聴いています。それはなぜかというと、そこに注目すると、それだけになってしまうのです。ところが私たちは、来た人の考えていること、来た人が感じていることよりもっと大事にしているのは何かといったら、来た人の可能性の方に注目している。・・・
ぼーっと聴いているということは、その人の今考えておられることのもっと違うほうに注目しようということになるわけです。
この感覚とちょっと似ているのが、立花氏の話す「大量の情報からひとつの洞察に至るプロセス」です。対象に神経を集中して対するというより、自然な脳の働きに任せるといったやり方です。
(p147より引用) そのときどきで、どんどん垂れ流しをさせる、その大部分が流れ去り、残ったものの中からさらにいいものが残る。・・・大部分がどんどん消えて、最後に残ったものがこのわれわれの世界みたいな、そういう価値あるものの成立史というものもあるわけです。
こういった方法が成り立つもの、自分の中に自然な形で働くフィルターがすでにあることが前提になります。
フィルターの自律機能は、それまでの知的活動の蓄積度合いに左右されます。
知的活動のひとつは言うまでもなく「読書」です。立花氏は「読書」の広がりについて以下のように話しています。
(p154より引用) 結局、読書というのはある関心を持ったときに、その方向で先人がどういうことを考えていたかを考えて掘っていくみたいな世界だと思いますね。
最後に、大量の情報に溢れているインターネットの世界に相対するための谷川氏の指摘をご紹介します。
谷川氏は、「大量の情報にアクセスしたとき人間個人の脳では扱いきれないのではと不安になる、そういったとき『アナログ的にひとつのイメージとして俯瞰して把握する』といった対し方が必要になる」と語ります。
(p168より引用) そのときに俯瞰できる能力は何によるかというと、それは一種の実際に生きてきた、一人ひとりの人間の経験による知恵みたいなものではないかと思います。その知恵的なものを信頼していないと、知識的なものをコントロールできないと言えばいいのか、そんな感じがします。
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