いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
「セカンドライフに田舎暮らし」とか「古民家再生」とかの話題には興味を持っていたので、タイトルに反応して手に取ってみました。書かれている内容は、過疎地域での暮らしを踏まえた実態レポートといった体ですね。
本書での花房尚作さんの問題意識は「地域活性化推進の是非」にあります。
(p114より引用) しかし、本当に「地域の活性化は正しい」のだろうか。活性化している地域は好ましい町で、活性化していない地域は好ましくない町なのだろうか。それは都心で暮らしている者の勝手な思い込みではないだろうか。
一口に地方といっても、県庁所在地のように交通の便が整っている地域もあれば、陸の孤島になっている地域もある。過疎地域の中にも都市に近い場所に位置する過疎地域もあれば、都市から遠く離れている過疎地域もある。都市から遠く離れている過疎地域の中にも山村や漁村、離島もあり、それぞれ置かれている状況が違う。それらをすべてまとめて 「地域の活性化は正しい」と論じてしまって本当によいのだろうか。過疎地域の活性化は本当によいことで、過疎地域が衰えるのは本当に悪いことなのだろうか。
過疎地に暮らす人々は、活性化など望んでしない、無理やり活性化させるのではなく、穏やかに衰退させた方がその地に暮らす人々にとっても、日本の地方自治にとっても望ましいのではないかとの疑問です。
しっかりとしたソフトランディングの道筋をつけて“幕引き” に導くことも、十分に現実的な地方行政が取るべき政策の選択肢のひとつですね。
本書で花房さんが指摘しているように、「中央政府視点」「都市視点」からの(勝手に良かれと思って頭で考えた)政策を強要するのではなく、「現地視点」でそこに現に住んでいる人々の希望や主張に根ざした「在り様」をイメージしてどうするのが(or どうしないのが)望ましいのかを考える姿勢は大切でしょう。
さて、本書を読み通しての感想です。
花房さんの「過疎地行政」に関するタテマエに囚われないストレートな疑問はなかなかに的を得ているように思います。ただ、論考としては、その根拠、論理、結論、そしてそれらの記述・・・、あらゆるパートが粗削りで、その詰め方にはもの足りなさが残りました。
着眼点はとても面白いだけに、ちょっと “もったいない” ですね。
いつも利用している図書館の新着書リストの中で見つけました。以前から気になっていた本なので、早速予約して読んでみました。
テーマは「近親者のアルツハイマー病発症」というとても厳しいものです。著者は発病者の奥様の若井克子さん。
若井晋さんが若年性アルツハイマー病を発症されて東京大学を早期退職された年齢が、今の私と近いこともあり、本書で紹介されている晋さんと克子さんの闘病生活での数々のエピソードは、とても身近なものとして受け止めていました。
その中から、特に印象に残ったくだりを書き留めておきます。
(p153より引用) 「アルツハイマー病になると人格が変わる」と、言われるようです。でも私には、〈ちょっとちがう〉という実感がありました。
確かに晋には、空間認知や記憶の面で支障が出ています。そのせいで、できないことが増えたのは、ここまで長々と書いてきたとおり。
しかしそれは、生活の「技術」の問題にすぎないのではないか?
支障が出て困るから、人柄が変わったように見える、そういうことではないでしょうか。
だから、人間性が壊れるわけではないと思うのです。
むしろ、かえって深まるものもあるのではないか-。
たとえば晋の場合は、正義感、優しさ、謙虚さ。そして信仰も深まったように、私は感じていました。
克子さんの実感ですが、「引き算」によってより“本質” が浮き彫りになり際立つということは確かにあり得ることだと思いますね。
そして、本書を読み通して私の最も印象に残った晋さんの言葉です。
(p154より引用) 一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中 で私も生きてゆきたい。
講演が終わり、質疑の中で「人の価値」について尋ねられたときの晋さんの答えでした。
“自分の生き様に合わせて”、というフレーズに共感します。「病」もまた、自分の生き様なんですね。