
本日は、先々週、続くと予告した「縄文文化」について綴ります。
先週は、別の話題をアップしてしまいました。ごめんなさい。
青森の三内丸山遺跡で出会った、木の建築!?群と
その暮らしぶりに、圧倒されたお話です。
九州生まれの私としては、
東北や北海道は、まるで別世界です。
特に東北の史跡は、ほとんど旅したことがありません。
数えるほどです。
三内丸山遺跡は、ぜひ行くべしと、様々な方から
伺ってきました。
せっかく関東に出てきたのに、
北へ行かないなんて、勿体ないと思いつつも
なかなかチャンスがありませんでした。
今回、日本民家再生協会のお仲間のおかげで実現。
紀元前3900年〜2200年の間
およそ1700年続いたと言われる
縄文文化の暮らしのあった土地。
今より、気温が3度ほど高く、縄文海進により、
海が今より近くにあり、魚が豊富で
山の幸と両方による豊かさがあったのだと
推察されています。
人々が、盛り土し、地形を形造ったこと
(地層の断面が見れます)

道も配置した集落であったこと。
大型の木造建築物に、竪穴式住戸、
そして、謎の列柱6本の跡地。

土木工事に高層建築!?
機械も電気もない時代に、
人力だけで行うことがどれだけ大変なことか!
きっと、人々の意識や思いが一つにならないと
こういった作業はできるはずもありません。
皆の位置疎通やコミュニケーション能力の高さ
力を合わせる協調性、、、
そういったことからも
平和であり、人々が仲良く暮らしていたのではないかと
想像されているのです。
様々なことが、まだまだ発掘調査中です。
この巨大な掘立柱の建造物を
どうやって作ったのか、全く不明ということ。
地面に穴を掘るのは、重力に逆らうことではないので
それなりにできると思います。
しかし、巨木の柱を持ち上げることができるのか?
ということです。
伐採して、運んで。。。と
そういったことは現代でも大変です。
どのようにして施工したのか、、、
ピラミド建設の謎ではありませんが
建築やとしては、やはりそこが気になります。
そして、用途ですよね?
何に使われていたのだろうか。。。
海からの船を見張るため?
展望台?
祭祀儀礼のため?
天との交信???
北にも、卑弥呼がいたのかも?
と、そんな説も出てきたのも
北にも、卑弥呼がいたのかも?
と、そんな説も出てきたのも
実際に拝見すると、うなずけます。
とにかく高い!
人が入ると、大きさがよく分かります。

発掘は、根元だけですから、(栗の木が炭化して残っている)

上部は、想像でしかなく、実際の建物はどうであったのか、、、、
アレコレ想像してみるのも楽しいものです。
ここで、ガイドの方の解説で驚いたことが、
実は縄文人にはスケール感覚があった!
列柱は、倍数で配置されているそう。
単位は、縄文人の肘から手までの長さではないかとのこと。
まぁ、そういう計算ができなければ
このような建築はできませんよね!
規則正しくすることが、美しさを生み出し
また、強度が増すという知恵を
しっかりと持っていたのでしょうか。。。
そこで、生活にも、秩序や、規律もあったのではないかと
私は想像しました。
そして、
現場監督さんもいたんだろうなぁ。
やはり高いところが得意な人だろうなぁ、、、笑。
などなど。
ここでの暮らしぶりは、
大きな身分差は、なかったようだとの解説。
(装飾などから)
(装飾などから)
そういったことからも、
平和だったと想像されているようです。
大木造建築も。

内部の復元(元の方のふくげんは、想像も入る)

う〜む。いろいろと考えさせられました。
ここでの学びは
・建築づくりは、やはりスケールが基本ということ。
・そして、平和な暮らしは大きな格差がないこと!
・協力体制と協調性を持ち合わせていた人々。
それにしても、とても気持ちの良い場所でした。
お墓もたくさんあるそうですが、
埋葬の仕方にも縄文人の思想が反映されているとか
その埋葬の仕方に、子どもをとても大事にしたであろうと
見受けられるとか。。。。
考古学の世界は、科学的でありつつ、なぞも多いので
私たちの希望的な憶測も入っているのかもしれませんが
何より、日本に住み着いた我が祖国のご先祖たち。。。
平和な国民であったに違いありません!(思いも込めて)
博物館で、出会った板状土偶。
(岩削って作られた「岩偶」というのも初めて知りました。)


建築に話を戻します。
石、土、木、、これらの自然にあった素材を用いて
工夫しながら、住まい建築をつくり
気候風土を生かし、気候風土に耐えて、
今の私たちの建築があるということに、
しみじみとした感慨を覚えます。
今の現代社会のコンクリート建築の歴史など、浅い浅い!?
よく言われるのが、コンクリート建築よりも木の建築の方が
実際に長く、現代までに残っているということです。
ICT活用や、オンライン利用、
バーチャルリアリテイの世界が
どんどん加速している一方、
土着的な暮らしや、
自然との関わりのある暮らしは
これから、どのようになっていくのか。。。。
世界は、この2年間で、非常に揺らぎましたし、
方向性は誰にも定められません。
しかしながら、
やはり学びながら、考え続けて、
模索していくしかないのだろうなと、
縄文人の知恵と努力に接して、深く、心に刻むのでした。
私のこれからの生き方(行き方)にも
大いにヒントをもらった旅でした。
本日は、アイヌ文化に触れた感動もまとめよう
と思っていたのですが
長くなりました。
また次回に続けます。