この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

魔王、その2。

2005-11-08 22:59:40 | 読書
伊坂幸太郎著、『魔王』読了。
今度こそ感想です。
前回のヤツは内容と無関係でしたからね。笑。

スティーブン・キングの小説に『デッド・ゾーン』という作品があります。
望まぬ力を得た男を描いた悲劇で、異才デビッド・クローネンバーグによって映画化もされています。そちらの方もかなりよい出来です。未見の方は是非。
『デッド・ゾーン』の主人公ジョン・スミスは四年半の昏睡から目覚めたあと予知能力を身につけています。
その力によって大統領候補が核ミサイルの発射ボタンを押す未来を見てしまうのです。
ジョンはその未来を阻止するためにある行動に出るのですが・・・。
その行動って言わずもがな、大統領候補の暗殺なんですけどね、でもよくよく考えてみるとジョンの行動によって核ミサイルの発射されるという未来が避けられたのであれば、別の何かによってそうなる可能性もあったわけで、大統領候補によって核ミサイルが発射される未来はいくつもある未来のひとつに過ぎないんですよね。
それなのにやってもいないことで殺されちゃう大統領候補ってのも哀れだな、と思わずにはいられません。(*『デッドゾーン』、原作、映画ともに大統領候補は殺されはしないとのご指摘を頂きました。自分の記憶違いでした。すいません。)
それはさておき。
伊坂幸太郎の『魔王』は『魔王』と『呼吸』の二部構成になっています。
そして第一部の『魔王』は『デッド・ゾーン』と、主人公が望まぬ力を得ること、強力なカリスマを持つ政治家が登場すること、そして主人公がその政治家に危険を感じて排除しようとすることなど、様々な点において似通っています。
もし伊坂幸太郎が『デッド・ゾーン』など読んだこともないと言ったら、それは嘘でしょう。
しかしながらもちろん違いもあって、先ず何かというと文章のリズム、でしょうか。
キングの文章は非常に濃密で、読んでいると息苦しささえ感じます。
一方伊坂幸太郎の文章はテーマの重さの割りにあくまで軽妙で、読みやすい。
ですからどれほどテーマが重く、展開が悲劇的なものであっても読み手は希望を失わずに済みます。
さて、第二部の『呼吸』の主人公は第一部の『魔王』で主人公だった男の弟です。
弟もまた兄と同じく望まぬ力を得ます。
もしこれで第二部が第一部と同様悲劇で終わってしまうのであれば、『魔王』というお話は何だったんだということになりますが、そうはなりません。
では安易なハッピー・エンドかというとそうでもない。
じゃ、どういった結末かというと、実は示されていないんですよね。
作者は読者に一任してるんですよ。
考えろよ、って。
一見無責任なようにも思えますが、作者はそこまでにすべての条件を提示していますから、決してそうではありません。
『デッド・ゾーン』の主人公ジョンは、望まぬ力によって悲劇的な未来を透視し、その未来を避けるべく行動を起こします。
しかし何も考えることもなく行動を起こしたのであれば、ジョンはただの馬鹿ですし、木違いに過ぎません。
さきほど核ミサイルが発射される未来はいくつかある未来のひとつに過ぎないと書きましたが、ジョンもそれぐらいのことは考えたでしょう。
考えて、悩んだ結果、行動を起こしたはずです。
『魔王』の主人公、そして我々は未来予知などという便利な力は有していません。
しかし考えることは出来ます。
どのような行動を起こすのであれ、まず考えろ、流れに身を任せすぎるな、そう作者はいいたかったのではないかと思いました。

ps.伊坂幸太郎の作品といえば別の作品のキャラクターがちょい役で出てくることで知られていますけど、『魔王』に出てきる『オーデュポンの祈り』のキャラクターに気づいた人はいますか?
コメント (2)
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