この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

天才マックスの世界。

2009-01-06 22:36:46 | 旧作映画
 ウェス・アンダーソン監督、『天才マックスの世界』、DVDにて鑑賞。

 以前から見たいなと思いながら、なかなか鑑賞の機会に恵まれなかった『天才マックスの世界』をようやく見ることが出来ました。縁というものは大切なものなのだなとあらためて思いました。

 早熟な天才を主人公にした喜劇/悲劇という構図は『ハイスクール白書/優等生ギャルに気をつけろ!』を思い起こさせます。
 この二作品には共通点がいくつかあり、まずどちらも日本では劇場未公開であること、そして邦題がしばしば非難の的になっていることが挙げられます。

 邦題にケチをつける人に一言言いたいのですが、ケチをつけるのはいいとして、だったら自分であれば何という邦題にするのか、それをきちんと述べるべきだと思います。
 自分は『ナポレオン・ダイナマイト』の邦題が『バス男』になったときはさすがにひどいな、と思いましたが(『ナポレオン・ダイナマイト』の邦題は『ナポレオン・ダイナマイト』にすべきだと思います。主人公のへなちょこ男が大仰な「ナポレオン・ダイナマイト」という名前であることがギャグのネタになっているので。)、それ以外では特にケチをつけようと思うことはこれまでありません。
 例えば『天才マックスの世界』の原題は『RUSHMORE』ですが、『RUSHMORE』といわれたって日本人にはさっぱり意味がわからないでしょう。『ハイスクール白書~』も同様に、原題の『election』という単語はやはり馴染みがないですよね。
 であればそれぞれ『天才マックスの世界』、『ハイスクール白書~』という邦題になるのも致し方ないのではないでしょうか。

 というような閑話休題はこれぐらいにして。
 今述べたこと以外にも二作品には通じるものがあり、それは何かというと作り手の、登場人物への優しい眼差しですね。
 本作ではマックスにことあるごとに絡んでくるいじめっ子がいるんです。マックスは終盤いじめっ子に仕返しをしてギャフンといわせます。通常の作品であればそれでいじめっ子は退場と相成るわけです。しかし本作の作り手はその後にいじめっ子にも見せ場を用意しているんです。
 そしていじめっ子だけでなく、マックスと何らかの関わりのあった、言い換えればトラブルのあった登場人物たちが最後に勢揃いします。すべてのことを水に流し、清々しい表情をして。
 これすなわち大団円ですよ。
 ハッピーエンドの作品は多くあれど、主人公が幸せになっても、その割を食って別のキャラが不幸せになるのであれば、それは大団円とはいわないと思います。
 もちろん主人公マックスに向けられる作り手の眼差しはとりわけ優しいのです。
 天才ゆえの肥大した自意識の暴走によって愛するラシュモア校を放逐され、転校先の公立高校でも居場所を失い、不登校になったマックスにも救いの手は差し伸べられるのです。

 実をいうとそこまで気に入る作品ではありませんでした。
 途中のマックスの暴走と挫折が見ていて痛々しかったので。
 ただ、創作意欲は不思議と掻き立てられる映画ではありました。
 よし、2009年はいっちょ脚本の一つでも書いてやるか、という気にさせる何かがありましたね。
 その先待っているのが大団円でなくても、せめてハッピーエンドだといいんですが。
コメント (2)
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