この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

何だかいろいろありえないなと思った『エンダーのゲーム』。

2014-01-18 23:41:38 | 新作映画
 ギャヴィン・フッド監督、エイサ・バターフィールド主演、『エンダーのゲーム』、1/18、イオンシネマ筑紫野にて吹替え版を鑑賞。2014年2本目。


 この『エンダーのゲーム』を観に行くことにしたのはぶっちゃけ他に観たいと思う映画がなかったからです。これを観なかったら、一月に観る映画が『インシディアス 第2章』だけになってしまう、、、まぁそれでも構わないといえば構わないことではあるんですけど、やっぱり一抹の寂しさを覚えたのです。

 あと一つ理由が挙げるとしたら、前売り券の特典が若干豪華だったんですよね。クリアファイルだけじゃなくてピンバッジもついてきました。豪華ってほどでもないか。笑。

 特典といえば、この映画、入場者特典までありましたよ。ポストカードがもらえました。


   


 洋画で入場者特典がもらえるのは珍しいような気がするなぁ。アニメだとよくありますけどね。

 そんなわけで、そこまで観たいと思って観た『エンダーのゲーム』なのですが(予告編がすごく微妙だった)、実際鑑賞しての感想は何だかいろいろありえないな、でした。

 まずSFとしての基本設定がヘンなんですよ。
 異星文明フォーミックの一回目の襲撃を人類は大気圏内で通常のジェット戦闘機で迎え撃ち、撃退します。
 恒星間航行が可能な敵をジェット戦闘機で迎え撃つというのも考えてみればかなりシュールな図なんてすけど、さらにおかしいのは50年後の二回目の戦闘が宇宙空間での艦隊戦なんですよね。
 たった50年の間に何があったんだ、人類は。
 たぶん長大な原作ではそこら辺のことも上手く説明されてるとは思うんですけど(原作は未読)、映画では思いっきり端折られているので、ありえないだろ、としか思えないんですよね。

 次にディティールも首を傾げたくなることが多かったです。
 主人公エンダーの同期の訓練生に女の子がいること自体は当然アリだと思いますが、訓練期間中は女の子も含めて訓練生が全員同室というのはないだろうと思いましたよ。
 原作でもそうなんですかね?
 そんなところに引っ掛かっている自分がおかしいの?

 でも一番ありえないだろ、と思ったのはクライマックスでの提督たちの判断ですかね。クライマックスにドンデン返しっぽいものが用意されてるんですが、それがまったく説得力がない。いくらエンダーに司令官としての資質を見出したとしてもあの判断はありえなさすぎる。前回の訓練でエンダーはミスを犯しているというのに…。
 
 とはいえ、エンダーの「異星文明であっても対話は必要だ」という考え自体は共感しうるものだったので、作品自体を否定する気はないんですけどね。
 まぁでも続編が作られたとしても観に行かないと思います。


 お気に入り度は★★☆、お薦め度は★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。


 次回鑑賞は『ザ・イースト』の予定、期待度は★★★★です。
コメント
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