この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

「俺は生きているぞ!」と男は叫んだ。『ダラス・バイヤーズクラブ』。

2014-03-25 22:09:21 | 新作映画
 マシュー・マコノヒー主演、ジャン=マルク・ヴァレ監督、『ダラス・バイヤーズクラブ』、3/21、KBCシネマにて鑑賞。2014年14本目。


 私たちは生きている。
 だが同時に生きているだけともいえる。
 将来はこうありたい、絶対に叶えたい夢がある、自分なりの生きる目的がある、そんなふうに明確なヴィジョンを抱いて生きている人はどれぐらいいるだろうか。おそらく一割にも満たないだろう。
 私たちのほとんどは、その日その日をただ漠然と生きている。
 生きているということは特別なことなのだ、と思うこともなく。

 ロン・ウッドルーフは生きていた。ただ生きていただけだった。
 好きな時に好きなだけ酒を飲み、ドラッグを決め、賭博にハマり、いい女がいれば思うがままに抱いた。
 それが彼にとっての日常だった。もちろん生きているということは特別なことなのだ、と思ったことなどない。
 
 が、ある日彼は知ることになる。
 それが特別なことなのだと。
 医師から、エイズにより彼の余命はわずか30日だと告知されたのだ。
 その日から彼の戦いが始まる。

 何との戦いなのか?
 この映画を観たほとんどの人は、彼は国民に選択の余地を与えない、司法と戦ったのだと思うだろう。
 だがそうではない。
 確かに彼は司法とも戦ったが、彼が最初に戦ったのは他でもない、彼自身の中にある偏見だった。ゲイに偏見を抱いたままではゲイとの商売は成り立たない。そしてゲイとの商売を抜きにして彼自身の延命の途はない。
 エイズに罹り、余命が30日と知らされ、彼は初めて自らの偏見と向き合うことになる。

 映画の中で、彼は幾度となく司法との戦いに敗れる。
 彼が戦いを挑む相手はあまりにも巨大すぎたのだ。
 戦いに敗れ、意気消沈する彼を、仲間たちが温かく出迎える。
 彼の戦う姿はいつの間にか周りの人間たちに勇気と希望を与えていたのだ。
 
 映画『ダラス・バイヤーズクラブ』はロン・ウッドルーフの7年間の戦いの記録であり、そして生きるということはどういうことなのかという指標でもある。


 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント
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