この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『マーターズ』最終考察、その2。

2014-05-30 22:30:33 | 旧作映画
 続きです。

 話は飛びますが、アンナは死の間際、マドモアゼルに何と呟いたのでしょうか?そしてマドモアゼルはなぜ自ら命を絶ったのか?
 これに関してもネットでは諸説あるようですが、自分の考えはとてもシンプルです。
 まず間違いなく言えるのは、アンナはマドモアゼルに対して、一矢報いてやろうとか、一泡吹かせてやろうとか、一杯喰わせてやろうとか、そんなことを考えていたわけではなかったということです。
 そんな複雑な思考が出来るような状態でなかったことは明らかですから。
 彼女はそのとき思っていたことを口にしたに過ぎなかった。
 それはつまり親友のリュシーへの謝罪です。
 彼女はこう呟いたのではないでしょうか、リュシー、あなたのことを信じなくてごめんなさい、と。

 そもそもアンナはどうしてあれほど苛烈な拷問を最後まで受け続けることが出来たのでしょうか?常人なら到底耐えられるものではありません。
 自分はこう考えます。
 彼女が苛烈な拷問を受け続けたのは、彼女自身が自らが犯した罪を償うために罰を受けるべきだと考えたから。
 罪とはこの場合親友のリュシーを無条件に信じることが出来なかったことを指します。
 それは無理な話なんですけどね。

 そしてマドモアゼルはその言葉を聞いて絶望した。
 彼女がアンナから聞きたかったのは何でもよかったんですよ。死後の世界が存在することを示す言葉であれば。
 三途の川が見えますとか、お花畑が綺麗ですとか、光が溢れていますとか、そういった死後の世界を描写する言葉を彼女は聞きたかった。
 そうでなければ、彼女がこれまで信じてきたこと、やってきたことがすべて否定されてしまうから。そして自分たちが高潔な学究の徒ではなく、ただの狂ったカルト集団でしかないことが証明されてしまうから。
 マドモアゼルは集まった多くの構成員を前に、少女は死ぬ間際、ただ親友への謝罪の言葉を口にしただけだった、とは口が裂けても言えなかったでしょうね。
 彼女が秘密を抱えたまま自ら命を絶ったのも無理からぬことだと思います。従者に対して「疑いなさい」と言ったことも筋が通ります。
 リュシーはただ思っていたことを口にしただけなのですが、そうすることで、マドモアゼルの心を深く貫いたのです。

 今述べたことは、そういうふうに考えることも出来る、という説に過ぎません。
 ただ、自分がこの説に固執するのは、そう考えれば『マーターズ』という映画はとても美しいものになると思うからです。
 一人の少女は親友に信じてもらえなかったことに絶望し、自らの命を絶った。
 そしてもう一人は親友の死に責任を感じ、ありとあらゆる責め苦を受けた。
 自分は決して同性愛に寛容な立場にはありませんが、リュシーとアンナの、互いを想う気持ちはとても美しいものだと思うのです。

 自分の『マーターズ』最終考察は以上です。


ps.くれぐれも、へぇ、そんなに怖いの?ぐらいの興味本位でこの作品は見ないでください…。
コメント (7)
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