この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

いろいろ納得出来なかった『るろうに剣心 伝説の最期編』。

2014-09-13 20:58:59 | 新作映画
 大友啓史監督、佐藤健主演、『るろうに剣心 伝説の最期編』、9/13、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2014年33本目。


 『るろうに剣心 京都大火編』に続いて、『るろうに剣心 伝説の最期編』を観てきました。
 いろいろ納得出来なかったです。

 一番最初に「はぁ?」と思ったのは、前作で薫を助けようと黒船から海に飛び込み、浜に打ち上げられ剣心を師匠である清十郎が“たまたま”助けたこと、、、ではないんですよ。
 そんな偶然があるか!と思わないでもないですが、それはまぁ置いといてもいいです。
 納得出来なかったのは、目を覚ました剣心が清十郎にいきなり飛天御剣流の奥義の教えを乞うんですよね。
 でもそれっておかしくないですか?
 何で剣心は飛天御剣流にそんな奥義があるってことを知っていたんでしょうか。
 いや、剣心が知っていたということはすなわち清十郎がその存在を教えたってことなんでしょうけれど、どこの世界に弟子に奥義の存在を教える師匠がいるんでしょうか?
 奥義って例え相手が弟子であってもそんなに軽々しく存在を口にするようなものじゃないと思うんだけど、原作ではそこら辺はどうなんですかね?(原作は未読)

 あと、京都から江戸に戻った剣心は留守を預かっていた恵が「お茶でも…」と言うのを「いや、そのような時間はないでござる」とか言って断るんですが、なぜか「あんたにはこれが似合うから」と手渡された緋色の着物には素直に着替えるんですよね…。茶を飲む時間はなくても着替える時間はあるのか、剣心(そんなことをやってるから警官隊に捕縛されてしまう)。

 さらに志々雄が待つ黒船に剣心らは小舟に乗って近づこうとするんですよね。そんな小舟に乗って近づこうとしたって銃で狙い撃ちされるんじゃ、、、と思ってたら、次のシーンではもう黒船に乗り込んでるんですよ。それはないなぁと思いました。

 他にもちょこちょこと「?」って疑問符が頭に浮かぶシーンはあったんですが、ただそれらは重箱の隅と片づけてもいいようなことではあるんですよね。
 何といっても本作はアクション映画なんですから、アクションにさえ魅力があれば脚本に多少の疵があったとしてもそれは不問にしたっていいと思います。

 本作で一番納得出来なかったのはクライマックスの志々雄真実戦なんですよ。
 ご丁寧なことに戦いが始まる前に志々雄の部下である由美から志々雄は十五分しか全力では戦えないことが明かされます。
 その時点で相当なハンディキャップじゃないですか。
 それで実際戦いが始まると驚いたことに剣心たちは剣心、左之介、斉藤の三人で同時に襲い掛かるんですよ(途中から蒼紫まで加わって四対一)。
 いくら志々雄が絶対悪で、無類に強いからといって四対一っていうのはさすがにない。
 アクションのレベルそのものは非常に高いんですけど、四対一の戦いは観ていて何だか萎えました。四人の側が勝つのは当たり前ですしね。カタルシスも得られなかったです。

 そんなわけで個人的にちょっとなぁと納得の行かない箇所もありましたが、前述の通りアクションそのものは目を瞠るものがあり、これまでの日本映画のアクションの概念を覆すものがあったと思います。
 純粋にアクションを目当てで観に行くのであれば問題はないのかもしれません。


 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント (2)
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