この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ナルスルナリタイシタイ。

2015-03-13 21:57:46 | 戯言
 先日、ミクシィで気になる記事を見つけました(元記事はこちら)。
 JK・JDのなりたい髪型が、ショート1位は広瀬すず、ロング1位は石原さとみなのだそうです。
 確かに広瀬すずも石原さとみも可愛いですもんね。JK・JDが憧れるのもわかります。
 などと乳臭い娘のことはどーでもいいのです。

 気になったのは「なりたい髪型」という表現。
 「なりたい髪型」というのはつまり「私は広瀬すずの(ような)“髪型”になりたい」ということですよね?
 髪型になりたい???
 この表現って日本語としておかしくないですか?合ってます?
 「私は広瀬すずの(ような)“髪”になりたい」っていうならまだわからないでもないんですよ。自分の髪に自信が持てない女の子が広瀬すずの髪を見て綺麗だなって思い、あんな髪になれたらいいなって憧れる。それならわかります。

 もしくは髪型の方を残したいのであれば、「私は広瀬すずの(ような)髪型に“したい”」になりませんか?
 髪型なんてものは自分の意思でどうにでもなるものですから、「なる」ではなく、「する」を用いるのが正しいと思うんですけどね。
 それとも髪型なんてものは自分の意思でどうにでもなるというのは男性視点の誤った認識で、実は女性が髪型を変えるのは自分の意思ではどうにもならないことなんでしょうか。だったら「なる」を用いるのも間違っていないということになりますけれど。

 自分の感覚では「なりたい髪型」という表現はあり得ないのですが、言語学者の先生から「いや、なりたい髪型という表現も間違いではないから」と言われたら、納得してしまいそうです。自分も国語の文法に絶対的な自信があるわけではないので。
 
 はっきり間違いだとわかる表現はあまり気にならないんですが、このように間違いなのかどうなのかイマイチ判別がつきかねる表現はいつまでもモヤモヤが残るので困ります。

 
 あなたはこの春、どんな髪型になりたいですか?
コメント (4)
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