もう10年以上毎日ブログの記事を更新しています。
10年以上毎日更新しているブログってどれぐらいあるのでしょうね?
ゼロだとは思いませんが、自分は寡聞にして知りません。
ただ、自分のブログが日本で一番長く更新を続けている、とはさすがに思っていません。
どこかに自分のブログとは比較にならないぐらい長期間、毎日更新しているブログがあるだろう、そう思っています。
日本で一番長く更新しているブログだとは思っていませんが、おそらく日本一だと思うのは映画『ガタカ』に関する考察記事の量です。
どれぐらいの量があるのかというと、書いた当人にもどれぐらいの量があるか、把握出来ないぐらいです(把握しろ)。
なぜ『ガタカ』の考察記事を書くのか?
それほど『ガタカ』が好きなのか?
考察記事を書くぐらいですから、もちろん好きな映画ではあるのですが、一番好きな映画ではないのです。
単純に好きな映画で言えば『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』の方がはるかに好きです。
でも『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』の考察記事を書くことはほとんどありません。
なぜかというと『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』を誤読する人はいないからです。
自分が凝りもせず、延々と『ガタカ』の考察記事を書き続けるのは、単純に『ガタカ』を誤読する人が多いからだと言えます。
今日はどのように読み進めれば『ガタカ』を誤読せずに済むのか、ちょっとしたポイントを解説したいと思います。
開始から16分、ヴィンセントは生まれて初めてアントンとの遠泳競争で勝利します。
アントンはその遠泳競争が嫌で嫌でたまりませんでした。
ちょっと待て、何を勝手なことを言っている、アントンが遠泳競争を嫌がるシーンなんてどこにもないぞ、そう仰る方もきっといるでしょう。
確かにその通りです。
アントンが遠泳競争を嫌がるシーンは作中ありません。
しかしそれは常識で考えれば、もしくは自分の身に置き換えて考えればわかることです。
あなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいて、あなたに遠泳競争を挑んできたら、あなたはその挑戦を受けますか?
受けない、ですよね。
少なくとも受けたくはない。
いつ心臓が止まるかわからない相手との遠泳競争なんて狂気の沙汰、望んでやりたがる人間はいません。
いや、自分ならその勝負、喜んで受けるよ!そして完膚なきまでに叩きのめしてやる!という方がいたら、遠慮なく申し出てください。
自分も遠慮なくその方を「人でなし」と呼ばせてもらいます。
ともかくアントンは人でなしではなかったので、ヴィンセントとの遠泳競争が嫌だったのです。
しかし実際にはアントンは勝負を受けています。
なぜアントンは勝負を受けたのでしょうね?
勝負に勝ったからといって大金がもらえるわけではありません。
彼の自尊心が満たされるわけでもない。
彼が勝負を受けたのは単純にヴィンセントが勝負を申し込んできたからです。
それ以外の理由はありません。
でもなぜアントンは何のメリットもない勝負を受けたのか?
それは断れなかったから、です。
もしアントンが「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争をするのは御免だ」と言えば、彼は遠泳競争をしなくて済んだでしょう。
でも彼はその言葉を口にすることが出来なかったのです。
口にすれば兄を深く傷つけることがわかっていたから。
アントンは家族として兄のことを愛していたのです。
だから兄を傷つけることが忍びなかった。
彼は勝負を受け、そして故意に負けた。
それがヴィンセントの勝利の真相です。
いや、それはいくら何でも穿った見方というものだろう、そう仰る方もきっといるでしょう。
ではその方たちに問います。
Ⓐ特別な泳法をマスターしたわけでもなければ、陰でこっそり練習をしたというわけでもなく、理由は特にないが、単に一生懸命頑張ったからというだけでヴィンセントがこれまでまったく歯が立たなかったアントンに遠泳競争に勝つこと
Ⓑ全力を出せば容易に勝つことは出来ても、もしかしたら死んでしまうかもしれないヴィンセントとの遠泳競争に臆したアントンが故意に勝利を放棄すること
ⒶとⒷ、どちらの可能性が高いと思いますか?
言い換えれば、どちらの事象の方が実際起こりうると思いますか?
Ⓐですか?
特に理由もなく、これまでまったく歯が立たなかった相手に勝つことが本当にある、そう思いますか?
ヴィンセントは遠泳競争の勝利を指して「奇跡」と呼びます。
しかし『ガタカ』はSF映画です。
SF映画において奇跡は容易に起こりうるものではない、自分はそう考えます。
10年以上毎日更新しているブログってどれぐらいあるのでしょうね?
ゼロだとは思いませんが、自分は寡聞にして知りません。
ただ、自分のブログが日本で一番長く更新を続けている、とはさすがに思っていません。
どこかに自分のブログとは比較にならないぐらい長期間、毎日更新しているブログがあるだろう、そう思っています。
日本で一番長く更新しているブログだとは思っていませんが、おそらく日本一だと思うのは映画『ガタカ』に関する考察記事の量です。
どれぐらいの量があるのかというと、書いた当人にもどれぐらいの量があるか、把握出来ないぐらいです(把握しろ)。
なぜ『ガタカ』の考察記事を書くのか?
それほど『ガタカ』が好きなのか?
考察記事を書くぐらいですから、もちろん好きな映画ではあるのですが、一番好きな映画ではないのです。
単純に好きな映画で言えば『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』の方がはるかに好きです。
でも『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』の考察記事を書くことはほとんどありません。
なぜかというと『ショーシャンクの空に』や『ターミネーター2』を誤読する人はいないからです。
自分が凝りもせず、延々と『ガタカ』の考察記事を書き続けるのは、単純に『ガタカ』を誤読する人が多いからだと言えます。
今日はどのように読み進めれば『ガタカ』を誤読せずに済むのか、ちょっとしたポイントを解説したいと思います。
開始から16分、ヴィンセントは生まれて初めてアントンとの遠泳競争で勝利します。
アントンはその遠泳競争が嫌で嫌でたまりませんでした。
ちょっと待て、何を勝手なことを言っている、アントンが遠泳競争を嫌がるシーンなんてどこにもないぞ、そう仰る方もきっといるでしょう。
確かにその通りです。
アントンが遠泳競争を嫌がるシーンは作中ありません。
しかしそれは常識で考えれば、もしくは自分の身に置き換えて考えればわかることです。
あなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいて、あなたに遠泳競争を挑んできたら、あなたはその挑戦を受けますか?
受けない、ですよね。
少なくとも受けたくはない。
いつ心臓が止まるかわからない相手との遠泳競争なんて狂気の沙汰、望んでやりたがる人間はいません。
いや、自分ならその勝負、喜んで受けるよ!そして完膚なきまでに叩きのめしてやる!という方がいたら、遠慮なく申し出てください。
自分も遠慮なくその方を「人でなし」と呼ばせてもらいます。
ともかくアントンは人でなしではなかったので、ヴィンセントとの遠泳競争が嫌だったのです。
しかし実際にはアントンは勝負を受けています。
なぜアントンは勝負を受けたのでしょうね?
勝負に勝ったからといって大金がもらえるわけではありません。
彼の自尊心が満たされるわけでもない。
彼が勝負を受けたのは単純にヴィンセントが勝負を申し込んできたからです。
それ以外の理由はありません。
でもなぜアントンは何のメリットもない勝負を受けたのか?
それは断れなかったから、です。
もしアントンが「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争をするのは御免だ」と言えば、彼は遠泳競争をしなくて済んだでしょう。
でも彼はその言葉を口にすることが出来なかったのです。
口にすれば兄を深く傷つけることがわかっていたから。
アントンは家族として兄のことを愛していたのです。
だから兄を傷つけることが忍びなかった。
彼は勝負を受け、そして故意に負けた。
それがヴィンセントの勝利の真相です。
いや、それはいくら何でも穿った見方というものだろう、そう仰る方もきっといるでしょう。
ではその方たちに問います。
Ⓐ特別な泳法をマスターしたわけでもなければ、陰でこっそり練習をしたというわけでもなく、理由は特にないが、単に一生懸命頑張ったからというだけでヴィンセントがこれまでまったく歯が立たなかったアントンに遠泳競争に勝つこと
Ⓑ全力を出せば容易に勝つことは出来ても、もしかしたら死んでしまうかもしれないヴィンセントとの遠泳競争に臆したアントンが故意に勝利を放棄すること
ⒶとⒷ、どちらの可能性が高いと思いますか?
言い換えれば、どちらの事象の方が実際起こりうると思いますか?
Ⓐですか?
特に理由もなく、これまでまったく歯が立たなかった相手に勝つことが本当にある、そう思いますか?
ヴィンセントは遠泳競争の勝利を指して「奇跡」と呼びます。
しかし『ガタカ』はSF映画です。
SF映画において奇跡は容易に起こりうるものではない、自分はそう考えます。