団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

事業仕分けで分かったたかり列島日本

2009-12-14 16:34:25 | Weblog
 事業仕分けが終わって、各省の復活折衝のようなことが続いているが、これで分かったことは、日本は隅々まで補助金や助成金が行き渡り、その増減で一喜一憂していることだ。
 タイトルの通り、我々の世代はそうしたひも付きのお金とは無縁のところで生きてきたように思う。むろん、その人がどういう組織に関わってきたかで違いがあろうが、民間で生きてきたならば、ほとんど縁はなかった。
 会社がまだ元気なころに、保証協会からの融資を銀行で借りたことはあったが、これは利息を支払うビジネスであった。ほぼ30年事業をしてきたが、国、東京都、港区から事業資金を援助してもらったことはなかった。
 まあ、事業資金をいただくほどまっとうな会社ではなかったが、そうした発想はまったくなかった。営々と細りゆく事業を守りつつ、とうとう最後の一兵卒になってしまった。
 ところが、事業仕分けを見ていると、あるわあるわで、かゆいところに手が届くほどに配られている。それでバッサリやられたところが、見直しを財務省に迫っている。
 もっとも注目を集めたのがスーパーコンピュータだが、あれだって一見、学者連中は被害者のようだが、実際は使い放題の補助金でやってきたのだ。
 もらうのも使うのも痛みがないから、ただくれくれとわめくのだろう。もともと税金だが、割り振る方はでかい顔ができる。最近では、団十郎の「舞台芸術体験事業」の復活折衝が報じられた。
 なにをしている団体か知らないが、子供に見せても歌舞伎なんか分からないだろうし、本気なら補助金を当てにせず、梨園総出で自立事業として取り組んだらどうか。
 そういうものが多すぎる。助成金、補助金がなくても、やらなければならないことは関係者が努力して自立の道を探るものだ。
 ひも付きがなくなったら、あえなく解消、なんていう事業はもともとやっていた意味がなかったろう。補助金を削られ、なおかつ規模を縮小しつつも、継続していく努力があれば、やがて見直される日もあるが、もうその時は自立してひも付きなんかいらないよ、という立場になっているかもしれない。
 かくのごとく、助成金や補助金はまず自立を前提に論議すべきだった。補助金をいただく団体や法人が、補助金がなくなったら民間のビジネスにもならない事業なら、止めてしまったほうがいい。公開の場でやったことは評価されたが、不公平感が残るのはしかたがないとしても、この果実を国民全員が共有しなければならない。

 カメラ・写真、フォトギャラリーの動向に興味のある方は「Web写真人」をご覧ください。また拙著「団塊の世代の世間話」の案内ページにもアクセスできます。「Web写真人」(http://shashingin.web.infoseek.co.jp)で検索できます。アクセスをお願い申し上げます。首都圏のフォトサロン/ギャラリー一覧を掲載。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村