団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

私の煙草の止め方

2009-12-27 09:31:09 | Weblog
 煙草の増税が決まった。1箱100円程度値上げされるそうだ。私は目下、禁煙中で幸いにも煙草には用はないが、それでも愛煙家はこれから、節煙や禁煙などで涙ぐましい努力を強いられることになろう。
 ささやかながら、私がどう煙草を止められたかを報告することによって、禁煙にチャレンジする方の参考に供したい。
 まずひとりではむつかしいこと。私の場合は、女房と一緒にやめた。そばに監視者がいると、1本ぐらいいいか、という甘えがなくなる。別に家族ではなくても、それが友人でも医者でもいいわけだ。禁煙中の苦闘を誰かと分かち合った方が、気持ちが楽なる。もう止めて15年ぐらい経つが、苦闘というほど辛かったわけではなかった。
 次に心理的にどう自分を納得させるか。止めたあとも、傍らに煙草はあった。いつでも喫えるという安心感と、反対に絶対に喫わない、という気持ちを奮い立たせることができた。
 そして、煙草はまずいもの、どうしてこんなまずいものを長い間喫ってきたのか、という自問自答を繰り返した。しかも健康によくない。喫っているあいだに、本当に美味しいと思ったことはあるのか、という自己暗示をかけた。
 そうしたことを自分に言い聞かせることが、もっとも効果があったように思う。自己暗示でなくても、確かに美味いものではなかった。そして煙草のマイナス面を考えるようにした。
 例えば、部屋の中が汚れる。大掃除で照明器具などを掃除すると、黄色いヤニが雑巾につき、それを取るのに苦労した。私はしなかったが女房は、夜中に目覚めると寝煙草を喫う習慣があった。ある夜、煙草で畳を焦がした。こんな危険なことを止めろ、と怒鳴った。煙草の火の始末も不安だが、止めるとオフィスでもうちでも出る時に、なんのためらいもなく出かけられる。これはけっこうのメリットだった。
 というわけで、いろいろと考えると、煙草でいいことはないのである。高い煙草税を払って満足する人はいなかろう。
 禁煙中だが、依然としてまだ喫いたい気持ちはなくならない。喫いたい気持ちを抑えるのではなく、喫う理由を問う方が禁煙の近道だったように思う。
 以前にも書いたことがあるが、70歳にでもなったら、パイプを喫おうと思っている。ゆったりした時間を味わう小道具である。やはり喫煙は人生の愉しみのひとつであることは否定できないのである。

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