今日は姉と義姉の家に伺ってみた。
義姉は90歳を超え、耳が遠くなったのか
電話してもほとんどでない。
で、尋ねてみると元気でいた。まずは安心。
明日は亡くなった兄の通夜が執り行われる。
姉は歳なので「出席できない」と言っていたが
「車を出すよ」と言ったら
「それでは通夜だけでも行く」と言った。
「S(兄)が亡くなってHさん(義姉)も
やっと楽になれるね」という
「ところでS(兄)は何歳になる?」と聞いたら
「私が92でしょ、長男と二つ違いで
その下だから87、か8」と言った。
「それじゃ長生きした方か?」
「Tさん(父ちゃん)の具合は?」
「明日、元の病院に戻る」
と、ひとしきり兄と父ちゃんの話をして
「それじゃ、明日ね」姉の家を後にした。
先日、兄を亡くした義姉がどうしているか?
葬儀の準備で忙しくしているかと思っていたが
義姉は家にいました。兄が亡くなって
「大変だったね」と言ったら
「何だか、ぼ〜としてしまって、私は
何もできないから、harumi(長女)に
葬儀の事頼んだ」
「長い間、お疲れ様。これからは残りの
人生、楽に生きてね」
兄は結婚してから自分の好きなように生きた。
高校卒業して、自衛官になり2年で退職
その後は楽器店に勤め、義姉と結婚して
文房具店を始めたものの長続きせず、趣味で
糸魚川の翡翠や水晶探しをして、高じて
宝石店を始める。愛想のある店主ではなかったので
それほどの売り上げがある訳ではなく、
生活は学校の先生をしていた義姉に
頼っていた(?)それでも義姉は兄をたてて
好きなようにさせていた。
「好きな事(遊び)やって、好きな事(文句)
言ってた。ヴァイオリンもやったし
船にも乗ったし、八木沢ダムには毎週
行ってたし、畑もやった。文句ない
人生だったと思う」と義姉。
楽器店に勤めていたときヴァイオリンに目覚めたのか
独学でキーキー弾いてましたがものにはならなかった。
木製のヨットを作ったりもした。
未だ埋め立てられていなかった東京湾の干潟に
潮が引くと兄の作ったヨットが遠くにポツンと
置かれていたのを見た。
夏にはヨットに乗せてもらった事もある。
エメラルド色(青潮)の海がきれいだったので
浮き輪をつけてヨットから飛び込んだものの、
生臭く青臭い匂いに辟易した覚えがある。
父ちゃんは夜、連れ出され東京湾でたくさん捕れた
ワタリガニや牡蠣、昼間は潮干狩り
八木沢ダムへキノコ(なめこ)採りに行ったり
海に山に遊びには事欠かず、父ちゃんも私も
いろいろ楽しませてもらった。
自由気ままに人生を楽しんでいた兄も身体が
動かなくなり楽しみもなく生きる気力が
なくなったのか晩年は歩くように勧めても
「もう永くはねぇのに、そんな事(リハビリ)
やリたくねぇ」と悪態をついていた。
4月、5月と施設に預かってもらう時
「今度はリハビリして歩けるようになって
帰ってきてね、と言ったら珍しく素直に
『うん』と言っていた。今までそんな事
なかったのに」と義姉が言った。
兄が亡くなって気落ちしたのか、
「気力がなくなったので喪主はharumiに
してもらった」と義姉。
兄の家の庭先にある大きな池にはスイレンが
咲いていた。
義姉は90歳を超え、耳が遠くなったのか
電話してもほとんどでない。
で、尋ねてみると元気でいた。まずは安心。
明日は亡くなった兄の通夜が執り行われる。
姉は歳なので「出席できない」と言っていたが
「車を出すよ」と言ったら
「それでは通夜だけでも行く」と言った。
「S(兄)が亡くなってHさん(義姉)も
やっと楽になれるね」という
「ところでS(兄)は何歳になる?」と聞いたら
「私が92でしょ、長男と二つ違いで
その下だから87、か8」と言った。
「それじゃ長生きした方か?」
「Tさん(父ちゃん)の具合は?」
「明日、元の病院に戻る」
と、ひとしきり兄と父ちゃんの話をして
「それじゃ、明日ね」姉の家を後にした。
先日、兄を亡くした義姉がどうしているか?
葬儀の準備で忙しくしているかと思っていたが
義姉は家にいました。兄が亡くなって
「大変だったね」と言ったら
「何だか、ぼ〜としてしまって、私は
何もできないから、harumi(長女)に
葬儀の事頼んだ」
「長い間、お疲れ様。これからは残りの
人生、楽に生きてね」
兄は結婚してから自分の好きなように生きた。
高校卒業して、自衛官になり2年で退職
その後は楽器店に勤め、義姉と結婚して
文房具店を始めたものの長続きせず、趣味で
糸魚川の翡翠や水晶探しをして、高じて
宝石店を始める。愛想のある店主ではなかったので
それほどの売り上げがある訳ではなく、
生活は学校の先生をしていた義姉に
頼っていた(?)それでも義姉は兄をたてて
好きなようにさせていた。
「好きな事(遊び)やって、好きな事(文句)
言ってた。ヴァイオリンもやったし
船にも乗ったし、八木沢ダムには毎週
行ってたし、畑もやった。文句ない
人生だったと思う」と義姉。
楽器店に勤めていたときヴァイオリンに目覚めたのか
独学でキーキー弾いてましたがものにはならなかった。
木製のヨットを作ったりもした。
未だ埋め立てられていなかった東京湾の干潟に
潮が引くと兄の作ったヨットが遠くにポツンと
置かれていたのを見た。
夏にはヨットに乗せてもらった事もある。
エメラルド色(青潮)の海がきれいだったので
浮き輪をつけてヨットから飛び込んだものの、
生臭く青臭い匂いに辟易した覚えがある。
父ちゃんは夜、連れ出され東京湾でたくさん捕れた
ワタリガニや牡蠣、昼間は潮干狩り
八木沢ダムへキノコ(なめこ)採りに行ったり
海に山に遊びには事欠かず、父ちゃんも私も
いろいろ楽しませてもらった。
自由気ままに人生を楽しんでいた兄も身体が
動かなくなり楽しみもなく生きる気力が
なくなったのか晩年は歩くように勧めても
「もう永くはねぇのに、そんな事(リハビリ)
やリたくねぇ」と悪態をついていた。
4月、5月と施設に預かってもらう時
「今度はリハビリして歩けるようになって
帰ってきてね、と言ったら珍しく素直に
『うん』と言っていた。今までそんな事
なかったのに」と義姉が言った。
兄が亡くなって気落ちしたのか、
「気力がなくなったので喪主はharumiに
してもらった」と義姉。
兄の家の庭先にある大きな池にはスイレンが
咲いていた。